破れた羽衣 月に帰れなくなった兎 泣いて揺らいだ月明かり これは少し違う昔話
本当は中秋の名月の時に投稿しようとしてた作品です。お団子感覚でどうぞ。
「はーい、どうぞー」
「ども~」
と、めちゃくちゃセキュリティの甘いゲートをくぐった私は、ドックに潜入したのだった。
「にししっ」
ズラリと並んだ星舟。その名のとおり、星と星の間を移動出来る舟だ。私たち玉兎の力が創りあげた魔法の乗り物だ。今日、私はこれに乗ってケの地へ行くのだ。
私たちが住む白く清らかな星、ルナ。古くは月と呼ぶらしい。元々、私ら玉兎はケの地、地上とも呼ぶあの青くて大きい隣の星に住んでいたそうだ。
でも住みづらくなって、大昔にこのルナに移り住んで新たな社会を築いたのだ。
一方の地上には私たちとよく似た種族が現れ、今では文明を築き上げている。地上人とか猿人とかって呼んでる。まあ文明と言ってもオママゴトレベルの原始人だけどね。
でも、授業で聞く限りでは不思議な所のようだし少し行ってみたいと前から思ってた。
「よっと」
星舟の操縦は授業でいつもドベだ。でも、こんなの目的地に着けば良いのだ。舟はふわりと浮き上がってドックから出た。脱出成功。次は目的地だ。
「ケの地、地上へ!」
備え付けの杖と、このチャーミングな長い耳から発せられる念波を使って動かすだけで、すぐに地上に着くのだ。楽しみ。
「にしししっ」
一般人が地上に降りる事は禁止されている。地上はあくまでも観察対象であり、玉兎が干渉する事は禁じられているのだ。
まあ、ちょくちょく環境を調節したり、地上人に知恵を授けたりしてはいるんだけど、それは地上を保護するのが目的であって私利私欲のために接触するのはご法度だ。
そう、私のような理由ではダメなのだ。
「おおーっ」
青い星がぐんぐん近づいてどんどん大きくなる。地上なんて名前おかしい。青星、水球。私だったらそう名付ける。
「にししっ、楽しみ」
日ごろの鬱憤をたっぷり晴らしてやろうぞ。
私はこう見えてお嬢様。パパは都でそれなりの位を持っていて、私は一人娘なのだ。蝶よ花よと大切に育てられてきた。
しかし、名家の令嬢に生まれておきながら、私はどうも色々と足りないタチだった。
勉強の成績はクラスでも下の下、スポーツもドベ、これといった技能の才覚も無し。
なのに家の名は誉れ高いので回りからは嘲笑われる始末。そんな日々を過ごしてたら鬱憤も溜まるというもの。
そこで考えついたのだ。
私なんかよりも遥かに劣った原始人ばかりが居る地上に行って、玉兎の素晴らしい力を見せつければ私は神として崇められるんじゃないかと。我ながらナイスアイディアだ。
地上には純粋な興味も元々あったし、私は早速行動に移した。パパの名前を使ってセキュリティをパスして、ドックに入り星舟をパクっ···借用して今に至る。
「ひゅーっ」
舟を一気に傾けて地上へと急降下させる。大気圏とかなんとかっていうのがあって、本来なら物体は燃え尽きちゃうらしいけど星舟には関係ない。
巨大な青い光が白い霧になって、それを越えたら地上が顔を出した。青い水。なんて広いんだろう。これが海。ルナの海とは比べものにならない。
「よっと」
ちょうど良さげな小山があったのでその頂の真上に移動する。人が来る可能性も低そうだしここに舟を停めておくことにしよう。念のため山頂には下ろさないで上空100メートルくらいの位置に置いておく。これなら万が一にも地上人に盗まれることもないだろう。
「それにしても、おっもーいっ!地上の重力って6倍くらいあるんだっけ?」
ルナそのものの重力は地上の6分の1しかないけど、ルナ表面の居住区は人工重力によってそれなりの負荷が存在している。それでも地上は普段の倍に近い負荷がかかるとは聞いた。
いきなり太ったみたいに体がズシリとなる。不快極まりない。
ということで、ここからはこの羽衣を使おう。
通称『絹羽』。薄いベールのような生地のスカーフだ。これを首に掛けて腕に巻きつけるようにして着ると、体が重力から解放される。それだけじゃなくて、好きな方向に飛び回ることも出来る優れ物。ルナの表面をピョンピョン跳び跳ねる玉兎の相棒みたいな道具だ。
私は星舟からフワリと飛び降りた。
「よっと······おおーっ、ここが地上!」
足裏に伝う土の感触がルナと違い、とても不思議な感じだ。それにあちこちに見た事もないような植物がたくさん揺れている。
「ふわぁーっ······」
真っ青な明るい空に光輝く太陽。真っ黒な宇宙が広がるルナとは全然違う。
そして、優しい風にサラサラ音をたてる緑。
何より海がある。広大で果てしない海が。真っ青に輝く海が。
近くの茂みから小さな何かが飛び出した。ピピっと可愛らしい笛のような音を鳴らしていった。
光も音も風も私の故郷とは違う。
なのに懐かしい感じがするのはなぜだろう。
「······ハッ、いけないいけない」
私はハッと我に返った。ここに居られる時間は限られている。さっさと観光とストレス発散に行かなきゃ。
でも、まず最初に行きたい所がある。
キラキラと光を弾く幾千もの波、この星の胎動。
「うん、まずは海だよね!」
私は羽衣の力で一気に風を切って翔た。あっという間に浜へ到着し、そのだだっ広い砂の上に降りた。
──ザザアァン······ザザァ──
白い波しぶきがズズンと大地を揺らして何度もこだまする。この星ではこうやって何千年も何万年も押しては引いてを繰り返してきたのだろう。少しロマンチック。
浜から見える海はどこまでも続いていた。
水平線のあの向こうはただの大気圏になっていて、その先は何も無い無限の宇宙。この星の上には果てなんて無くて、空と海の交わる場所はやがて別の陸に繋がり、それを越えた先をまた越えたら、やがてはここに戻ってくる。
分かっている事なのに、全くそんな感じがしない。それほど美しくて壮大なスケールなのだ。
「ん?」
と、少し感傷に浸っていた私の耳に砂を踏む音が入ってきた。静かな足音が真っ直ぐに私の方へ近づいてきてる。振り向いてみると──
「あ」
「え」
そこには男が立っていた。そう地上人。つまり原始人だ。
見た目は私たち玉兎に似てはいる。でも浅黒いし、髪だって白銀じゃなくて黒だし、何より耳が変だ。両目の脇にそれぞれキノコを生やしたみたいな不細工な形をしている。私の耳のようなチャーミングさのカケラもない。
「お前さん······その耳は······?」
原始人は私の事を驚いて見ていた。まじまじと無遠慮に全身を見てくるけど、まあ許してやろう。私ってばけっこうカワイイほうだし、こんな原始社会じゃロクなメスもいないんだろう。このオスが私に見惚れるのも無理はない。
「人···なのか?でも、その耳その格好······」
「ふふん。なーにジロジロ見ちゃってんの?」
「え?あ、すまない」
驚かれたりするのは気持ちが良い。もっと私の美しさに見惚れなさい。
それに、よく見るとこのオスも案外悪くない。イケメンって感じではないけど若いし、優しそうな目元と大人しい雰囲気はポイント加点だ。背も高いし。
原始的な風貌はぬぐえないけど、都に居るような軟弱ボンボン玉兎よりは良い。
ふと気づくと、男の視線が私の足に注がれているのが分かった。
「なに?足がどうかした?」
「い、いや······おなごがそんなに素足をさらすのはどうかと思うんだが」
「はあ?」
アンタだって短い布切れみたいなのを腰に巻いてるだけじゃん。というか全体的にみすぼらしい。靴なんて平べったい布か何かを足の裏にくっつけてるだけだ。あ、確かゾーリとかいう履き物だっけか。
「ふーん」
「な、なんだ?どうかしたか?」
「いーや。べっつに~」
こんなのを服だとか言い張って生活してるとは哀れだ。どんな生業をすればこんな貧しくなるのか。
「ねえ、アンタ」
「なんだ?」
「何の仕事してんの?」
「え?俺は漁師だけど」
りょーし。たしか魚を捕る仕事だった。ルナでは全ての食糧はプラント培養だけど、地上に居た頃は狩猟によっても糧を得ていたと授業で習った。野蛮で非効率な方法だけど、ここでは今もやってるらしい。
「魚ねえ。どうやって捕るの?手で掴むの?泳いで」
「竿で釣ってるけど」
「サオ?」
男は手に持っていた細い棒切れを見せた。糸が垂れている。
「これだよ。竿も知らないのか」
「は?知るわけないじゃん、そんな石器道具」
「石器?」
「そ。原始的。あのねー、魚なんてのはね市場に行ってちょっと声をかければ家まで泳いできてくれるの、それがフツーなの」
男は困惑したように首を傾げた。いいね、いいね、こういうのだよ。こういう風に無知な輩に常識を説きたかったんだ。
「カワイソー。そんな格好でそんな道具使わなきゃ魚も食べられないんだ~」
「そりゃまあ。普通じゃないのか?」
「ぜんぜんっ!フツーじゃないって、そんなのなん万年も前のやり方だよ?」
「?」
「しょーがないなー」
哀れになってきたし、せっかく会えた原始人1号だ。少しばかり恵んでやろう。
「じゃーん」
と、私が取り出したのは白波の蒲。一見するとただの蒲だけど、一振するだけで遠くの物も手繰り寄せられる道具だ。
海の方に耳を澄まし、大きい生き物の音を探り、その方向にむけて蒲を振った。
「そーれっ」
「わっ!」
と、男が叫ぶ。ムリもない。海の中から私くらい大きい変な魚が飛び出してきて、足元にバタンと倒れたのだから。
その魚は実に奇妙な魚で、岩のような体から首と4枚のヒレを出したやつで、ジタバタしている。
美味しそうには見えないけど原始人なら喜んで食べるだろう。
「さ、たーんと食べなよ」
「·········」
すると何を血迷ったのか、男はその変な魚をひっくり返してそのまま海の方へと押していって帰してしまったのだ。魚は波に乗って行ってしまった。
「あ!何してんのアンタ!私が捕ってあげたのに」
「いや、俺は亀は食わないから」
「カメ?魚じゃないの?」
「うん」
「でもいーじゃん食べちゃえば。どうせビンボーなんでしょ?」
「それはまあ、裕福ではないけど······でも可哀想だし」
自分の食いぶちは自分でどうにかする、と言う男。まるで私が余計なお節介したと言わんばかりだ。腹が立った。
「あっそ。別にいいけど。じゃ、私ヒマじゃないんで。もう行くから」
「そうか。もう少し話してみたかったが仕方ないな」
衣の力で飛ぼうとする私を男が呼び止めた。
「あ、待った」
「なに?」
「お前、名前は?」
「サク。どう?カワイイ名前でしょ」
「さくか。俺は太郎」
「あっそ、タローね。変な名前」
「そうかな」
「じゃタロー、さよなら」
「あ、それともう1つ」
「なに?」
何故かタローは恥ずかしそうに私の足をチラチラ見て言った。
「その······履く物が無いなら俺の服貸そうか?」
「はあ?」
まさかの原始人からのお恵み発言だった。
「だって、そんなに素足を晒してたら恥ずかしいだろ?」
「いやいや、フツーじゃん。ただのスカートじゃん」
「すかあと?」
「あー、もういいから。とにかく。見たきゃ見ててもいーから一々口出ししないでよ」
親でもない原始人のくせにと腹が立った。
それにしても素足素足って。足くらいで発情するのが原始人なんだろうか。
それならちょこーっとからかってやろう。
「ふふっ」
──フワリ──
「あっ!」
宙に浮いた私を見て、タローが驚愕する。
「う、浮いた!?」
「ふふ、私はね天女なの。今から天空の舞を見せてあげる」
私は、最近ルナの若者の間で流行ってる星遊び踊りという舞をやってみせた。手足や腰をゆっくり揺らしたり反らしたりする踊りで大人たちからはハレンチだと批判されてる。
こんな明るい太陽の下でやる機会も滅多にないし、私もたっぷり魅惑的に踊ってみせた。タローは瞬きもせずに食い入るように見ていた。
「あっはっはは!マヌケな顔!じゃねー!」
軽く踊り終えた私はそのまま浜辺から離れた。まだこっちを見ていたタローの姿が小さい粒になる。
「にっしし」
やっぱり自分より劣った相手はからかい甲斐がある。私はもっとマウントを取るべく、空を飛んで次の原始人を探した。
「お!」
空を飛んでいると、早速発見。峠道を二人の原始人が歩いている。
スイーッと二人の前に降りるとどちらも声を上げて驚いた。
「うお!」
「きゃあ!」
なかなか良いリアクションをしてくれたのは、これまたみすぼらしい格好をした輩。一人は男、もう一人は女だ。背中に籠のようなものを背負ってる。
「お、おめさんどこから······」
「上からきただな?」
「ぷっ」
また面白いマヌケ面が見れた。
「これこれ、ご両人。何をしておる?」
そう尋ねると二人は不思議そうな顔を見合わせて
「オラたちは野良仕事だ」
「んだんだ」
と答えた。
ノラシゴトとはなんだろう。野良猫や野良犬に餌でもやる仕事だろうか。変なの。
そんなことはどうでもいっか。私のありがたーい力をこいつらにも見せてやろう。
「それは大変だねえ、こんな文明レベルじゃ何をするにも大変でしょうに」
「は、はあ?」
「その背中のを運んでるの?」
「そうだが······」
なんだか重そうだ。大体にして自分の手で荷物を運ぶのは卑しい身分のする事だ。哀れだから少し手伝ってやろう。
「どれ、重そうだし私が家まで送ってやろう」
「え?」
私は懐から新たな道具、風のヤツデを出した。はっ葉の形の扇子で、一振するだけで強風を生み出す道具だ。ルナの人工大気を循環させる道具でもある。
「あんたらの家ってどっち?」
「オラたちの家?」
「あっちだ」
「そうそう、あの一本松の右っ側」
「あの辺りに村があんべ」
「オッケー。あの辺ね。それでは二人ともそこに立っていて」
戸惑う二人の後ろに回る。
「はい、いっくよー」
「へ?」
「そーれっ」
軽くヤツデを振った。
──ビュオオオオッ──
「のわああああ!?」
「あーれーー?!」
「あり?」
思ったより強風が出てしまい、二人の原始人はピューッと飛ばされていってしまった。
「あちゃあ、ちょっと強すぎたか」
よくよく考えてみればこの地は元々膨大な空気が存在してるのだ。ヤツデの産み出した風と元々ある風が合わさって暴風になったのだろう。
「うーん。ま、いっか」
安全設計だから無事に降りられるはず。
とにかく、これであの二人も玉兎の力に驚嘆したことだろう。
とりあえず村もあっちの方らしいし、行ってみよ。
上空から見てみると薄汚い小屋がポツポツあるけど、家は見当たらない。
「あれ?」
と思っていたら、その小屋から原始人が出てくるではないか。なんと、このみすぼらしい納屋の群れが村なのだ。
玉兎に劣る連中だとは分かっていたけど、これは想像をはるかに越える。まあ、猿などという可愛くない種から進化した連中だしこんなもんだろう。私達と似ている方がおかしいのだ。
「にひひっひ」
私より劣る低俗な連中がたくさん居るじゃないか。自尊心がトクトクと満たされてゆく。
でも、私はオニじゃない。同時に哀れに思えてきた。あんな布なのか服なのか分かんない物を身に纏って、木を組み合わせただけの建物に住んでいるのだ。可哀想じゃないか。
ちょうど近くに人間が何人か居る。先端に鉄の板をはめ込んだ棒を担いで、土に向けて振り下ろしている。私の力を貸してやろう。
「よーし」
原始人達の元に降り立つと、やはり驚いて目を丸くした。
「ありゃ、おめさん、今そらから······」
「いつの間にそこに······」
「あんらまあ、めんこい娘っこだわ」
「ふふん。えー、コホン。聞け、野蛮人どもよ。我こそはルナより来た女神サクなるぞ。お前らで鬱憤を晴らしに······ゴホン!お前らに玉兎の素晴らしき神業を見せてくれよう」
キョトンとする原始人たち。彼らはこの地面をほっくり返したいらしい。よし。
「我が神業、巨人の手を貸してやる」
道具、ダイダラの手を取り出す。これはルナの土木工事に使われる手袋だ。ルナの表面の硬い岩なんかもガリゴリ削れるし、大きくして大量の土砂を掬う事だって出来る。
「これで私が大地を掘ってやろう」
「へ?」
「そーれいっ」
ダイダラの手を大きくして、土をむんずと掴む。
「ひえ!」
「あれ!」
「わっ!」
原始人達が悲鳴を上げて腰を抜かす。
「ふふっん」
畏怖の表情がまた私の承認欲を満たしてくれる。
一気に土を掘り返し、なん掬いもやってませる。
辺りの地面があっという間にボコボコの穴だらけになる。
「どう?これで良いんでしょう?」
『············』
私の凄まじい力に度肝を抜かれたのだろう。原始人達は尻餅をついたまま口をあんぐりと開けていた。
「ふいー。働いたらお腹減っちゃった」
そういや、携帯食料を持ってくるのを忘れてしまった。でもお腹空いたし、かと言ってせっかく来たんだからもう帰るのもつまらない。
仕方ないからここの食べ物でも食べるか。いくら原始的文明でも食べ物くらいあるだろう。
「お。良さそうなの発見」
すぐ近くに木製の机があり、その上に何か置いてある。白くてツヤツヤしてて丸い。何の食べ物か分からないけど、甘くて良いニオイもする。美味しそうだ。
「もーらいっ」
試しに一口食べてみると、これが想像以上の美味しさ。
「おいしーっ。なにこれ?」
まさかこんな美味しいのがケの地にあったとは思わなかった。
私はその食べ物を両手に抱えた。
すると、先程腰を抜かした輩がいきなり吠えた。
「あ!おめぇさん!なにするだ!」
「んー?」
原始人達が怒った顔して睨んでくる。
「人の団子さ勝手に食うでねえ!」
「んだんだ!」
「畑までほっくり返っしちまって!」
「はあ?」
ちょっとつまんだだけで何怒ってんのだか。それに、あんな土の塊が畑?
『あ!いたぞ!あいつだ!!』
と、面倒くさい事になってるところにまた面倒くさそうな声がして、バタバタと複数の原始人達が走ってきた。
殺気だった原始人たちにとり囲まれる。手には原始的な棒きれとか握ってる。
「ちょっとちょっと、一体何?私が何かしたって言うの?」
「とぼけるねい!このイタズラっ娘!」
一人の原始人が大声を上げた。よくみると、さっき峠で吹き飛ばした原始人の一人だ。
「よくもヒドイ目に合わせてくれただな!おめさんのせいでおっかぁは足を痛めたんだぞ!」
「はあ?親切にしてあげたのに文句?」
少し力加減間違えただけじゃないか。頭にくる言い様だ。
「おら達の畑もだ!」
ダンゴとか叫んでいた原始人も怒りだす。
「おめさんのせいで芽が全部土に埋もれちまっただ!どうしてくれるだ!」
「芽なんて無かったじゃん、言いがかりは止めてよねっ」
そう言えばチョロチョロした葉っぱぽいのはあった。でも、ルナではあれは雑草と呼ぶ。
「この疫病神!」
「村から出てけ!」
「化け物ウサギめ!」
「は?」
その気になれば一方的に蹂躙すら出来たのに、私は善意であれこれやってあげたんだ。
それなのにこの罵倒。
ルナでも地上でも、皆して私の事悪く言うんだ。
「っ·········うっさーい!!」
私は懐から月光の白刃を抜いた。今にも飛びかかってきそうだった原始人達の体がビタッと固まる。
これは小さな短刀のような道具で、鞘を持たないで刃の光を受けると皆動けなくなってしまうのだ。
「う、うぐっ!?」
「か、体が!?」
「な、なんだ!?」
「ふん!ばーかばーか!あんたら原始人が玉兎に勝てるわけないじゃん!」
腸が煮えくり返るような気分で白刃をしまう。しばらくは動けまい。
「もういい!私帰る!」
白刃の効果は一時間。その間に好き勝手出来るけど不愉快だからこんな場所からはさっさと帰る。
羽衣でフワリと浮いて、空に向かう。頭の中は怒りで一杯だ。
「ふん!来るんじゃなかった!」
どんなに美しい地でも、こんな蛮族が居るようじゃ興醒めだ。二度と来るまい。
海のある方向の空がオレンジ色になり始めている。実に幻想的な光景だけど、これは落日前という事だろう。事前に調べたから分かる。
「あーあ、つまんない。帰ったら何しよっかな。何か鬱憤を晴らせるような──」
──ガッ!──
「!?」
急にガンっと何かが耳に当たった。
「っ······!」
視界がグラリと揺らいで、熱い痛みが走った。
咄嗟に地上の方を見てみると、一人の原始人がこっちに向かって石を投げていた。どうやら白刃の光を浴びてない個体が居たらしい。
「あ······あうっ······」
急激な目眩と吐き気が私を襲う。
玉兎の耳はデリケートな器官だ。強い衝撃を受けるだけで脳にまでダメージがいってしまう。
「ううっ············」
ぐにゃぐにゃ歪む景色の中を必死に飛んだけど、舟のある山が見えた辺りで私の意識はガクリと暗闇に落ちていった。
·····················
「·········んん·······ん~······」
ぼんやりした視界の中に、青白い砂と黒い水が映った。どうやら砂浜に倒れてるらしい。
「う、ううん······」
頭がズキズキする。体の節々が痛い。起き上がろうとしたら激しい倦怠感に見舞われた。まるで体がいきなり重くなったようだ。
「こ、ここは······?」
やはり浜辺だ。波の音が得たいの知れない魔物のような唸り声を時折あげる。
「イタタっ······」
耳が痛い。触ってみると血が出ていた。
それに、薄明かりの中に浮かんだ自分の全身は擦り傷だらけだった。
原始人達に襲われたのかとも思ったけど、傷口は本当に擦り傷だけだった。刃物とかで付けられた訳じゃない。それに、彼らが持っていたのは棍棒だ。
「?」
手にザラっとした感触が伝わった。取ってみると何かの枝だった。辺りに針のような形の葉っぱも落ちてる。
ふと上を見ると木があった。そこで合点がいった。私は石をぶつけられて気を失った後、この木に落ちたんだ。
この程度のケガですんだのは木があって、下が砂地だったのもあろうが、やはりこの羽衣のおかげで──
「!?な、無い!」
首に手を這わせても、さらりとした生地の感触が返ってこない。
さっきから体が重いと思ったのは羽衣が無かったからか。
慌てて辺りを見回したが見つからない。
「あ!」
あった。木の枝に引っ掛かっている。薄雲のように儚く、微かな風にさえ翻弄されるように揺らめく光の羽。
重い体にムチ入れてなんとか手を伸ばして羽衣を取る。
「良かった······」
もう帰らなければ。どのくらい時間が経ったか定かではないけど、この星は夜になっている。
「痛つつ······あの原始人、許さない······今度会ったらタダじゃおかない」
羽衣を首に巻きながら、ルナに帰った時の言い訳を考える。星舟が故障したとか言えばいいか。
「······あれ?」
体の重さが変わらない。もう一度羽衣を巻き直してみるけど、何も起きない。飛べない。
「え?え!?ど、どうして?」
体が浮く気配が全くしない。何度も飛び跳ねてみるけど、それは跳ねてるだけだった。
「な、なんで──」
そこで初めて気がついた。衣が破けているのだ。真ん中から大きく裂けるように破けていたのだ。
「え、どうして······」
すぐに分かった。木に落ちた時に枝に引っ掛かったんだと。
「うそ!うそっ、うそ?!」
目の前がクラクラ揺れるような焦燥感に、私の心は押し潰されそうになった。
星舟は上空に停めてある。つまり羽衣がなければ舟に戻れない。ルナに帰れない。
「あっ、そうだ!修繕の針!」
羽衣を勝手に縫い合わせてくれる道具があったはずだ。
でも、それは星舟に置いてきた事を思いだした。
「そ、そんな·········」
思わずその場に膝から崩れ落ちた。手には破れた羽衣、辺りには波の音だけが響いていた。
呆然と空を見上げてみると、深い藍色の空の中に沢山の星の光が散らばっていた。ルナから見る宇宙とはまた違う、美しい夜空だった。
そんな星々の中に浮かぶ大きな白き真円の星。
清らかで、静かな光を麗しく湛えた星。星屑の中に王の如く浮かぶ星。私の生まれ育った故郷ルナ。もう戻れない私の星。
「·········っ······ひっく······う、うう······」
心の中で必死に保っていた何かがカタリと外れた。
「うわあああああぁん!!わああああぁっ······」
私は泣いた。泣いて、泣いて、泣き叫んだ。空に向かって。夜に向かって。星に向かって。ルナに向けて。
どのくらい泣いたろうか。
「ひぐっ、ぐすっ·········」
喉が痛い。頬がヒリヒリする。
そして、何度見直しても破れたままの羽衣をずっと握りしめて手が痛い。ゆっくり手を開くと羽衣はフワリと砂の上に横たわった。
私はまだ孤独な青白い光の中で、波の音に晒されている。
「·········」
月。かつてはそう呼んでいたそうだ。
私達玉兎にとっての『月』とは衛星の事だ。ルナにとっての衛星は、ここ。地上、ケの地だ。
でも、今の私にとっての月はあそこだ。青い光を静かに注ぎ続けているあの白い星だ。
地上から見る故郷は本当に美しかった。
「·········お月さま······」
『どうしたんだ?』
「!?」
突然──誰かの声がした。
私は反射的に飛び退いて振り返った。そこに居たのは──
「あ······」
「さく、だったな」
立っていたのはタローだった。
「どうしたんだ、こんな所にこんな夜に」
「どうして······こんな所に?」
「どうしてって、そろそろ寝ようとしてたらいきなり泣き声が浜の方から聞こえたから。心配になって見に来たんだ」
タローが近寄ってくる。
「お前、ケガ······してるのか?」
「っ!近寄らないで!」
「え?」
怖い。タローが。地上人が恐い。
私は膝を抱えて顔を伏せた。
「あっち行って!」
「さく?」
「お、お願いだから!ほっといて!」
タローがその気になれば私の運命なんかどうにでもなる。怖い。
私は体が震えるのを止められなかった。
「もう嫌っ、嫌!羽衣が、羽衣がなきゃ私は······帰りたい······パパ、ママ······」
また涙が滲んでくるのが分かった。
タローの気配は少しの間は留まっていたけど、やがてゆっくり遠ざかっていった。
恐る恐る顔を上げてみるとタローは居なくなっていた。
「·········あ······」
そして、羽衣も無くなっていた。タローが持っていってしまったようだ。
「·········」
これで本当に帰れなくなっちゃった······
お腹が空いた。
寒い。
体が重い。
耳が痛い。
孤独で寂しい。
もう枯れたと思っていた涙がまた頬を伝った。ルナの白い輝きがぐにゃぐにゃと揺らいだ。
一人になって、辛くなって初めて自分の弱さと愚かさが身に染みて分かった。
玉兎の力がなければ私なんてか弱い生き物に過ぎない。タローや、私が散々にバカにした人達はこんな美しい世界で逞しく生きてるのだ。
それを笑おうとしたからバチが当たったんだ。
もし。
許されるなら、パパとママにお礼を言いたい。
こんな私を今まで育ててくれてありがとうって。
そして、タローに謝りたい。
バカにしてごめんなさいって。
「ううっ······うくっ······」
「そんなに素足を出してると風邪引くぞ」
「へ?」
聞き慣れてしまった声が肩にかけられた。
思わず振り向くと、そこにはやはりタローが立っていた。
「タロー?」
「ケガ、痛むのか?」
「え?う、ううん。あ······」
タローの手に羽衣があった。
「あ、あの、タロー。その羽衣······」
「ん?ああ、これな」
タローはゆっくり近寄ってきた。体が自然に強ばるのを感じた。
タローはゆっくり屈むと、羽衣を私の首にそっとかけてくれた。
「あ、え······?」
タローが笑った。優しくて穏やかな笑みだった。
「それ破れてたから泣いてたんだろ?」
「ど、どうしてそれを?」
「うーん。なんとなく、かな」
そう言ってからタローは白い布を懐から取り出して、私の耳へと手を伸ばした。
「少し痛むぞ」
「······んっ······」
タローは丁寧にケガしていた所に布を巻いてくれた。
「これでよし。明日、明るくなったらちゃんと自分で手当てするんだぞ」
「う、うん。あの······」
「うん?」
「どうして······羽衣返してくれたの?」
「どうしてって、だってそれはさくの大切な物なんだろ?」
「う、うん」
「なら良かった。直した甲斐があったよ」
「え、直した?」
慌てて羽衣を見てみると破れた部分が綺麗に縫い合わせてあった。
「······まさか」
腕に巻き付けてみると、体がスーッと軽くなるのを感じた。
「すごい、直ってる······」
「網とか良く縫ったり編んだりするからな。ちょっと得意なんだ」
月明かりの中で微笑むタローの表情は本当に優しくて、屈託だった。そんな彼の笑顔が私の心を温かくほぐすのと同時に重い罪悪感を灯した。
「どうした?嬉しくないのか?」
「ううん。嬉しい。とっても。でも······あの」
「ん?」
「あ、あの······タロー。その、ごめんなさい」
「?何が?」
「何がって······」
私を見るタローは不思議そうに首を傾げていた。あんなにバカにしたのに本当に何とも思ってないようだ。
「私、あなたの事すごくバカにしてた。ううん、ここの人達の事みんなバカにしてた。だから······ごめんなさい」
「······さく」
「うん?」
「出来れば、言って欲しいのはその言葉じゃない」
「あ······うん」
今まで誰かに言ったことなかったかも。だから私はダメだったんだろう。
「······ありがとう、タロー。本当に。すごく感謝してます」
「どういたしまして」
月明かりは世界を優しい夜にしてくれていた。静かで穏やかな時間が、月光の中にそっと閉じ込められているようだった。
でも、時間は流れている。私は私の居る所に戻らなきゃいけない。
「タロー、ごめん。私そろそろ帰らなくちゃ」
「そうか。残念だな。もっと話したかった」
「うん。私も······でももう帰らなきゃ。パパとママも心配してるだろうし」
「······さく、さくはもしかして天女?」
「······ふふ、そうかも。ダメダメな天女だけどね」
「······なあ、さく」
「うん?」
「最後に一つお願いがあるんだけど」
タローが私にお願い。
「何?なんでも言って。私に出来る事ならなんでもする」
「ありがとう。それじゃあさ、また舞ってくれないか?」
「舞う?」
「昼に見たあの舞い。とてもキレイだった」
タローの目がキラキラと輝いている。
「あれで確信したんだ。さくは天女だって。本当にキレイだった。もう一度見たいんだ」
「·········うん、わかった」
地から足が離れる。その瞬間、私はもうこの星には居ない。月へ、ルナへ帰るのだ。
でもその前に、この人の為に踊ろう。
私の踊りなんて大したものじゃない。でもタローはキレイだと言ってくれた。
月に舞う衣なびかせ振り向けば、優しい君の眼はもう遠く。
こみ上げてくる想いを衣に乗せて踊った。
誰かのために真心を込めた事なんてなかった。
私は泣いた。涙が月の光を抱きしめて煌めき、星屑のように地上へと降り注いだ。
「タロー······」
星舟に着いて、私はタローの居た方を見た。タローはまだこっちを見上げている。見えなくてもそれが分かった。
「ありがとう。きっと、また·········」
星舟は音も無く滑り出した。地上がどんどん遠ざかり、やがて浅い夢の膜が晴れるように夜空は宇宙へと変わっていった。
白く輝くルナが大きくなっていく。
───五年後───
「はい、どうぞ。今日から地上降下ですね。頑張って下さい」
「ありがとう」
セキュリティの係りにお礼を言ってから私はゲートをくぐり、星舟のあるドックに入った。ドックには私の先輩となる人達が既に待っていた。
「お、新人来たか。早かったな」
リーダー格の人が話しかけてくる。
「今日から地上調査だ。しっかりついてこいよ」
「はい」
「よし、お前の担当エリアはこの辺りだ。くれぐれもわかっているとは思うが──」
「地上人には見られない、接触しない。ですね」
「その通り」
地上から返ったあの日から、私は必死に勉強して星舟の搭乗士になった。今日から地上調査の仕事が始まる。
「よし、行くぞ」
星舟に乗って外へと出てケの地を目指す。
「それにしても、お前さんはだいぶ不良娘だと聞いていたんだがえらく真面目そうじゃないか」
「あはは、昔はそうだったんです。今は反省して真面目にやってますよ」
「そうか、それは安心だな。おっと、そろそろ大気圏だ。ここらで別れよう」
「はい」
「じゃ、新人、後でな」
「気をつけてね」
「ええ、みなさんも」
他の搭乗士と別れて私は一つの地点に星舟を向けた。
近付く地上を見ていたら私の口から思わず
「·········にっしし」
と、笑いが漏れた。
そう、私は優等生で真面目ということで通っている。
ですが皆さん油断しちゃいけない。根は不良娘のまんまなのだから。
私利私欲がご法度の調査に、自分の願望を持ち込むくらいにはね。
「待っててね!タロー!」
青い海がどんどん近づき、白い砂浜が見え始め、やがて低い小山が見えてきて·········
───おしまい───
お疲れ様でした。またどこかでお会い出来たら幸いです。