Episode64・(Waka. Waka mother Side)
和歌と杏子のお話。長文です。
いつの間にか夜が明けて、
朝の光が暗い部屋に惜しみ無く差し込む。
しかし彼女の心は陽が昇らぬまま暗雲の空模様が立ち込めている。
あれから憔悴から、一睡も出来ていない。
ダイニングテーブルの椅子に座ったまま、
静かに膝に手を置いてを着き杏子はただ娘の身を案じていた。
娘が姿を消して一週間、甥も戻ってこない。
____二人は無事だろうか。
目の下には、
深い紫色の隈が現れ窶れが伺えられ、心なしか痩せている。
会社に有給休暇を取らせて欲しいと連絡を入れた後で
杏子はずっと座り込んだまま、消えた娘の身を案じていた。
_____そして思う事はもうひとつ。
(和歌は、自分自身の事を知ってしまったの?)
和歌の、“お城”のワード。
まさか彼女は“自身と同じ情景”を見詰めていたのではないか。
杏子が気にしていたのは、それだった。
貴女の父は、生まれる前に亡くなった、とだけ教えて
ずっと父親の存在だけは娘を騙し欺いて、洗脳してきた。
それは臆病な弱さだと思う。
もしも和歌の娘の存在を千歳家に悟られてしまえば、
問答無用で娘は取り上げられてしまう。___そうなれば二度と会えない。
天涯孤独の自身にとって分身が引き裂かれる様な感覚を覚えて
___そんな中、ガチャリ、と鍵穴が回る音がした。
微かに驚いたが自然と静かに足が赴いて
ゆっくりと玄関へと廊下を歩く。
きぃ、とドアが開いた瞬間。
その先にいたのは、紛れもなく自身が身を案じて娘の姿だった。
杏子は突然現れた娘に開いた口が塞がらず固まってしまうが、現実を悟った瞬間に娘を抱き締めた。
「おかえり」
娘はボロボロだった。塵と埃に包まれている。
また同じ事を繰り返させてしまったと積年の自責に駆られながら。
母に抱き締られたというのに、心は酷い程の無情だった。
9年前の時の誘拐の際も、今までならも安心出来た筈なのに。
もっとも、安らげる瞬間だった筈なのに。
唯一心許せる相手だったのに。
間違いなくこの人と、
母娘二人三脚で、人生を歩んできたというのに。
ただいまというべきなのに、和歌の心は厳冬の如く冷え切っている。
「___和歌、怪我はない?」
杏子は、涙が込み上げてくるのを堪えながら
服についた埃を払う。娘が帰ってきたという安堵でいっぱいだったが
それは娘の表情を見た瞬間に打ち砕かれてしまう。
表情と瞳は冷え切っている。その姿に翳りはあったとしても光りはない。
「…………お母さん」
「なに?」
「私、思い出したの」
「なにを………?」
杏子が躊躇いながらの口調を発する中で、
和歌は相変わらず物憂げで無表情だ。
「…………思い出したの。
9年前、誘拐された時の記憶を」
「………………え?」
杏子は、動揺を隠せない。
和歌は絶対に誘拐された時の事も、それからも固く口を閉ざしてきたのだから。
これ以上傷を増やしたくないと、敢えて聞かないまま、過ごしていた。
「___9年前。登校途中に
男の人に拐われて、壊れかけの山小屋に連れて行かれた。
………その人から
私の父親は千歳賢一だと。私は千歳家の人間だと聞かされたの。
千歳家に一緒に帰ろうって男の人は言っていた。
その時の幼い私は、それらを受け入れたくなくて、拒否した。
あまりにもセンセーショナル過ぎて
受け入れがたくて、自分自身でその記憶を消してしまった」
和歌は、ぽつりと淡々と熱のない声音で呟く様に話した。
母親は娘の表情に目を遣った。それは和歌の心の無感情さを
現していて、心なしかその瞳すら氷の様に冷たい。
杏子は驚愕すると共に絶句した。
自分自身が、娘の身を案じている間、
9年前、千歳家は娘に関わりを持とうとしたのだと。
ずっとひた隠しにしてきた娘の存在が、千歳家には公;おおやけ)になっていたのだ。
そして悟った。
和歌は、娘は、“本当の自分自身”というものを知ってしまったのだと。
それは、自分自身の父親は千歳賢一である事を。
千歳家の子孫である事も。
____それは杏子にとっては
闇の中に葬られたまま、現れて欲しくない事だった。
きっとこの事実を知れば、娘の心は穏便では居られなくなる筈だと思っていたからだ。
___しかし杏子は気付いてしまった。
娘のその冷たい眼差しには、密かに敵意を抱えている様にも伺えたからだ。
薄幸な娘は、いよいよ身を乗り出した。
「………………お母さん。
ずっと隠してるわよね。私のお父さんに関する事」
「………………………」
「ねえ。私、もう知ってしまったの。だから
隠さなくていい。 私は誰の娘なの?
本当に………あの人が、私の父親なの?」
杏子は固まった。
“あの人”というのは千歳賢一の事だろう。
和歌はまだ半信半疑なのだ。
杏子は同時に哀しくもなる。
最悪の恐れていた瞬間が訪れてしまったのだと。
けれども、娘が自ら“隠し事”に気付いてしまったのなら
悪足掻きはするつもりはない。向き合わねばならないと
杏子は腹と高を括っていた。
その刹那、杏子は悟りを開いた表情をした。
もう娘には隠す事はない。否、もう隠し事は出来ない。
「今までずっと黙っていて、ごめんなさい。
でも和歌は自分自身で知ってしまったのよね。
………そうよ。
貴女の実の父親は、千歳賢一。
____あの人が紛れもない、貴女の父親なの」
その瞬間。
闇の何処かで硝子が割れた音がした。
そして母親から受けた宣告は紛れもない真相で、
もう逃げ道のない、“確信”を意味していたのだ。
22年の間、秘密にしてきたこと。
母が何も言わず真剣な面持ちをしながら、何処かで怯えている様な表情で固まった後に微かに視線を落としたのを和歌は見逃さなかった。
「…………そう」
「大学生の時に学部が一緒で、一時期お付き合いしていた。
けれどもね。あの世界は自由に生きる事も、自らの意志を貫く事が出来ない世界。
未来はないと思っていたから。
私から、別れを告げた。
また、一人で生きて行こうと思った矢先、
私の元に貴女が来てくれた」
「……………」
言葉に現せない感情が、呟きとなる。
偽りでも嘘でもなかった。
疑心暗鬼になり惑わされていると思いながらも
心の片隅でその現実を何処かで受け入れている自分自身がいた。
____やはり自分自身は、
千歳賢一の娘で、千歳美岬の異母姉なのだ。
全てあの夫人と美岬が感情の赴くままに
言い放った事が全ての現実を物語っている事なのだ。
振り返れば
22年間、母親と二人三脚で生きてきた中で、
時折に何処か違和感を抱いていた。父親に関する話は何処か
禁忌の様に扱われてきたからだ。
「………今、思えば可笑しいと思う所ばかりだわ。
どうしてお父さんの写真は一枚もないの? お仏壇すらないの?
何故居ないのか、どうして消えたのかその理由も分からなかった」
淡々とその声音には抑揚も熱はない。
だが娘だからこそ思う事、それらの台詞は全て正論だ。
ひた隠しにしてきた父親の存在は、実は無意味に近かったのだろうか。
杏子は悟りを開いた表情をした。
全てを思い出し悟りを開いたもう娘には隠す事は出来ない。
「…………ずっと黙っていてごめんなさい」
「…………謝らないで。なら………どうして、
せめて、私にだけでも秘密裏にでも教えてくれなかったの。
そんなに____私はお母さんにとって信頼出来ない娘だった?」
「それは絶対に違うわ。
貴女を信頼していない訳がないじゃない」
杏子の声音に熱が籠もる。
「ならせめて、
例え私達、母娘の秘密だけでも良かった。
私の父親は千歳賢一で、私はその娘だったと。
例え、私はその事実を知ったとしても、
絶対に口にせず心に秘めて墓場まで持っていくわ」
和歌は無表情のまま。
本当は娘が怒っているのか、嘆いているのか、感情が掴めない。
ただ和歌は母親から自身の父親の存在を黙って
居られた事も22年経過して今の事柄に戸惑いながらも困惑しながらも、事を伺っているだけなのだ。
杏子は俯きながらも、呟く。
「………出来る事なら隠し通して、
貴女には何も知らず平穏に過ごして欲しかった。
けれどこれは母親(わたし?の我が儘でエゴよね。
父親の事は
22年間、ずっと貴女に対して後ろめたい事だった」
「……………何故……どうして、 お父さんは亡くなったと……。
ずっと隠し続けていた?」
その刹那、杏子の瞳に闇が佇むのが見て解ってしまった。
表情に影を落としながら話を続ける。
「………怖かったからよ。
千歳家は暗黙めいた家柄でも有名だった。そして血統を一番に重んじる。
たとえ、他人は要らなくとも、
千歳家の血を引く者は家元に置くの。
もしも貴女の存在が、千歳家に知られたとしたら
貴女を奪われて取り上げられてしまう。
そうとなれば、私は貴女には生き別れたままになる。
そんなものは私には耐えられなかった。
…………貴女が奪われる事。
それが私にとって、ずっと怖かったの」
項垂れる様に、杏子は告げた。
自身が築いた家族は、たった一人、娘の和歌だけだ。
和歌は自身の大切な分身であり宝物だ。もしもあの家に
娘を奪われてしまえば自分自身は壊れてしまう。
「貴女の存在を悟られて千歳家から奪われる事を恐れて、
貴女には大変な思いをさせてしまったけれど
転勤族を申し出て、各地を転々として居たのも
全ては千歳家から目を逸らす為だった」
もし千歳家に一度、
目を付けられてしまったらもう、逃れられないのだから。
娘を守り、千歳家の目に付かない様に転勤族を装ってきたばかりだ。
千歳家が、
自分自身から娘を奪おうとしていたなんてと思うと
ぞっとして、加えて当の果てに娘に事実を告げていた等、怒りを覚えた。
(だから国内海外問わず、飛び回っていた)
転勤族。
それは、千歳家から目を反らし欺き
娘がいるという存在も悟らせない為に。
全て心の内では母の人生計画は出来ていたのかも知れない。
杏子は娘が生まれた時に、この事実は闇に葬ると誓った。
そうして貰う様に兄とも口裏を合わせる様に、約束させた。
けれども本当は単に、千歳家が怖かっただけだ。
遥か彼方の昔、
ある日、廉の父親____実兄が健全だった頃に言われた事がある。
『杏子は隠し通したくても
和歌ちゃんは、父親を知る権利があると思わないか』
『…………それは絶対に言わない。それはもし、
和歌が全てを知ってしまった時、全てを話すわ』
「………それにね。
兄さん___貴女の叔父さんが全てを忘れた時、
更に怖くなってしまったの。もう両親も兄もいないも同然だと」
天涯孤独の兄妹の妹として生きてきた。
幼い時は一緒で居ても良い。だが、
大人になり
いずれは兄には兄の歩んで行く人生があると
分かっていたからこそ杏子は己が築いた家族である、
たった一人の娘に執着してしまった。
母親の宣告と、
千歳家の秘密に和歌は何も言えなかった。
なんと声を掛けてよいのか、分からないところでもあった。
「…………全ては、私の弱さが原因よ。
……でも、貴女には知る権利があったわよね。
怒るのも困惑するのも当然だわ。責めるならば私を責めて良い。
貴女にはその権利がある。
貴女を
千歳家に奪われてしまうのが怖くて、私が勝手に怖がって怯えていただけ。
本当、貴女の言う通り
貴女にだけ秘密を教えていれば良かったわよね…………。
ごめんなさい……不甲斐ない母親で………」
最後の語尾は消えかかっている。
項垂れたそのその姿は、震えるか弱い少女のようだ。
(そんな気持ちと事情を抱えて、私を育ててくれていたの?)
打ちしがれる様に詫びる杏子に対して
和歌は、何も言えないままだった。
何も言えないまま、和歌は姿をまた消した。
改めて書き綴ってみて
一言では言い表せない様々な形があるのだと思います。
このお話内容に対しては、
皆様にとって様々な声と見解があると思います。
複雑な事もあり私の見解で、文章を綴り物語を作っています。
故に疑問に持たれた方や違う見解の方はいらっしゃるかと思われます。
全ては私の私の見解ですので
ご不快に感じた読み手の方には、誠に申し訳ございません。




