Episode62・(Ren.Misaki Side)
足音を消して歩いていると、
途中から雪がはらはらと降り出してきた。
水瀬家を目指して歩いていたが、これでは身体が冷えてしまう。
この寒空の下で歩き続けていたら、
華奢な従妹の身体は冷え切ってしまう。
___それに千歳家のあの二人が簡単に黙っているとも思えなかった。
それに己の体力の事も考えて
水瀬家の手前にある廉のアパートに避難した。
アパートは細い枝のような路地の行き止まりのところにある。
それに千歳家ならば、水瀬家を知っている筈から
このまま水瀬家に帰ってしまえば、また従妹は拐われてしまう。
(……………和歌を隠してしまおう)
一旦、従妹の存在を潜める事にした。
気絶したまま目覚めぬ、従妹をベッドに寝かせて、
エアコンに暖房を入れて、部屋を暖めておく。
せめて髪に着いた塵や埃は取ろうと、
その絹糸のような髪に丁寧に、櫛を通して
淡々と塵と埃を落としていく。
時計の時刻は深夜の3時を迎えようとしていて、
もうすぐ朝焼けが訪れると思う。
櫛で全てを整えた後で
廉はベッドの背に身を預ける形で座り込んだ。
秒針を見詰めているとうつら、うつら、と眠気が襲ってくる。
首を短く上下した後に疲れから青年は静かに意識を手放した。
_____千歳邸。
____和歌は、自分自身とは異母姉妹。
上級国民にあたる千歳家は、
それ故に千歳の血族に対して異常な執着を見せる。
まだ誰も知らないけれども、
千歳賢一にもう一人の娘がいると思えば、
千歳家の人間は皆、黙ってはいない。
どんな手段を使ってでも、裏に出生の秘密があるとしても
悪逆無道な手で絶対に水瀬和歌を、
千歳家の人間として迎えるに決まっている。
美岬は、自身の異母姉として認め呼ぶ気は更々ない。
けれども今までの千歳家に求められていた自身の重責を
彼女に重荷として背負わせたい。
そして、自由になりたい。
彼女を千歳家に迎えられ、
千歳賢一の長女として認められたのなら、
全ての重荷も重責も彼女へと天秤は傾くだろう。
だからこそ、
美岬の心中には、“黒い思惑”が潜んでいた。
和歌が千歳家の人間として迎え利用される事となれば
自身が次女となり、彼女は長女として生きる。
和歌が千歳家の人間、千歳賢一の長女となれば
自分自身に課せられた重荷という責任は、
長子が果たす事になり、全て和歌に重荷に背負わせる事が出来き
代わりに自身は、自由を手に居られる事が出来る。
和歌を千歳家に迎える自体は不本意だが、
メリットとデメリットを考えれば、
美岬には沢山のメリットが待っている。
千歳家の重荷と重責からの解放。
自由に生きるという権利。
目先の楽は至福そのものだ。
それが美岬にとって目が眩んだ。
自身にかかっている千歳家の
重荷や重圧、責任も、
全て和歌に投げて背負わせればいい。
望まぬ相手との婚姻も、
千歳家の長子が果たす責任であり責務も全て。
和歌が千歳家に迎えられれば、
自身の自由は約束されているのだ。
だから今回は和歌が千歳家に来たばかりのものだと思い込んでいた。
____けれども和歌が連れられてきた理由は、
母親の積年の恨みの感情を晴らすだけだったとは。
『穢らわしいあんたを、
千歳家の人間だなんて絶対認めない。
父親にも会わせない。
千歳家の娘は、賢一さんの娘は、美岬だけよ!!』
母親は、和歌を迎えるつもりはない。
「_____美岬、待ちなさい!!」
美岬は自室に入り込むと、鍵を掛けようとした。
しかし寸前でドアノブを掴まれそのまま押そうとしたが、
何故か手は止まってしまう。
恐る恐る覗き込んだ先にあるのは鬼の形相。
いつも優しい仮面を被っている母親が、
そのおとしやかな気品と品位のある顔立ちの雰囲気を捨てて、
まるで獲物を狙うかの様な獣の形相をしている。
こんな必死な母親の表情は、
見た事はなく、圧巻されて手の力が抜けた。
その刹那、
母親の剛力に圧巻されて、美岬は突き飛ばされる。
その隙を付いて、喜子は美岬の部屋に押し入った。
しかし、何処と無く
敵意を抱いた様な表情で、美岬は唇を噛み締める。
「…………いつから居たの?」
「最初からです。お母様が起きていらっしゃるから。
お話も全部、聞きました」
美岬は、堂々とした態度で告げた。
しかし、祥子の焦りが止んでいないと言えば嘘になる。
美岬に告げられた“全部聞いていた”というのは、キラーワード。
「…………異母姉の存在を知っていた、というのは嘘よね?
あの時の建前で言ったに過ぎないわよね? ね?」
「…………………」
「美岬、お願い、何か言って頂戴!!」
何かを訴える様に
懇願するかの様に叫ぶ祥子に、美岬は半ば呆れていた。
(母は何故、水瀬和歌に執着するのだろう)
「………知っていました。ずっと前から。
この大人しかいない千歳家で
お父様には昔、恋仲だったという方がいたというのを聞いて、
調べていくとその方との間には娘がいると知りました。
水瀬、という名字は
滅多にない珍しい名字だと思って、
ずっとそれに該当する人を捜していたんです」
美岬は割りと冷静に、淡々と話を続ける。
淡々と事実を述べる娘に、祥子は、絶句した。
(まさか、娘の方が先に水瀬杏子の娘を知っていたなんて)
「____二年かかりました。
そして見つけたのです。
ある国立大学の外国語学部に在籍する水瀬和歌という人物を。
当時私が、大学3回生。
美術大学を退学し外国語学部のある大学に再入学したのも
それが理由で、全ては異母姉に出逢う為でした。
………どんな人か知りたかったのです。
お父様の恋仲だった女性の娘、わたしの異母姉を」
全て計算付くですよ、と低い声音で呟く娘に、
祥子はぞっと背筋を凍らせた。
純粋で純情な娘が、こんな企みを持っていたとは。
外国語を学びたいと唐突に告げられ、
祥子が必死に美術大学から退学、
外国語学部に再入学を反対しても、
美岬は一歩も譲歩しなかった。その理由は、
(……………あれは、あの娘に近付く為だったの?)
「____お母様が和歌を呼んだのは、
己の感情を、鬱憤を吐き出す為だけですか?」
「嫌だわ。そんな悪い意味に取らないで頂戴」
亜麻色の淡いランプが灯された部屋で、
母娘は距離を起きながら、立ち竦んだままだ。
いつも見ている筈の母親の表情が今は青褪めて獣の勢いをなくしている。
反対に娘は、
何処かその双眸に闇を佇ませた悪魔の様な面持ちだった。
けれども軈て開き直った態度に身を乗り出した
祥子は微笑を浮かべながら、当然如く告げた。
「あの何も知らない娘に教えて上げただけよ。
自分自身は、千歳家に、お父様には認められないと」
「だから……あんな酷い事を……」
「これは貴女には、知られたくなかった。
異母姉がいる事も。お父様の心にあの娘の母親を思い続ける事も………」
祥子は、美岬の両肩を掴んだ。
「……美岬、よく聞きなさい。
私と貴女は、ずっと惨めに晒されていたのよ。
お父様は美岬の事も、お母様の事も愛していなかったの。
お父様が愛していたのは、あの娘の母親だけよ」
「………………」
(今更、気付いたのか)
父親は、自分自身を見てなかった。
それは、美岬の中で自然と理解していた事だった。
昔から政治家としての出世が見込まれた国会議員として
多忙だった父親は人間味の薄い千歳家に貢献する機械人形の様に見えた。
「………貴女にはプライドはないの?
あの娘が来たら、お父様はあの娘しか見なくなる。
それに千歳家は跡継ぎに目をかけても、それ以外は蔑ろ当然でしょう。
そうなれば貴女の人権はなくなるのよ!?
そんなの惨めだと思わない!?
そんなのわたくしは嫌よ。
千歳家の娘は、お父様の娘は貴女だけ。
千歳家の遺産も、全ても貴女のものになる。
____あんな娘に奪われて、堪るものですか」
(千歳家の遺産や自身の人権よりも、あたしは自由が欲しい___)
美岬が望むのは、それだけだった。
そんな事を言っても、
母親には子供騙しの戯言だと軽蔑されるだけ。
美岬が望むのは、それだけだった。
嫁いできた母には分からないのだ。
___千歳家の子孫が担う千歳の重荷も重圧も。
ただただ己の私情で、
水瀬和歌に罵詈雑言、己の劣情をぶつけたに過ぎない。
いつしか窓から見える空は夜を越えて、白んでいた。




