Episode4・（Waka Side）
和歌のお話。
あれは、和歌が中学に入学した年の春だった。
学校の帰り道。
通学路で家路に帰っている途中での出来事だった。
ふと現れたある青年に道を尋ねられ事が、事の発端で、
彼は帰宅途中の和歌に尋ねてきたのだ。
一見、優しそうな青年だった。
「◯◯駅に行きたいんだけど迷ってて。
この駅に行くには、どうしたらいいのかな」
「…………これは、」
あちら、です。
そう告げようとした瞬間だった。
刹那。
口にガーゼに当てられ塞がれた。
強力な力で腕を捕まれ体を引き摺られた後に、
少女の華奢な体は宙に浮いて呆気なく持ち上げられた。
抵抗しようにもか弱き華奢な少女と、
大人の青年と力を比べれば負けてしまうのは、一目瞭然の事だろう。
口に塞がれる様に当てられたガーゼからは
次第に苦い味がして、そのせいか徐々に意識が遠退いていく。
抵抗と呼べるものをしようにも苦い味のせいで、
思考回路は霧がかかり、意識が遠退いていく。
(………悪い人、だったんだ………)
しかし気付くのが、もう遅かったのだ。
視界に紗が掛かり遠くなる意識の中で
和歌は気を失った。
和歌は、誘拐された。
『時間に律儀な娘が帰ってこない』と自力で捜した末に
必死の形相で助けを求めてきた和歌の母親が近隣住民に呼び込みかけた。
もしかしたら娘は誘拐されてしまった、のだと。
近隣住民の中には退職したものの、
今でも警察内部と交流を持ち警視正を勤めていた男性が居た事が救いで
その男性が発起人となって近隣住民に捜索隊が結成された。
しかし、
数日に渡り捜索したが、和歌は見つからない。
日を増すこどに近隣住民には諦めの色が出始め、諦めて捜索隊から去る者すらいた。
だが１ヶ月後。
神隠しに遭遇しそのまま帰還したかの様に
少女は民家の前で意識を失い倒れている所を、
通行人によって発見されたのだ。
次に目を覚ましたのは、白い天井だった。
何処までも真っ白な天井の中で、
和歌の視界に映ったのは、母親と従兄の姿だった。
母親は娘が目を覚ますと、和歌に語りかけた後に
ナースコールを押し、娘が目覚めた事を伝えている。
それを横目に見詰めながら、まだ現実で目を覚ました和歌は、何がなんだか分からない。
身体に力が入らなくて
頭に靄がかかった様にまだ、茫然自失としている。
自分自身の見に何が起きたのか、まだ思い出せない。
この誘拐は神隠しと言われていたが、
彼女の制服に着いていた指紋や毛髪が決めてとなり、
少女を拐った誘拐犯は間もなく逮捕された。
和歌を誘拐したのは、39歳無職の男だった。
罪名は未成年誘拐、略取等罪、強姦未遂。
和歌の身元は無事に保護されたものの、
彼女は3ヶ月程、意識不明のまま眠り続けていたという。
少女が数ヶ月経っても目覚めぬ理由を担当医師は、
『過度な睡眠導入剤や麻酔薬の服用、そして精神的なショックでしょう』
と、苦しい面持ちで告げた。
幸いに和歌の体には一切危害は加えられず、無事だった。
しかし麻酔に相当する少女の身体には不釣り合いの大量の睡眠導入剤の検出され
犯人は睡眠導入剤の薬を少女に飲ませた、と推測されていたが
しかし現実は無慈悲なもので
少女の血液から採取された結果は
過剰な睡眠導入剤に加えて、許容量を超える麻酔薬が投与されていた事が判明した。
和歌は、誘拐された事は覚えていたが
それからの事はまるで誰かが記憶を拐った事を
覚えてなかった。尋ねられても、口を覆われた以降の記憶がない。
これについても、
精神的なショックが要因で自分自身を守る為に
自分自身で記憶を消してしまったのだろうと担当医師は呟いた。
そして過剰投与された睡眠導入剤や麻酔薬が抜け切っていないのだろうと。
しかし、和歌の負った心の傷は深かった。
まだ幼い少女の心に植え付けたのは、底のない恐怖心。
記憶は失ってしまっても、体は覚えている感覚に、
和歌は常に脅える様になっていく。
人に怯えた。
外界に向かう筈の足がすくんだ。
また優しいふりをして
近付いてまた、危害を加わわれるのではないかと。
植え付けられた恐怖心から人と目を合わす事も相対する事も近付く事も出来ない。
そして誘拐されたのを境に、
和歌はある夢を見、魘されるようになった。
闇の中で自分自身が、誰かに追われて逃げ続ける夢を。
それに対して無性に涙が込み上げてきて、泣きながら走り続ける。
それは何故かは分からない。
けれど次第に相手はなんとなく自分自身を拐った人間であると悟った。
だが、それを悟った瞬間。今度は生きた心地がせず、
更に恐怖心に晒される様になったのだ。
人が怖いと、怯えた。
光りの世界から踏み出すのが怖くて、立ち竦んだ。
PTSD (心的外傷後ストレス障害)、
不眠症、人間不信、社会不安障害と診断を受けた。
本来の人格を失ったものの代わりに、
和歌の心に刻まれた無慈悲な傷痕達に塞ぎ込んだ。
軈てそれらは少女から気力を奪っていく。
(…………来ないで、来ないで………)
(私を見ないで、私を忘れて……)
気付けば感情を失い、
時折にして、起床してからも、無意識にポロポロと涙が溢れ落ちた。
これからの人生が絶望の闇に包まれ、
どうすればよいのか分からない。
まるで暗い部屋に閉じ込められている気分だった。
当時12歳のだった少女は深い絶望と共に心を壊され心身共にズタズタにされ、ボロボロになった。
『何年、かかってもいいです。心療を優先させて下さい』
和歌の母親は即行動に移した。
誘拐された場所で暮らすのは辛いだろうと、転勤族となり
なるべく日本から離れる様にし、海外圏を拠点とし
生活する様に方向転換した。
治療加えていくら時間はかかっても良いからと
専属の女性心療内科医の医師を担当医に定め、
時間をかけて精神的な治療をする事が決まった。
それは和歌が中学一年生の秋の事だ。
