第三十八話 〈黒き炎刃〉
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私の故郷は、海沿いの小さな街だった。
あばら屋のような古い小さな教会で、私は〈加護の議〉を受けた。
クラス魔剣士。
攻撃性能に長けた強いクラスだと聞いて嬉しく思ったことをよく覚えている。
今振り返れば笑い話だが、私はあのとき英雄に憧れていた。
人を助けることに特別な意味を見出していたわけではない。
単に私が傲慢で、夢見がちで、いい格好をしたい、他者から認められたいという欲が少しばかり強かったというだけの話だ。
ただそんな性格で、かつ魔剣士はパーティーと個人の方針が噛み合わないところのあるクラスだったから、派手に何度もパーティーメンバーと対立することになった。
言い訳するような形になるが、あの街の冒険者達も、私に負けず劣らず頑固で身勝手なところがあった。
貧しい街だった。
皆明日食うものにも困り、まともな準備ができていないまま探索へと向かい、次は自身が命を落とすかもしれないと脅えていた。
他者を思いやる余裕に欠けるのは仕方のないことだったのかもしれないが。
結局私は重なる利害の不一致と些細な誤解から生じた軋轢の果てに、探索中に窃盗行為を働いたと冤罪を掛けられ、ギルドぐるみでの村八分を受けることになった。
知識もコネもない下級冒険者が、拠点を余所に移して上手くいくわけもない。
田舎者だと馬鹿にされて、散々都会の擦れた冒険者達からカモにされた。
そして他者から蔑ろに扱われながら失敗を重ねる日々の中で、どうやら自分には冒険者としての嗅覚や戦闘のセンスが、根本的に欠けているらしいという事実も受け入れざるを得なくなった。
プライドが高く、英雄願望を持った私にとって、それが何よりも一番辛かった。
命の危険ばかり背負わされて、自分にはまともに取り分も入らないような生活を続けることになった。
今だからこそ全て自分の落ち度だったと振り返ることができる。
ただ、当時は、世界中の人間が、どいつもこいつも憎かった。
あの御方に出会ったのはそんなときだった。
『カロス君、君には凡夫共にはない、大きな才能が眠っている。英雄になれる器だ。君は周囲に恵まれなかっただけで……本来もっと大きな世界を動かしていくべき存在だ。私と共に来てくれないか? 私には、君の力が必要なんだ』
私だって馬鹿ではない。
自分に才能がないことになんて気が付いていたし、それが他者を利用する常套句であることも知識として知っていた。
これまでの経験で、悪い人間を第一印象から見極める術も心得ていた。
燻っている人間に甘い言葉を囁き、自身の操り人形にしたいだけだと、すぐにわかった。
だが、男の言葉には、有無を言わせない迫力と、魔力があった。
それに、冒険者としてこんなに真っ直ぐに認められたのは、他者から必要だと言ってもらえたのは、初めての経験だった。
嘘だとしても、嬉しかった。
私は結局、そこに縋ってしまった。
私は――――
◆
「私はこんなところで、負けるわけにはいかないんだよ!」
カロスが吠えながら立ち上がり、剣を握り締める。
だが、決着は半ば付いたようなものだ。
耐久にスキルツリーを振っているレベル上の冒険者とはいえ、〈死線の暴竜〉と〈不惜身命〉の攻撃を二度も受けて、平然としていられるわけがない。
〈ポイゾプロテクト〉も三分間効果が持続する。
その間、カロスのキャラビルドはほとんど無効化される形になる。
今から凌げるわけがない。
「〈クリムゾンウェーブ〉!」
カロスが狙ったのは、範囲攻撃による牽制。
そういえば聞こえはいいが、その場凌ぎの後がない時間稼ぎだ。
子供が泣き喚いて玩具を投げるような稚拙な抵抗だった。
獄炎の衝撃波がカロスを中心に放たれる。
俺は近くの岩を蹴って跳び上がり、衝撃波を飛び越えてカロスへと斬り掛かった。
「私に近づくなぁっ!」
カロスの我武者羅に放った一撃を避け、俺は奴の腕を叩き斬った。
〈黒縄剣ゲヘナ〉が、奴の腕と共に宙を舞う。
カロスはそれを呆然を見上げながら、ついに立っている気力さえ失ったのか、その場へと膝を突いた。
「これで終わりだ」
俺はカロスの顎先へと剣を突き付ける。
「ほ、本当に勝ってしまったんよ……! あの〈黒き炎刃〉に!」
メアベルがルーチェに肩を貸して支えながら、俺の方へと向かってくる。
その横にはケルトも付いていた。
「エルマ! そんな外道、とっとと殺しちまえ! どんな隠し玉があるかわかったもんじゃねえぞ!」
ケルトが叫ぶ。
「それはできない。こいつには喋ってもらわないと困ることが山ほどある」
カロスの背後の組織、〈夢神の尖兵〉。
歴史に名前もまともに浮上させず、貴族以上にスキルやクラスの神秘を明かし、それを利用して大災害を齎すことを目的とした団体。
明らかに存在がこの世界にとって異物だ。
何かしらの権力者と繋がりがあるのか、或いは俺と同じ転生者が絡んでいる可能性もある。
元々、どうして俺が生前の記憶を継ぐことができたのか、全くの謎のまま、深く考えようともしてこなかった。
ただ、考えてみれば、俺で起きたということは、他の第三者が全く同じ事象を体験していても不思議ではないのだ。
とにかくカロスには知っていることを全て吐かせる必要がある。
こいつらの存在はあまりに危険すぎる。
「クソッタレ!」
ケルトがガシガシと自身の頭を掻く。
「このサイコ野郎が! よくも俺達を散々騙して利用してくれやがったな! お前の演技、大したもんだったぜ。今までどんな気分でいやがったんだ? ああ!?」
ケルトが弓を構えてカロスへと向ける。
カロスは目線をケルトへと返すが、口を閉ざしたまま何も話さない。
そのときだった。
「〈ダークブレイズ〉!」
背後から甲高い声が響き、それと共に闇の連弾が俺達へと放たれた。
メアベルが飛び出し、魔法陣を展開する。
「〈マナバリア〉!」
魔法障壁が黒炎を弾く。
距離の威力減衰が大きかったこともあり、辛うじてメアベルの〈マナバリア〉で黒炎を止めることができた。
「テ、テメェら、オレの師匠に何やってやがる!」
顔を真っ青にしたヒルデが、俺達へと刃を向けていた。
彼女の背後には六人の冒険者が並んでいる。
ヒルデはカロスが裏切り者の気配を感知した際に、足手纏いになるからと別行動をさせたという話だった。
恐らくその間にヒルデが機転を利かせて、別パーティーと合流してカロスの援護のために戻ってきたのだ。
「根は多少マシな奴だと思ってやってたのに……テメェらが裏切り者だったのか!? 師匠を放しやがれ!」
タイミングが最悪だ。
今、激昂しているヒルデをこの場で説得するのは不可能に近い。
かといって急いてカロスを殺せば重要な情報を逃す上に、ヒルデとの対立を決定的なものにする可能性が高い。
そうなれば、余力のない俺達では、ヒルデ達をまともに諫めることはできない。
「最後まで馬鹿なガキだ。煩わしい。君の師匠になった覚えはないと、何度も言ったはずだがな」
カロスがそう口にした。
「し……師匠……?」
ヒルデが困惑したようにそう返す。
何を言われたのかわからないと、そういった様子であった。
「私は人の師に立てるような真っ当な人間ではないのだから」
カロスが寂しげにそう続けた。
「大した演技……か、そうだろう。私はかつて信じた、自分の理想を演じればそれでよかったのだから。君が羨ましく……眩しかったよ、エルマ。君は何一つ恥じることなく、後ろ暗いものを背負わず、あるがまま理想の通りに生きている。人を見る目に自信があるのは本当でね。最初に会ったとき、私とは正反対の人間だと直感したよ」
カロスが深く息を吐き、そう口にした。
ヒルデは情報の整理が追い付いていない様子だったが、しかしそれでも状況の大まかな構図自体は理解したらしく、力なく呆然とカロスを見ていた。
罪の意識が皆無だったわけではなかったのかもしれない。
少なくとも、この状況を利用して切り抜けるような狡猾さは持ち合わせていなかったようだ。
「話せ、カロス。お前の背後にいる奴らは何者だ」
カロスは逡巡した後、口を開いた。
「あの日……私は、誰にも認められず、垂れ死ぬのを待つだけのガキだった」
何の話かと思ったが、俺はひとまず耳を傾けることにした。
「あの御方に救われて……人としての魂を売って、あの御方に仕えることを選んだ……。今度はまたあの御方を裏切るというのならば……私は本当に、何者でもなくなってしまう」
カロスを中心に、魔法陣が展開された。
既にカロスに抵抗の意志がないと考えていた俺は、反応が遅れることになった。
急いで殺すのは惜しい。
一度避けるべきだ。
俺は唇を噛み、地面を蹴って背後へ跳んだ。
だが、頭上から飛来した黒炎は、真っ直ぐ正確に、カロスの胸部を撃ち抜いていた。
【経験値を16500取得しました。】
【レベルが75から80へと上がりました。】
【スキルポイントを5取得しました。】
無機質な声が淡々とレベルアップを告げる。
「師匠ぉっ!」
それと同時に、ヒルデの悲痛な声が響いた。