未來 十一 膳
客間に通されると盆に膳が乗っていた。晴が忙しく人数分運んでいる。
量の少ない飯を見て晴が溜息を付いた。
「正しく連絡して頂ければもっと用意したのに……。」
晴は手伝った飯を食べるのを、毎日楽しみにしていたのである。
男子が土間に立てるのは珍しい事だったからだ。
「晴。悪いが、婆に此れを渡してくれないか……。」
継一が手元に出したのは、肉と卵だった。
「わあ、久しぶりだ。婆に渡してくる。」
継一から渡された物を直ぐに調理しょうと走って行った。何を作るか楽しみにしながら、紅時とすれ違う。
隣には秋が手を引いている。
緋色の愛らしい着物を着ている。晴が目を見開き雰囲気の変わった女性を見て、驚愕した。
「紅時さん……。旦那さんですか……。」
「晴。秋さんです。秋さん。晴……。」
秋が驚いた表情をしている。
紅時は晴を見てから頷いた。毎日彼の姿を見ていたので、違和感に気が付かなかったのだ。
「御産の時期と被ったから、晴には女性として居て貰ったのよ。少し髪が伸びて女性らしくなってるけど……。」
「否。女の子かと思ったよ。」
晴の顔が引き攣る。
「明継叔父さん……。」
存在してはいけない場所に明継を見ている様な顔をした。
「晴。大丈夫だよ。二人は倫敦に渡ったよ。だから大丈夫。」
凝視する晴に秋が視線をずらした。
「確かに、明継叔父さんにしては年を重ねてるよね……。紅時さんと夫婦何だね。やや子はもう見たの。男の子だよ。」
「今は婆が見てるから任せてある。紅時が心配ないと云ったから、顔だけは見たよ。」
「紅時さんが若いから旦那さんも若いかと思ったよ。御爺様と年齢は変わらないでしょ……。やや子も喜ばない年齢だよね。」
「どうしたの……。晴……。」
紅時が不安げな眉をした。
秋が微笑みながら晴の肩に手を置く。
「紅時が世話になったな有難う。二人が生きてるのも、君達の御蔭だ。」
晴が秋の手を払い除けると、一礼をしてから立ち去った。
「晴。どうしたのかしら……。」
「あれは嫉妬だ。何時も晴は紅に恋をするのだな……。始めに出会ったのが私で幸いした。」
引いている手の薬指に口付けをする秋。
其の場所にはくっきりと痣があった。
「啓之助といい。晴といい。紅時は伊藤の人間に好かれ過ぎる。身を固くなさい。隙など与えては駄目なのだよ。」
「古い友を蔑ろにするのは難しいです。先生。」
「其れでも今は私の妻なのだから……。忘れてはいけないよ。男とは、危ない者だからね。」
紅時が口を窄める。
「知っています……。」
「しかし、過去の記憶の無い私が紅時の側にいられるとは有り難いね。」
秋が笑った。
其の後ろに継一と時子が歩いて来ると、一歩下がっていた時子が身を乗り出した。
「案の定、秋が『秋継』なのね。旦那様も人が悪いわ。早くから知り合いなら私も紹介して頂ければ良かったのに……。」
「御前は『秋継』の事となると、我を忘れる。だから知らせるのが嫌だったのだよ。」
「懐かしむのが何故駄目なのです……。」
「私も継一様から、時子さんに会うことは止められていました。紅隆御時宮から良くして下さったのに、申し訳ありません。でも節さんが時子さんなら納得出来ます。仲良くしてくれた理由も……。継一様が秋さんから離れさせる理由も……。私も二人を一緒にはさせたくありません。過去が有り過ぎます。」
秋が頭を掻いた。記憶が無くても、彼には何となく距離を置かなければ為らない理由が解った。
「継一様には世話に成ってる。時子さんには近付かないよ。」
継一が冷ややかな視線を送った。
秋は無視する様にして部屋の中に入って行く。紅時も支えられながら歩んだ。
継一達を上座に座わらせると、膳が一つ足りない事に気が付いた。
「飯が一つ足りない……。」
啓之助が部屋に入って来るなり、憮然とした態度で云い退けた。
「婆の分だろ。」
「紅時を助けてくれた人だ。飯ぐらい良いだろ……。」
秋が俯いた。
質素な膳だか暖かい物を感じる。
「身分が違うだろ。下女などと飯は食えん。」
啓之助が云い放つ。
「婆は父上が生きている時からの奉公人だ。継一様も同意見だろ。私達の全てを知ってるのだから大切にしないと……。」
「私も婆と御飯が食べたいです。ずっと眠ってばかりでしたから、多い方が嬉しいです。」
継一は顰めっ面をしている。
「確かに身分は秋の方が上だな……。紅時の方が公家出身だから最も上だがな……。」
啓之助が呆然と紅時を見ている。
「公家の姫様だって……。なら、何故に農家に何てしてるのだよ。秋など名字が『林』だろ……。農村特有の名前だ。」
啓之助が混乱して居ると婆と晴が吸い口を持って部屋にやってきた。
五人の態度にも臆せず背筋が伸びて居る。
「まあ、如何、致しました。継一様も怖い顔を為さって……。」
確かに婆は下女として下座にしか座らないし、飯も同じものは食べない。
「只、婆と飯が食べたかっただけだよ。母上から使えてくれてるのはもう婆だけだからね……。」
秋が寂しそうにしていると、紅時も賛同した。
「今日ぐらい良いではありませんか……。」
しかし、婆の顔は動こうとしない。
「否。秋継様と紅時様とは身分が違います。私は只の奉公人。晴様に任せて私は退散致します。」
部屋の入り口付近に御櫃と湯呑みを置く。
踵を返し、婆の後ろ姿が遠くなる。
慌てた晴が、後を追おうとしたが秋に止められた。
「啓之助にも晴にも、しっかりと話さなくては為らないね。紅時の事、伊藤家の事。」
質素な食事を前にしている啓之助が、漬け物を食べている。
「話を聞かせてくれないか……。秋が見てきた時代をさ……。何も驚かないから、嘘無しに話して欲しい。私達は、末っ子の明継を逃がした家族で戦犯なのだから……。」
晴が空いた席に座ると、紅時が御茶を注いで運んでいた。
秋継が席に座ると、継一が味噌汁に箸を着けた。
晴が困惑した様子で居る。
「食べて大丈夫よ。今は伊藤家の家督は、継一様ですもの……。」
紅時が横で合図地をする。
ゆっくりと秋が話を始めた。膳を前にして一人で長い昔話をする様だった。




