未來 五 継一に挨拶
伊藤 継一が書斎に居た。
母は自分の家に着くと、早速旦那である継一の元へ向かった。
晴も一緒に挨拶をしょうとしている。
其の後ろに伊藤家の長男である啓之助が立っていた。
母は襖の前に立つと、正座して継一に引き戸越しに声を掛けた。
「旦那様。只今天都から戻りました。」
襖は喋らない。何か物を置く音がする。
「お入り。」
継一の入室許可が降りた。
襖を開けると啓之助、晴、母の順に入室して行く。
三人は畳の縁を自然と避け、部屋に入った。又母が襖を閉めた。
文机の前で作業をしている継一が、ゆったりと振り返る。
正座している啓之助、晴の隣に、彼女も正座する。
「天都はどうでしたか……。時子」
長男に声を始めに掛けない事に驚いたが、彼女は視線を滑らした。
「明継にも会えて、元気そうでした。常継の頼みを聞いて本当に良かったです。今度行くならば物見遊山したいですわ。」
時子が微笑んだ。
継一は表情を変えず、晴に視線をずらした。
「伊藤 晴と申します。父常継からの指示で天都から着いて参りました。数日、停まらせ頂きたく思います。」
晴が胸元から常継の文を出して継一の前へ出る。正面から文の上下を変え、差し出した。
継一は無言で文を取ると中身を確認する。晴が移動し時子の隣に又正座した。
沈黙。
「合い解った。晴の滞在を歓迎する。」
継一が手を叩く。
裏で控えていた下男が襖を開いた。
「晴を客間へ。解らない事は此れに聞きなさい。」
晴が、心配そうに時子を見た。
「先に行ってらっしゃい……。」
時子は笑っている。晴は、安堵の顔をして、下男に続いた。
和室に三人だけになった。
「啓之助。状況を理解して帰って来たのか……。」
「明継の件で常継と時継が動いているので、問題はありません。兵部省が慶吾隊員と仲が悪いのは今に始まった事ではありません。右院と左院には紅隆様と同居し始めてから、金を渡して有りますから……。」
「九州軍部も、紅様の政治的利用を問題視している輩は多い。忌み子は、所詮穢れだからな。」
啓之助の顔色が悪くなった。
「父上。私には行かなければ成らない場所があります。妻子の挨拶の後直ぐ向かいたいのですが、外出を宜しいでしょうか……。」
「仕事よりやはり私事か……。」
「秋からの電報で馳せ参じました。猶予がないなら尚の事、私も側に居とう存じます。」
「解った。参れ。」
啓之助が立ち上がると会釈してから其の場を後にする。
襖を閉めると、沈黙になった。
継一は、時子だけになると、彼女に背を向けた。文机の書類に目を通している。
時計の針が進む音だけが木霊する。
時子は背筋を伸ばしている。
「何か聞きたい事があるのか……。」
継一は背中で話した。
時子は微動にせず話し始める。
「明継について……。此の時期に何故私を天都へ向かわせたのですか……。」
「常継の希望だ。」
「今迄何度か子供達に会いに、天都に行く事を望みました。しかし旦那様は拒否なさった。私を家から出そうとはしなかった……。まるで明継が逮捕される時期が解っていた様に思います。」
紙の上を筆が進む音がする。
「常継の頼みが無くても、此の時期に天都へ行かせるつもりだったのでは無いですか……。」
継一の背中が話す。
「何故、其う考える……。」
「私は今迄、令和から戻ったのは、私だけだと考えていました。時継も、律之も、晴も、紅も、秋継も誰も居ないのだと思っていました。しかし、話が繋がらない。息子の明継が、ロンドンへ逃げられる未来に私だけの力では成らない。只私は育てただけです。息子の常継と時継が内部で動いて居たとしても、倫敦に紅様を連れて行くには身分が高すぎる。失踪等出来る訳がない。なので天都に行って、紅様に会った時驚き以外の感情が湧かなかった。私の息子明継が、自分の前世である節の知っている助けた明継だと理解する迄、時間を有しました。」
継一が筆を止めた。
「結論は何にかね……。」
継一がゆっくりと振り替える。
時子は息を飲んでから話し掛けた。
「貴方は誰です……?」
二人は瞳を反らさなかった。見詰め合いながら年を取った父が眼鏡を下ろした。
「誰でも無いさ。時子ならば解るだろう……。連れ添ってから四十年も経って居るのだよ。」
「だから余計に解らないのよ。貴方は知らないわ。会っても居ないと思うの……。」
継一が懐から手拭いを出して、眼鏡を拭いている。
「私が初めて時子に会った時は、嬉しかったのにな……。」
時子は複雑な顔をした。目の前の旦那に嘘を云われている気配はない。
継一は眼鏡を掛け直すと、膝を立てた。
「連れて行きたい処がある。着いて来るか……。」
「場所は教えてくれないのでしょ……。」
継一は答えない。襖を開くと廊下に出た。当たり前の様に時子は続く。
「啓之助と聞いて違和感はないか……。」
「息子の名前に違和感はないわ。」
「そうか……。節は『啓之助』とは余り話さなかったな……。」
玄関に出ると下男が草履を出した。訪問着とは不釣り合いな普段使いの草履だった。
「歩き易いのにしなさい。足場が悪い。」
時子に目立たない羽織を渡した。彼女は何も云わず羽織り、継一の背中だけに目をやった。
「啓之助の向かった処だ。男は入れないが女のお前なら入れる。」
「どう云う意味ですか……。」
継一が歩き始めたので、時子は残されない様に歩いた。流石に軍人の足には敵わないが、時子は負けず嫌いだった。
「秋の家だ。」
「あき……。秋継の家の事ですか……。では、矢張り此の時代にも秋継達は生きているのですね。では、何故節の前世である私の前に顔を出さなかったのですか……。」
継一達が車に乗る。少し離れた場所に行くらしい。
「伊藤家に顔を出せなかったのだよ。伊藤秋継は……。」
「伊藤の人間なのに何故出せないのです……。」
自動車から流れる景色を時子は見た。
「詳しい話しは、秋からさせよう。今は混乱するだけだ。彼は林 秋と名乗っている。」
継一の言葉に呆然とした時子。
流れる景色を見ながら彼は口を閉ざした。
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