未来 四 家督を継ぐ者
「御婆様は薄情です。」
船に乗り換える時に晴が呟いた。
「何が薄情ですか……。もう、明継とは別れを告げていましたからね。男子が泪等見せる筈がありません。」
「でも、明継叔父さんは何か云いたそうでしたよ……。」
明継の母が、考え込んでから、笑った。
「此れからは、紅ちゃんが大変になるわ。全く知らない場所に行くのだから……。」
ステップを上がって行くと、塩の香りが強くなった。
まるで此から来る波乱に満ちた人世を物語るかの様に、波が高い。
「林さんも着いて行ったのだから大丈夫だわ。彼は、自分が思って居るより、二人を思っているわ。」
「何故、其う考えるのですか……。」
晴が訝しがった。
未来を知らない晴に取って、死ぬ覚悟で二人に寄り添った修一の心の内は解らないだろう。
「任務よりも二人を選んだからよ。」
「確かに、敵前逃亡で軍人らしからぬ立ち居振舞いだと思います。」
「人の心は其の様に簡単では無いからよ。」
晴が納得出来ない顔をして居ると、まるで自分の子供をあやす様に母が微笑んだ。
晴が見せる表情に懐かしさがあった。
「憎しみすら愛情の裏返しだもの。」
余計、晴の顔が解らないと伝えている。
「長い人世に何があるか解らないわ。だから納得出来る形で旅立てた二人は幸せだわ。皆に祝われて旅立てた。少ない人数だったけど、明継達の人生に深く関係した人ばかりだもの。二人を忘れる事はないでしょう……。晴もね。」
「確かに、明継叔父さんよりも紅は、親友に慣れそうだったのに、残念です。」
母が頷いた。
「親友よりも深い感情で結ばれる筈だったわ。」
「又、御婆様の未来予想ですか……。」
母は鼻で笑った。
「御国に着いたら、久しぶりに浴衣でも縫おうかしら……。」
「御婆様は不器用なのを忘れていますね。下女に頼んだ方が良いですよ。」
「晴は遠慮が無いわね。常継から、叱って貰うわよ……。」
「其の気もない癖に脅さないで下さい。御婆様は、云いたい事は自分で云う質です。」
「確かにそうね……。晴は、本当に私の性格を知ってるわね。」
「御婆様の孫ですからね。」
晴が微笑んだ。
船のデッキに出ると潮風が髪を撫でて行く。晴が荷物を置きに、個室の方へ向かおうとする。
背の高い男性が晴の前に立っていた。横を擦り抜け様として視線が交わる。
晴の父親よりも貫禄のある男性が目尻に皺を寄せた。
「晴か……。久しぶりだな……。」
真っ正面から見ると其の男は母を見た。
驚いている母を尻目に男が近付いて来る。
「天都は如何でしたか……。」
母は久しぶりな息子との対談に困惑していた。
彼は伊藤 啓之助。伊藤家の長男である。
「啓之助は何故御国に帰る船に居るの……。仕事はどうしたの。休める訳がないわ。」
「私用で、どうしても行きたい処がありまして……。妻や子供にも会いたくなったので休みました。」
「其の様に休まないといけない程の用事なの……。」
「ええ。」
啓之助は頷いた。
彼は大政官からなる左院、正院、右院の政治の中枢の補佐官である。仕事の都合上正月すら帰省しない。
長男なので妻子を九州に残した侭仕事をしている。
「啓叔父さん。御爺様に、呼ばれたのですか……。」
「父上から連絡があって帰っては来た。確かに、父上には報告しないといけないね。既に電話では話をしているけれども、正院も兵部省が強すぎで左院も右院も判断しかねてる状態だよ。」
「其の様な中で実家に帰るのですか……。」
「私用だと云っただろう……。本家に少しいるだけだ。妻子にも会いたい。」
デッキにから海を見る啓之助。
長男である啓之助が次男である常継三男である時継末である明継の『継』の字を持たないのは、訳がある。
伊藤の嫡子は、長男に『継一』の名前を継がせるのだ。だから、啓之助だけ名前の色が違うのである。
「啓之助も明継達と御別れが出来たら良かったのに……。」
母が微笑んで啓之助を見た。
彼の視線は海から動く事はなかった。険しい表情で見詰めている。
「心配事でもあるの……。啓之助。」
「否。明継達を心配している訳ではありません。彼らは煙を巻いた様に姿を眩ましたのですから……。父上も納得されるでしょう。事後処理は、常継がするでしょうし、時継も補佐するので心配はしていませんよ。」
眼球に鋭い光は消えなかった啓之助。
「御国に着きましたら、話せる処は話しますよ。母上も体に障りますから、中に入っては如何です。」
啓之助が母と晴を中へ誘導した。
母は啓之助の違う空気を感じ取って心配をした。だが言葉には出せなかった。
彼の背中を見詰めながら、晴の手を握った。
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