過去 六 モガ
一人の女性が此方に近づいて来る。其して、明継の座っている隣に腰を据えた。
何ら違和感のない動作に、興味すら引かれず、気にも留めていないふりをした明継。
紅を連れている不安感から、明継は其の女の人相を視界に入れず、伺った。
日本人らしい顔付きと、其れでいて現代人女性の凛とした面持ちがあった。
髪型は今風で、モガを彷彿とさせる。女性の雰囲気に恐怖は感じない。しかし、何かが可笑しい。
女性に失礼なので、明継は目線全部を紅に移した。
相変わらず紅は、木蓮にご執心で、明継の心配何て、何の其の。
風に揺れて紅い木蓮の花びらが揺れるたび、喜びながら上を眺める紅。
ビィドロの様な肌の横顔を見た時、今までに感じた事のない変な危機感を知った明継。
紅を失いたくないと思えば思うほど、強く激しくなる鼓動。紅を鍵まで渡して自由にする覚悟と理性が混じり会う。其れでも、平常心を作ろうと紅の方を向くが、余計に不安を煽られた。
「どうかしました。」
其の女は、不意に話し掛けてくる。
天都の街は、他の地方と比べ、人間関係が希薄な雰囲気であるのに、女は知り合いのように平気で言葉を付いた。
表情は柔和で気さくな人物のようだが、明継は関わり合いになりたくないと感じた。
時代は、女性は一歩引いて歩き、控えめで感情的にならないのが理想とされていた。所謂、大和撫子タイプでは見るからになさそうだった。
「いいえ、何でもないです……。」
「気分が悪いのですか。」
女は、明継に対する、其の不快さを漂わせている顔色を、気分が悪いと勘違いしたらしい。
明継は他人の事を気遣うのだから、悪人ではないだろうと予測する。其う考える事で何か嫌な予感を振り払おうとした。
「いいえ。」
「木蓮は綺麗ですよね。良く裏山に咲いていました。」
女は御構いなしに話を、発展させる。
近所の女が花見にきているのだ、紅を知っている筈はないと、必死になって良い方へ考える事にした明継。
今席を外れたら余計怪しまれると計算もしていた。
「彼は御連れさんですか。」
女の目線は紅の方に向かった。変に詮索されては困るので、明継は受け流す。
「えぇ。まぁ。」
「見かけない子ですね。」
此の侭だと紅の話題になると踏んだ明継は女に会釈をする。
「すみません。用事があるので失礼します。」と言い残した。
其して、立ち上がると、はや走りで紅の方へ向かおうとした。
彼女から、一秒でも早く離れ様と思ったからだ。
「すみません。伊藤さんですよね……。」
耳から脳へ思考が回らなかった。直ぐに、呼び止めに答えまいとする明継に、大きめの声で其の女は問い続けた。
明継の背に話す女。
明継の動きが止まる。
「私の事を知っているのなら、始めから云って下さい。」
明継は、女の不気味な行動を嫌悪に思った。
秋継の名前を知っている女。明らかに、不快感満載に近い警戒心を露わにする。
其の女の方に、見向きもせず、正面にする事なく、紅の方へ前に進もうとした。
明継は、会話を対等に話し合う気さえないようだ。
「其れは、失礼。」
言葉上で謝罪する女は、明継を鼻で笑った。
ベンチから立ち上がり、明継の斜め後ろに、はり付いて来る。
明継は、思考した。
自分を知っているのは、宮廷の者か、実家の者くらいである。だが、女の顔に見覚えはない。余計、怖くなった。
「自己紹介しておきますね。私は田所 節。」
此の侭、節の話を聞いてはいけないと感じ、早く紅から引き離そうと思う。
『では、用件は……。』と聞いたら最後、蛇のように巻き付いてくる気配が、節からした。
無視し、紅と避難しようと決心し、木蓮の元に足を動かした。
「すみません。時間はありますか。」
「急いでいますので……。」
冷たい口調で明継は云う。
「此の頃、政府に不信な動きがあります。貴方は、内部に詳しいでしょ……。少しぐらい話を聞かせてほしいのよ。」
女は明継の態度を御構いなしに続けた。
早歩きで、逃げ様とする明継、ホッと胸を撫で下ろす。
紅の事が表沙汰にならないのなら、問題はない。
「御話、出来ません……。失礼。」
其れでも、何処から紅の話題が出て来るかもしれないので、足を早めた。
「貴方も関係しているのですか。」
「失礼な……。変な噂をたてられては困る。」
今の時期に紅の存在が知れ渡れば、結果的に紅は保護され、彼は明継を怨むと思った。紅の意志で戻るなら、怨む事はない。
紅に忘れられても、怨まれるのは屈辱的だった。
第三者の力によって、二人の生活を踏み躙られるのは耐え難かった明継。
紅の意志で、三年前の状態に元に戻すのとは、雲泥の違いがあると感じた。
秋継の蛮声に、驚いた紅が不信に思って近づいて来た。
明継の元に来て、節の反対側に寄り添った。
失敗したと感じた明継は、すぐに作り笑いをして紅を安心させようと笑顔を造った。
節の視界に入らないように、仕方なく紅を連れて歩く。結果的に明継が邪魔をして節に紅は見えない。
節は、秋継の表情を追うのに必死だ。
紅の存在に気付いてから、冷淡に挨拶するだけだった。話し掛けなかった所を見ると、どうやら紅に興味はないらしい。少し安心する。
「慶吾隊が動いています。」
節は、声を潰して云う。
「慶吾隊が動いている。」
異質な言葉を耳にして反応してしまう明継。其の言葉で歩みを止めてしまった。
呆然と節の顔を眺める。
宮廷版、警察官の有能部隊に近いものである。主に、警護や内向きの仕事が多いが、慶吾隊が出動していると云う事は内密に処理したい事である。
明継が知っている限り、紅の失踪以外に主立った問題はない。
今まで宮廷のスキャンダラスは皇の威光を損ねるとして、揉み消されるのが風習になっていた。其れが原因でか、三年間も紅との生活が続いたのかは、分からないが、一つの要因にはなっただろう。
(だが、此処で内部陣が動いていると云う事は……。)
「先生……。」
隣に居る紅は、明継の背広袖を持って黙って立っていた。不安そうな顔付きでいる紅。
「慶吾隊程の上部の者が動かせる人間は、一人しかいないわ。」
意味ありげに笑う節。
「皇か……。」
「ええ。此の世に其れだけの権力を持っているのは、皇だけだわ……。其処を知りたいのよ。」
誘導尋問に引っ掛かり悔しそうに下唇を噛んだ明継に、追い討ちを掛ける節は紅に視線を移した。
節が狙っているのは、宮廷の一大事件だ。
皇院である紅隆御時宮の失踪の尻尾を掴み掛けている。
「彼……、弟さん。」
しまったと明継は息を呑む。一番握られたくない事を握られたと感じた。
「否。友達だ。」
「へぇ。たった三年間少しで同居するほど仲の良い友達……。」
又、不快な笑みを浮かべた節。
此の女は自分に関する諜報を手に入れていると明継は考えた。諜報はあるが、証拠がないため明継に釜を掛けているのだろうと感じ、黙った方が得策と思った。
自分が目当てか、紅が目当てか、どちらにしろ大変な事になるのは目に見えていた。
此れ以上は危険だと判断し、紅の手を引いて歩みを早めた。逃げるように紅を連れる。
背後で節が叫んでいる。其れに目も呉れず、足早に去って行く。