現代 十九 山
秋継が車を停めて歩き出した。三人の少年の姿は既に目の前にはない。
紅葉する樹の中に埋もれて行く様に人が歩いている。
時短営業の土産物の店の前で少年達を確認し、登山道入口でリフトのチケットを買った。
「行くよ~~。」
秋継が声を掛けると紅が近付いて来た。
「本当に奢りで良いのですか……?」
「学校も不規則ではあるけど始まったし、節がお礼をしたいって言っていたからお祝いだよ。」
秋継の左手の薬指には、結婚指輪が填まっている。
対照的に紅の薬指にも少年が好みそうなプラチナの指輪があった。
「リフトでしょ?一緒に乗ろうよ。」
晴が紅の上腕を掴む。晴の指にも紅と同じ形の指輪が付いている。
秋継が視線をずらして、見なかった事にした。
「嫌だ。俺が秋継先生と乗るの!晴でも良いから、乗って!」
律之がチケットを2つ貰うと、晴の手を引っ張って行く。
晴は名残惜しそうに紅を見た。
紅は手を振っている。
「どっちにしろ。リフトの降りた所で待ってるんでしょ?」
「うん。」
二人は声を繋げた。
緊急事態宣言が開けた山は思ったよりも人が居た。
日本人と定住している外国の人しかいなかったが、久しぶりの解放感に深呼吸をした。
「先生は登山が好きなんですよね?」
リフトに乗りながら足をプラプラさせて紅が問う。
「高尾山口は山と言うよりハイキングに近いよね?山は好きかい?なら、少し練習して富士山でも登る?」
紅葉している赤を眺めて、秋継が微笑んでいた。
「静岡のルートで登りたいです。お茶畑も見たいので……。」
「いいね。来年の夏に行こうか……。近場の山で慣らしてから登ろう。節が怒るかな?」
秋継が頭を掻いている。
「大丈夫でしょう。節さんも、来年には赤ちゃんが産まれて、怒る時間もないと思いますよ。」
「だから、余計だよ……。」
秋継が溜息を漏らしている。
住宅街から徐々に森林に登って行く様が印象的だった。
「晴とお揃いのリングにしたんだね……。」
紅が手を見る。
「晴が買ってきてくれました。……本当は、入れ墨を隠す為、何ですよ。」
紅はリングをずらし見せる。薬指に細い線が入っている。
「馬鹿な事を……。職業柄色々と就職に影響がでるよ。確かに、定年したら入れたいとは言ってたけど……。」
「今、入れないと意味がないと思って……。」
「何故だい?」
「内緒です。」
紅はもう答えるつもりもなく、登って行くリフトの景色を見ていた。
黄色や赤や緑のコントラストを緩やかに眺める。
「富士山には、晴や律之も連れて行って下さいね。節さんは無理でしょうけど……。また、登れば良いですよ。」
「そうだね。何時でも行けるし……。」
爽やかな風が頬を撫でる。
「紅の母は、どうだい?順調かい?」
「体は大丈夫です。電話で話しましたが頭もしっかりしています。もう、新しい職場を探していますよ。律之の家で待ってるので時間も早く過ぎますし……。」
「なら良かった……。」
「何か手伝う事はあるかい?」
紅は真っ正面を見詰めて、背筋を伸ばしていた。
「何もありません。」
「そっか……。」
二人は黙って、絶景を拝んだ。
前の晴達が自分達を入れた景色をスマホで写している。
「先生と写真を取りたいのですが……。」
「良いよ。撮ろう。」
狭いスペースにもっと寄り添う二人。秋継が紅の肩に腕を回した。
紅のスマホで目一杯まで腕を伸ばして距離を取った秋継。
タイマーの音がする。カシャッとシャッターが落ちた音がした。
「有難う御座います。」
紅はスマホを受けとると、笑みを浮かべている画面を見た。秋継は紅との写真を撮ろうとはしなかった。
「風が気持ち良いですね……。」
紅はマスクを顎まで下ろした。久しぶりに見た紅の顔は大人びていた。
横顔だけだが前を見詰めて自分の人生を歩む少年の姿があった。
「大きくなって……。」
少年の一瞬の成長を秋継が感じっていた。
「もう。降りる時間ですね……。」
紅は名残惜しそうに瞳を伏せた。
「まだ、山頂までは時間がある……。一緒に歩こうか……。」
「四人で歩きましょう。」
紅は微笑んで、リフトを降りた。
少し少ない人々を横目で見ながら律之と晴と合流した。
既に食べ物を買っている晴が、大きく手を振っていた。
「叔父さんは何だって?」
今川焼の様なペンギンの形をした物を紅に渡した。
「何も?晴は疑り深いな……。」
紅が頬張るとあんの味がした。
「歩くよ。おいで。」
晴の手を掴むと前へ進んで行く。少し離れた所まで歩いている。
秋継と律之がゆっくりと歩を進める。
砂利道の様な、舗装された緩やかな上り坂を歩く。
「過去の記憶を得ても紅との関係が変わらないな。俺なら信じられないよ。時継以外と添い遂げる何て……。まあ過去の記憶も違うし関係性が違うのかもな?分からないけど……。でも、その目は諦めているのだろう?」
「諦めているよ。節が居る。守らなくてはならない家族が居る。でも紅を愛おしいと思う気持ちは変わらないな……。」
「不穏な……。」
「紅が望む結果にならないのなら、自由にしてやりたい。あれだけ苦しんだんだ。多分何度も何度も諦めて……。未来を掴んだんだ。なら俺が出る幕はないよ。」
「二人して互いの幸せだけを望むか……。紅のタトゥーは秋継の為に入れた物だぞ。」
秋継の眼球が鋭くなる。
「何故?入れる必要はない。」
「晴にも話していない。だから黙ってやってくれ。紅の誓いが込められている。秋継と又出会えたら初めに見つけて欲しいと言う願いがある。毎夜、泣いているんだよ。私は寝た振りをしているから紅は気が付かないと思う。晴の指輪の下にあるタトゥーに念じてるのを見た。」
秋継が目を伏せた。歩みを弱め遅れを取る。
「すまない。もう俺には何も出来ない。手も繋げない……。」
「知っているよ。節を裏切れないのも。紅を選べないのも……。肉体の関係にならなかったからこそ純粋なのかもしれないな……。でも私の記憶では倫敦に逃げるのだがなあ?節の最後の報告では、明継が手を出す気、満々だったと聞いてるがな……。違う過去なのかも知れないな?」
秋継も首を傾げた。
「俺なら、過去の時代で紅に手を出してる気がする……。」
「奇跡の三年間だったのだな……。二人の同居生活は……。」
「俺も自信ない。過去が何個もあったら、どれかは必ず手を出してる自信がある。でも今ではない。令和ではないよ。節が側に居るなら裏切らない。……裏切った方が怖い。」
「もう尻に退かれているな。なら紅が泣かなくて済む。それならそれで良い。晴は紅の為に存在する様に居るな……。」
「まるで、晴は王子様みたいだ。俺より似合っているよ。紅には、俺は勿体なさすぎる……。」
律之は微笑んだ。馬鹿にする様な笑いだった。
「お前の兄は頂くがな……。今は従兄か?過去も未来も頂くぞ。私は欲深いのだからな……。」
「時継さんは俺とは関係ないよ。令和でもお幸せに。」
「私が兄になるが苦しむが良い。」
秋継が律之を二度見した。
不適な笑顔の律之に言葉を掛けるのを止めた。
涼しくなった風が髪を靡かせる。それに伴い枝が揺れる。
紅と晴が止まって待っていた。女坂と男坂の前だった。
「叔父さん。どっち行く?」
手を振っている晴に秋継が叫んだ。
「女、何ていないだろ?」
晴が紅の手を取って男坂に進む。石の階段を登り始めた。
「嫌みか?時継も男だぞ……?やはり兄の相手に不足か?」
「深い意味はないよ。只今を楽しみたいだけだよ。」
二人はゆっくりと階段に足を掛けた。
律之が上の二人に近付こうとペースを上げた。
晴が坂を降りてくる。律之と言葉を交わし、秋継の元へやって来た。
「あのさ、叔父さん。安定期くらいの妊婦置いて来てるんだから、早くしなよ。」
「大丈夫だ。節には山頂で電話する。」
「只町並みが見えるだけでしょ?ハイキングに紅が行きたがったの?」
「嫌……。富士山を見せてやりたくてな。でも登るなら体を作らないと……。」
「もう紅と約束してるの?節さんが怒るよ。」
「大丈夫だ。富士山に連れてくのは節の提案だ。本当は今日も来たがったけど、妊婦には大事を取らせた。」
「当たり前だよ。まだ不動産で働いて、その上臨月ギリギリまで働くって……、産まれたら直ぐに仕事復帰するって意味が分からないよ。」
「節の強い希望だ。働かないと落ち着かないらしい。」
「女性は逞しいね。育児は手伝ってあげなよ。叔父さん放ってきそうだから……。」
「大丈夫だ。節が文句を言うに決まってるよ。手伝うでは無くて率先してやるよ。」
秋継は声高に笑った。晴は溜息混じりに頭を掻いている。
「富士山には僕も登るよ。紅との思い出を一つでも多く作りたいんだ。紅が思ってるより僕は本気だよ。折角、生きているんだから楽しい記憶を共有するんだ。過去を越える思い出にする。だから大人になる迄は叔父さんも手伝って良いよ。車を出すとか?金出すとか?働いてからは僕が面倒見るから安心して!」
「心配はしていないよ。律之くんも晴も居る。同年代の友情は強いよ。」
「紅に対しては僕は友情じゃないよ。同性婚、何て当たり前だよ。今の時代。」
秋継の髪が靡く。
森林の匂いのする空気。
「今の時代は……。そうだな。新しくなるのかも知れないな。江戸が明治になってた様に換わっていく時代なのかもな……。」
「時代が変わっても、人の思いは変わらないよ。愛する者への幸せ。側に居る事。多分変わらないよ。」
「そうだな……。」
二人は冥々に黙って坂を上がった。階段を登る足取りは軽い。
「節さんの赤ちゃん、性別が分かったんだって?」
「女の子だ。もう名前も決めてある。」
晴が訝しそうに秋継の顔を見た。
「叔父さんにしては、気が早くない?まだ、安定期ギリギリ入るか入らないかだよ?」
「でも節と話し合って決めたんだ。伊藤 春が良いって……。季節の春な。春に産まれて来るんだけど、時期を待って咲く花の力を身に付けて欲しいんだよ……。」
「なら?桜ちゃんじゃないの?あの桜の花ではないの?」
「もう一つの意味もあるんだ。春を待つって言う意味。」
「春を待つ?」
「冬の季節にも生き抜いて、春を待って花を咲かせて欲しいんだよ。」
「叔父さんなりに考えてるんだね。でも僕と同じ呼び名で良いの?僕と叔父さんになるだけど……、春ちゃん……。」
「節が良いと言ってるんだから良いんだよ。」
「名前からして、紅にべったりな子になりそう……。」
「まさか?俺も育児に参加するんだぞ。節が嫌がると思うんだよ。まだ紅に嫉妬してるんだから……。これから二人に嫉妬されるの嫌だな……。」
「まだ紅が叔父さんに未練があると思うの?」
秋継が黙っていた。律之から話を聞いた後だから余計だった。
「紅は僕が貰う。髪の毛一本も、爪の垢もあげないよ。無駄に嫉妬されてれば良いよ。」
「そうだな……。もう家族が居る。世帯主だから、しっかりしないとな。俺がぶれる訳には行かないよな……。」
秋継の思い詰めた顔を見て晴が黙った。
微笑んで階段を上がりきる。
平らな地面に出た。
「山頂までは後、少しだ。」
秋継が紅と律之に聞こえる様に大きな声を出した。
ザワザワと枝が風に任せている。
第二章 現代 は終わりです。
でも、話しは、まだまだ、続きます。
不定期投稿です。
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