現代 一六 朝食
台所で節と紅が朝御飯を作っている。
ご飯が炊飯器に残っているので和食にした。味噌汁と卵焼きを二人で作っていた。晴が居るので甘めのだし巻き卵を焼いている紅が、微笑みながらフライ返しで巻いている。
何故か、紅は秋継に飯を作るのが嬉しかった。
「料理が好きなの?」
節が味噌を溶きながら呟く。
「はい。」
過去の記憶を取り戻してから紅の様子が時宮 紅ではなく、過去の記憶にはある紅隆御時宮に似ていた。
「菜ものがないですね。茄子の煮浸しでも作りましょう。」
紅が冷蔵庫を開く節が苦い顔をした。
冷蔵庫に食材が詰まっている。秋継が一人暮らしを始めた時から見ているが紅の物が少しづつ増えている。
節が残した物は殆んどない。何故なら秋継が嫌がったからだ。
紅の事は自然に受け入れて居るのが分かる。
「秋継が嫌がならない?冷蔵庫に食材があると……。」
「先生は何もおっしゃりません。自炊しているのも先生に感謝を表す為です。少しでもお返し出来れば良いですが……。」
「確かに私は料理が出来ないわ。秋継は喜ぶと思うけどやり過ぎではない?」
「朝食を作る事がですか?」
紅が不思議がっている。
節は黙っていた。秋継は身の回りの世話を焼く女が嫌いだった。一度、何故駄目なのか聞いたことがある。
『違和感があるんだよ。飯を作ったりお茶入れられたりするのが……。誰か違う人がしていた様な気がする……。だから世話をやかなくて良いよ。』
節は直ぐに誰が世話をやくのが当然か理解できた。紅だと分かったが言わなかった。過去の記憶のない秋継に説明は出来なかったからだ。言葉を飲み込むしかなかった。今までは、紅が居なかったからだ。
「出されたお茶を飲まなかった事はない?」
「お茶ですか?先生は飲んでますけど?」
紅は質問の意味が分からなかった。手が止まっていて、慌てて卵を巻いた。
「愚問だったわね……。」
節は吐き気がした。
秋継が目の前の紅に特別な想いを抱くのは必然的、紅の影に嫉妬しても無駄だと分かっていた。既に、紅が現れてしまったのだから……。
(予想していた事態になっただけだ……。)と節は言い聞かせた。
「ご飯を早く作りましょう……。」
節の鼻から、ご飯の匂いがして胸がムカムカした。手の甲を鼻に当てて落ち着くのを待った。
「節さん。顔色が悪いです……。眠っていないのですから、休まれたらどうですか?仕事もお休みでしょう?」
紅が心配そうな視線を向けた。
「そうね。お言葉に甘えるわ。少し横になる……。」
台所から節が出てくるとダイニングで秋継と晴が黙り込んで座っている。
テレビだけがニュースを流していた。
秋継が立ち上がると、節の側に寄って来た。
「どうした?」
「ちょっと気分が悪いから休ませて貰うわ……。」
「ごめんな……。」
「秋継が謝る事ではないわ……。仕事だけは行ってね。今日も泊まるから安心して……。」
節が秋継の書斎に向かった。ベットに戻る様だった。足元も少し、ふらついていた。
「叔父さんが付いて行ってあげなよ。不安なんだよ。彼女のサポート位はやってよ。」
晴が不満げに言い放った。
「そうだな……。」
遅れる様に部屋に入っていった秋継。
ドアが閉まると、ダイニングに晴だけになった。
「叔父さんてばこんな事を言わせるなよ……。」
晴が不機嫌に腕を組み直した。
紅がお盆を持ってダイニングに出てきた。三人分の食事が乗っている。
「あれ?先生は?」
「節さんに付き添っているよ。」
テーブルの上に、食事を並べる。ご飯と味噌汁と茄子の和え物と卵焼きと海苔を一人分づつ分けた。
「先生は出社前なのに時間は大丈夫でしょうか?」
「大丈夫じゃない?大人なんだから平気だよ。」
「では先に頂きましょう……。節さんも食べられたら良かったのにね。今日も食べないそうです。」
晴が嫌な顔をした。
「紅さ。敬語を辞めてくれる?あのさ。気味が悪いよ。元に戻してくれないか?」
「ごめん。何か分からないけど……。勝手になってしまうみたい……。」
「無理にとは言わないけど、紅は紅だからね。忘れないで……。」
晴の目付きが鋭くなった。
「知ってる。晴には感謝してるんだよ。唯一、変わらない人だから……。」
「どう言う意味?」
「過去の投獄された記憶の関係ない世界の人だから……。多分、晴は必ず私の側にいるんだよ。確信はないけど世界が変わっても名前が変わっても居てくれる。」
晴が立ち上がった。
「ふざけんなよ!僕は、僕しかいない!世界なんて関係あるかよ!紅の為じゃない。自分の為に生きてるんだよ!」
紅がびっくりした表情をした。晴が紅を怒った。
「ごめん……。そんなつもりじゃない……。」
その時紅はポロポロと涙を溢していた。
晴は愕然と立ち竦んだ。目の前の紅はもう既に自分の知っている紅ではないと思った。
母親から捨てられそれでも信じて待っている、強さのある紅ではない。最愛の人を得て失う怖さを知っている一人の女性の様だと感じた。
「ど…どうしたんだよ?紅らしくない……。」
どちらが本当の彼かは分からない。だが記憶のない時間に戻れない所に紅は居るのだと、晴は思った。
駆け寄ると紅を椅子に座らせた。
「何があったんだい?過去にも現在にも何があったんだい?話せるだけ話して……。」
「何でもないよ。只先生が生きている事だけが嬉しいんだよ。信じて貰えないかもしれないけど……。ずっと想い人が死ぬ夢を見ていたんだ。ずっと母さんだと思っていたけど、先生だったんだ……。独りで窓の外を眺めて、待っているんだよ。でも先生は帰って来ない。『さよなら』だけ伝えて、目の前からもぎ取られる様に連れていかれる……。毎日夢で見ているのに、朝には帰りを待っている。必ず帰って来ると信じて待ってるんだ。でも誰も来ない。分かっていて眠りに着くんだ……。」
「今の紅と同じに待ってるんだね……。母親を待つ様に……。叔父さんを過去で投獄されて待っている時に紅は死んだんだね?だから、紅は自分の家に帰りたがったのかい?」
「多分そう。母さんを待っているのと同じに、先生を待ってるんだ。啓之助が抱き締めてくれた侭力尽きた。誰に抱かれてるかも分からない状態だったんだよ。」
晴が射ても立ってもいられず、紅を抱き締めた。
「ごめん。酷い事を言って……。過去だけの話かと思った。違ったんだね。今の紅にも言える事だったんだ……。」
紅は、もう泣いてはいなかった。晴の腕の中で微笑んでいた。まるで、最愛の人に抱かれて居る様に安らかな顔をしている。
「僕では駄目かい?待ち人は僕では駄目かい?叔父さんでないと駄目なのかい?帰って来ない人より、僕が君を幸せにするよ。」
「有難う。今は誰を待っているのか分からないんだ。先生だったのか、母さんだったのか……。晴だったのかも……。」
「僕も待つよ。一緒に側にいるよ。紅が誰を好きでも構わない。最後の時を側に居られれば、僕は満足だよ。心まで欲しがった僕が最低だ。まだ誰も選べないのは、紅の所為ではないよ。」
「有難う。もう甘えてはいけないと、過去でも啓之助に言うんだ。でも今の晴と同じ様に『側にいる』しか言わないんだよ。」
「甘えて良いよ。僕は離れないよ。最後まで一緒だ。紅の母親が帰って来たって、紅の側にいるよ。」
「有難う。」
紅は、晴の優しさに身を委ねた。
嗅いだことのある匂いに、安らぎを覚えながら微笑んだ。
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