現代 十二 記憶を辿って13 (過去 三十二 紅の文)
「先生。」
悲鳴が紅の部屋で響く。
驚いた節と修一が、蒲団の角に顔を覗かせた。
「どうしたの……。紅。魘されていたわよ……。」
節は上着から手拭いを取り出し、紅の額を辿った。
「えぇ……。先生の夢を見ていたのですけど……。」
体を自力で起こして人の助けなしに端座出来るだけに回復した紅。
しかしまだ目眩が残るらしい。其の反面食欲が出て来た。
「先生……。今頃何をしているのでしょうね……。」
辛そうに眉をひそめた紅。
「会いたいのね……。」
節の問いに哀しそうな瞳をする紅。
会いたくても会える訳がないと知っている。紅の姿がはんなりとしている。
「会おうとして暴れても先生を見る事すら出来ない。なら元気になって、先生に会える日を心待ちにしようと思って……。」
途中から涙声になる。
だが振り絞って微笑を作る。其れを見た二人は、紅が哀れで仕方なかった。
「先生に……、先生に……会い……。」
しゃくり上げる声。最後まで云う事すら出来ない言葉。目は潤んでいるが粒にはならない。
「紅……。其の様に、明継の事が……。」
頭を撫でる修一。
其の手を払い除けた紅。
明継との最後の思い出が塗り潰された気分になったからだ。
明継が髪を撫でながら、「昔に戻った気がしますね」と最後に微笑んだ。彼はきっと紅を待っている。
呆然としている修一に、紅は曇りのない凛々しい顔付きで、「すみません。」と謝った。
「先生は私がいないと駄目なのです……。」
今迄泣いていた子供が、何故そう云う風に云ったのか分からなかった。
節と修一には分からない事でも、紅には確信があった。根拠はないが明継は自分を必要としていると……。
「御二人にお願いが……。」
改まって節を見詰める紅。
節は笑顔で返そうと努力の跡が見える。しかし、本性が出て来た。
「嫌だからね。私の振りしてこの部屋を抜け出すなんて、後で怖いもの。」
節が必死になって拒否した。紅の嘆き方を見れば次の台詞はこれだろうと山を括った節。
「違いますって……。此れを半田さんと先生に……。」
小さな封筒に和紙の文が入っていた。
綺麗で淡粗な文字に宛先人の名前が墨で書いてある。
「分かったわ……。」
節は紅の手から受け取り強く頷いた。勘違いした自分に恥ずかしくなった。
「直に渡すから……。急いだ方が良いわね。半田さんの方は林くんに渡して良い……。」
紅は微笑んでいた。
節と修一は門番が錠を外すと同時に部屋を飛び出した。
まだ春なのに走った所為か汗が吹き出して来た。宮廷では歩くのがマナーだが気にも止めなかった。
下女達が怪訝そうに陰口を叩いている。
それでも走った。
監獄の慶吾隊員に足止めは食らったが、順調に明継に会いに来られた節。
一瞬で走って来た暑さが退いた。
牢獄に収容されている明継の今にも呻き声をあげそうな様子に寒気がした。
既に天井から吊るされておらず地面に座っている。
明継の様子が可笑しいと分かる。だが何故その様な状態になっているのか理解出来なかった。
「どうしたの……。伊藤さん。」
驚きと恐怖が入り混じった声。
「あぁ……。御前か……。」
明継が我に帰る。
節は自分では分からない不安に賽の目られる。
紅から受け取った手紙を配膳の隙間から滑らせる。兵士達に見付からない様に、静かに物事を運んだ。
「紅の手紙よ。渡してくれって頼まれたの。これぐらいならしても良いかなと思って……。」
明継は即座に手紙を広げた。二文しかかいていなかったが嬉しさと懐かしさが込み上げた。
『先生、体は大丈夫ですか。ご飯は食べていますか。先生に会うためなら手段を選ばないと思います。先生に会いたいです。』
明継の視線は手段を選ばないで止まっていた。ぐるぐると同じ所を読み返す。明継の目の裏側がチカチカと閃光花火が輝く。
「あ、有り難う。」
明継は視点を空に向けた侭返事をした。
「何かあったの……。」
節が心配そうに秋継を見ている。
「修一はいないのか……。」
「紅様の文を半田さんに届けているわ。呼んで来た方が良いかしら……。」
「事件には修一の方が話が回ってそうだから話したかった。」
「紅様が暗殺か……。犯人か……。まだ、真相は分からないわ。」
「佐波様が云っていた。紅が俺と逃げようと、三次朗を唆して門番を殺したと……。」
「何を云っているの……。紅様にその様な体力はないわ。食わずの誓いもしているの。だから体力的に逃げるのは無理よ。やっと寝床から起き上がれるまで回復したわ。紅様の側にいる啓之助も護衛と紅が自分を傷付けるのを止める為にいると思うわ。」
「紅が指示して殺した可能性はあるか……。」
「私はないと思うわ。佐波様が其れを云ったのなら諜報をねじ曲げて、紅様を陥れたい奴がいるのよ。其れも佐波様の信頼に厚い身分の高い奴がいるのね……。」
「確かに……。」
明継の頭の中から、佐波の言葉で自供してくれと叫ぶ。
「監守……。何処だ。」
男達が目の前に立ち並ぶと、明継は冥々の内に話を始めていた。
節は其れを見ずに立ち去った。




