現代 十二 記憶を辿って12 (過去 三十一 佐波の報告)
明継は節と修一が去った後、又冷たい牢獄生活に逆戻りした。紅の事を聞けて少しは心が元に戻った気がする。
今迄心が凍結して何も考えられなかった明継。紅の事を思い出して、夢の中で暮らしていた気がする。
現実世界に戻す切掛けを、節と修一が作ってくれたのだ。だが我に戻っても、自分の局地的な立場は変わらず、死刑囚として、死ぬまでの時間を数える日々になりそうだった。それを考えると不安と恐怖が入り乱れる。
「何時になったら、大審院が始まるのか……。」
問い掛ける明継。だが答えは或る訳ない。逮捕されてから記憶が欠落していたとは云え、通常の拘留期間を大幅に過ぎている。
「開廷する気配もない。可笑しいな。私を、捕まえても罪を償わなければ、何の意味もない……。もしかして紅を宮廷に連れ戻す為に私を逮捕したのではないか。紅には嘆く親の気配もしないし……。」
考えを纏めようとして紅が親の話をした事がないのを思い出した。口調から紅と親の間が不和である事も伺わせていた。
紅の親なら皇院の血族であり、それだけ権力がある親ならどんなに仲が悪くても、心配して権力を存分に使うはずである。
三年間も誘拐されて黙っているはずない。其れなら考えられるのは、親が亡くなっている確立の方が高い。
「では誰が紅を宮廷に戻して、得をする者はいるのか……。」
宮廷の内情に詳しくない明継にはその質問は答えが出なかった。
部外者の節や修一に聞いても無駄だと思い、紅に聞きたいが、この身では動きが取れない。口惜しく唇を噛んだ。
「伊藤殿。今日はお元気そうですな……。」
明継からは声の主人が直ぐ目に入った。
「律之さん……。」
双眸が開きっぱなしになる明継監視区域である場所での登場に、明継が訝しくしている。
「どうしました……。伊藤殿。」
其の口調だけで誰かを考えた。
慶吾隊か指揮官か身分の高いものしか入れない場所に、律之がいる。下働きに来た様ではない。
年齢的に考えるのと声の口振りで佐波だと思った。
「律之さんは佐波様ですか……。」
語尾に疑問型が付いてしまう。明継の反応を見て佐波は直ぐに声高に笑った。
「其うか……。伊藤殿とは、始めて佐波として顔を見せるのだな……。何時も下座にいたからか……。」
「ではどうして此処へ。そして、何故、身分を偽ったのですか……。」
「下男に化けたのは、時継の案だ。佐波の姿で現れる訳にはいかなかった……。」
明継は今迄考えていた疑問を解く適任者がやって来たと喜んだ。
「佐波様。何故私は大審院で裁かれないのですか……。」
「一般に大審院をするなら記者が来る。紅を公表する訳にはいかない……。」
「紅を其処までして、隠すのは何故です……。」
佐波は冥々の内に黙った。
驚いて黙っていると云うよりも、真剣に悩んでいる様に見えた。
「紅は…。」
口篭もる佐波が其の後の言葉を伝える事無く、口を噤んだ。目線を伏せてしまっている。
「紅は皇院。私は、第一皇。この関係は知っておろう。」
明継は頷いた。
「私と紅は顔が似ているのは、分かるだろう。何故なら、紅と私は双子の兄弟。皇子が双子では問題がある。忌み子は弟が殺される。母が命をとして紅の命を抗った。だから、紅を皇院の位に落とし、生きながらえさせた。皇院は第一皇の血族が多い。何故なら、顔が似ていなければ皇院は、影武者として利用出来ない。戦争で皇の身代わりに殺害されたりする。伝統の習わしなので古株の臣下はそれを賛成し今でも継続している。」
明継は一瞬の内に脳を殴られた様な衝撃を覚えた。整理出来ない頭で唯一分かった事があった。
「皇院と第一皇は影武者の関係なのですね。」
「皇院とは皇陰とも書く。」
明継は唇を強く噛んで、言葉少なに頷く。大きな怒りで振える明継。
誰が……。何のために……。と聞いたとしても佐波は自分の知らぬ所で発生した伝統と撃ち捨てるだろうだが、牢屋にいる限り身動きが取れない。
「成人の儀まで紅をどうしても生かさなくてはいけない。だから、三年間誘拐されても問題はない。」
間の抜けた疑問が声になった明継。
「成人の儀式までに紅を確保すれば、私は皇になれると考えた家臣がいた。だから、三年間明継の事を伏せる事が出来た。私の成人の儀が終われば紅を公に影武者の皇院として公表出来る。其れ以外に公表したなら、下手に陰謀に巻き込まれ抹殺される可能性の方が高い。危険な事になる前に某人物に預けたと、紅の後見人達には云っていた」
国を動かす第一皇の次元で話されて、頭が混乱していた。
「でも皇が死んで皇院が第一皇に成りすます可能性は……。」
「それを避ける為に皇の子供以外は体の一部に焼き鏝がある。その上皇が死ねば皇院は殺される運命。」
紅の体にもそれがあるらしい。だが、マジマジと体を見た事はないが明継の記憶になかった。
「皇子でも昔は病気で死ぬ確率の方が高い。だから大人になってから公表した方が、皇の立派な姿に人心も引き付け易い。昔の風習を其の侭受け継いでいるだけだ。」
少し明継が考えてから云った。
「紅の諜報を流したのは佐波様ですか……。」
小さく頷くと佐波は申し分けなさそうにした。
「十五に近づき皇院の紅を連れ戻そうとする一派を押え付けられず、慶吾隊が伊藤殿を逮捕してしまった。すまない……。」
佐波は頭を深く下げた。
其れ以上に佐波の何とも言い難い、憂いが明継には分かった。
彼は過去の事を謝罪したのでないと明継は感じた。
「その上……。」
「変死体の件ですか。」
意中を衝かれたと顔に書いてある佐波。
言葉を飲み込みながら、信じられない言葉を吐く佐波。
明継は外れを聞きながら、頭の芯が痙攣を起こして今にも倒れそうな感覚に襲われた
「もう一度お願いします。」
何度も聞いた気がした。信じられたい、信じたくないと木霊する。明継は踏み留まると、佐波の言葉を反復した。
「紅が殺人を示唆した。」
「どう云うことですか……。」
「紅が伊藤殿を助けようと、三次朗に牢獄の鍵を持ち出す様に指図した。」
「紅は牢獄に来れない筈です。」
「それでも来ようとしたのだよ。殺された門番はもう一人の門番。三次朗に殺された説が有力だ。」
佐波が溜息を吐いた。
「牢獄の周りに慶吾隊の監視があり逃亡は断念。逃げられないと踏んだ紅は部屋に戻り自分が殺されそうになったと、何を逃れようとしている。殺人者の三次朗は廁へ云ったと嘘を付いているが捕まり、口を割るのは時間の問題だ。」
明継は涙が止まらなかった。哀しくもないのに泪が一本の線のように流れて行く。止めど無く出て来るのに、体が動かない。
「真意を確かめる為慶吾隊の人間にも、三次朗にも探りを入れた。犯行を一部始終見ていた下男にも会った。」
「目撃者が居たのか……。」
「悲鳴を上げた下女ではない。」
「此れは、啓乃助が紅の口から聞いた事だ……。啓之助は幼い時に紅が友達だった人物。其の紅が嘘を吐くとも思えない。その上半田の進言で彼は紅の側に付いている。彼は半田の腹心だ。身を呈して紅を助ける。」
佐波も泣き崩れる様に大地にしゃがみ込み、地べたに顔を擦り付ける。
「啓乃助は私が放った者だ……。」
佐波は言葉を詰らせながら云い続けた。
「伊藤殿を逮捕しなければ……、この様な事にはならなかった。すまない。すまない。」
目の前の明継に謝っているのではなく、遠くの紅に弁解している。
「紅は計画犯であって実行犯ではない。」
佐波が数回口にした。それでも慰みにしか聞こえず。
現実を受けられない明継。彼の中で大切な物が砕けた。
「私にその様な話をして何が云いたいのです……。」
目が死んでいた明継。それに気が付く事無い佐波。
「無理を承知でお願いしたい。紅の身代わりになってくれ……。」
倒れ込んでいた男とは見えないほどの、凛とした声色で、明継に云い退けた佐波。
恥じも理不尽さも殴り捨てて佐波は其処にいた。意志の強さが分かる目の色。シャンとした背筋。迷いがないと一見で分かる。
「それの意味が分かって云っているのか……。まだ、紅が命令したと云う証言しかない。それも、親交が昔あった啓之助だ。それを裏付ける殺人を見ていた下男が嘘を吐いている可能性もある。」
明継が佐波に昔云った言葉を其の侭、返した。彼は顔色を変えず衝撃も受けず、視線を向けている。自分は十分承知で、それを云っていると態度で現した。
「私に紅の代わりに偽証して、紅の罪を被れと……。紅は何もしていない。其れこそ事件の捏造だ。紅が命令したとは思えない。」
佐波が頷く。
明継は地べたを這う様な声で、「考えさせてくれ。」と一言述べる明継。
体の底から来る悲しみはもうない。ただ、今は何も考えられないだけだった。
佐波の申し立てが、頭を巡った。
此の侭では紅が軍事裁判に掛けられて、殺されると踏んだ佐波が、明継が殺しを依頼した事にしてほしいと頼む。
どの様な結末を招くか知っていて、頼んだ佐波は卑怯だ。
そして……。
即答出来なかった明継にも迷いがある。紅の人生を文字どおり、不幸にした。明継も非があると……。だが、明継の考えに全て結末がなかった。悲しみは姿を消し彼は暗がりに身を潜めた。




