現代 十二 記憶を辿って 8 (過去 二十七 血飛沫)
紅をさして頬紅も付けた。垂髪ではなくモダンな洋髪で、最新式で高値の洋服を取り寄せたりしていた節。
颯爽と風を切る姿は近代女性の理想像かもしれない。何より出版社が一番始めに女性を採用した事でも有名であり、文学誌や同人誌などでは女性の奮起は珍しい物でもなくなって来た。
紋付き袴の純日本人が過半数を占めている中、女性達が御洒落や勉学に目を向け始めた時代でもあった。
身分上位者が女性の決起を疎ましく思っている者も多く、女性だと云うだけで差別の対象にする。
(節は、元来日本は男性社会なのだから……、)と、めげ掛けた心を打ち消した。
誰もが自分を嫌悪に思っている人物とは、直感で分かる者である。佐波は自分を目の敵にすると直感で分かった。会いたくない気持が先に立ちってしまう。昨日の様に偶然会うとも思えないが、紅に約束した反面仕方なく家を出た。
天都の中心にある皇の住まう宮廷の片隅に、罪人になった明継と囚われた紅がいるとは誰も思うまいと考えた節。
だがだだっ広い敷地内では、宮廷と牢獄の有る別館は場所を確認出来ないほど遠い。
「面会に来ました。」
監視番の灯台守りがいる。しかめっ面を尚、殺気だって睨んでいる。
勤務上部外者に口を挟んではいけない警護隊の兵士が、
「今日無理だ。お引き取りを願う。」と薮から棒に云い退ける。
何やら他の者の様子も中の様子も可笑しい。ハッキリ云えば何時も静まり返っている壁の内側が騒がしい。
「私は……。」と身元を明かそうとした。
上側が弓形状になっている観音開きの扉を、押し開けた人物がいた。
節は顔を見て思い出した。自分に紅に会って欲しいと云いに来た召し使いが、目前にいるのである。節は、目前の男の名前は知らなかった。初見に誰の使いとも云わず彼は自分の名前すら名乗らなかった。
「こんにちは。田所 節です。以前御会いしましたよね……。」
「私は、紅隆御時宮様の後見人の半田と申します。」
二度目に合った時は身元を明かしたので、少しほっとする。
「ええ……。覚えていますわ。」
上品に嫌みっぽく云い払った節。
彼女は喧嘩を売ったつもりが軽く流されて、半田は話を続け様としたが人目を警戒して口を噤んだ。
「此方で……。」
手招きされると節は中へ進んで行った。
紅の部屋とは逆方向の客用対談室に連れて来られ、向い側の椅子に腰を下ろした。
日当たりの良い極上の客室だった。西洋館特有の等身大の硝子窓がある。其れを、薄い窓かけで覆われていたが日光を遮らず透けていた。
「貴方も紅のお見舞いですか……。」
聞きなれた修一の声がした。
節と真向かいの席に座っている。
どうやら彼も同じ様な事を考えていたらしい。
「で……。何があったのかしら……。」
招き入れられた客は自分と修一だけだと話を進める。
半田は真剣な双眸で二人を見た。
「口外なさりませぬな。」
釘を打ってから話を始めた。
「時宮様がいらっしゃる部屋の前に門番が立っておりましょう。其の一人が昨日変死体で発見されました。」
節達は耳を疑った。
さして追いはぎの類が稀でない時代。
天都だけは平安な都として伝えられていただけの治安維持は万全である。貧民村や危険な地域さえ除けば皇を守る天都は、理想であった。其の宮殿で変死体騒ぎが出た。
「発見されたのは何処ですか。」
「幾分発見されたのは、紅隆御時宮様の部屋の前。死亡推定時間は、夜八つ頃。発見されたのが浅いもので、確かでは有りませんが……。」
真面目な口調の半田の会話に語尾がなくなっていた。
諜報が錯乱している様で、まだ発見されてから数時間しか経過していない物と考えられる。
(仮にも牢獄は政治的服役者達の住処。例え明継を含め十数人以下の其処に近い場所で殺人が行なわれたとしたら…。)恐ろしくて想像もしたくない。
「現在亡骸は検証のため、調べています。」
始めは二人とも鳩が豆鉄砲を食らった面持ちだった。
節は新聞記者の端くれ、重要な事を記入し即座に対応した。だが職業病の一種で口外出来ないと思い出した時には、口惜しさが残る。
「犯人の目星はありますか……。」
「現在この宮廷に常務しているのは、数百人の召し使いと役人も数十名おります。客人ともなると計算は不可能。台帳に確認を取るまで、暫しの時間が掛ります。昨日の深夜宮廷の敷地内で勤務していたのは、旧慶吾隊官舎を合わせて数十名。其の中でこの場所に入れるには、表の門からだけです。警護の者が面会時間を過ぎてからの人影は見ていないと申しています。」
「旧官舎の内部犯と思われると……。」
言葉を濁した半田とは裏腹に修一が、ハッキリとした口調で云った。
走り書きをした手帳に視線を落した侭節も頷く。半田が浅く頷く。
「深夜警護に付いていた数十名の慶吾隊員。伊藤殿。彼を監視するために数名の隊員。彼等は全て二名で行動しており、殺害時刻の確認済み。」
「でも変死体で発見されたと云われても、殺人では無いですよね。」
話の内容からは明らかに殺人と取れる発言ばかりだったが信じたくない一身であった。
半田に尋ねた節。
「目で見た方がよろしいです。では紅隆御時宮様の部屋まで付いて来て下さい。」
半田と節達は、また場所を移動した。直ぐに昨日来た紅の部屋の方へ向かっていると分かった。何時もなら静寂に包まれている敷地内は、変な活気が溢れていて人の往来も多い。
紅の部屋の近くになると異変に気が付いた。少し離れていても分かる。
「此れは……。」
節は自分でも声が出せただけ、偉いと思う。
其の場所は廊下であった。花崗岩のくすんだ白が、一尺四方の大きさですら確認する事が出来ない。
血飛沫で天井や、地べたが赤く血の雨が降り注いだ様に見えた。黒ずんだ赤で四方かしこなら現実感がない。しかし一滴一点が確認出来る。
元の石の色が確認出来る場所があったが、一ヶ所だけ綺麗に人型にも見える。
尋ねなくても其の場所で人が、倒れていたと想像出来る。
動脈から来る綺麗な血液だと分かった。
「これは背後から首を一撃ですね。」
節は『修一。何で、其んな事分かるの……。』と問いたかったが、怖くて聞けなかった。
現場にしゃがみ込むと修一が手慣れた手付きで、半乾きの赤い液体を触った。
「鉄臭い……。明白かに人間の血の臭い。其れに、動物ではこんなに血は噴き上がらない。」
修一も何時もより饒舌になっている。彼が冷静なのは、決って考えがある時だった。
「犯人は手慣れていますね。一撃ですか……。」
半田は頷く。
「首に一撃が致命的な死因だと……。刃物を抜いた時の、大量の出血でのショック死と思います。全身の血を三分の一、吹き出しても尚流れ続けていた物と思われます。」
半田は、現場に近づかず、少し遠くの方で話している。
「調査は邏卒が行っていますか……。」
「宮廷の事なので、慶吾隊が行っています。」
節は興味深く二人の会話を聞いている。
此の侭明継と同じ様に隠蔽されそうで恐ろしかった。宮廷で起こった事件なら、皇の威厳を低めるとして、一人の命を奪った犯人までも隠されるだろう。
「確か殺害時刻に門番は、二人居た。一人は殺害。もう一人は何処にいましたか……。」
節が血を踏む訳にいかず必死になって避けていたが、無理だった。仕方なく修一の側に寄り添い、二人の会話進行を聞いているだけにした。
「犯行時刻もう一人の門番の三次郎は、厠に行って帰ってきたら、殺害されていたと述べています。時宮様の門番は原則的に随時二人配備しています。日に三交替、長時間はその場を離れる事は違反とされているので、厠に行った兵士も十分間位で帰って来たそうです。」
「其の兵士が同僚を殺したとは考えられませんか……。」
半田は渋る。
そんな事まで話して良い物かと、顔に書いてあった。
「事情は今聞いています。」
修一の話からも手練であり、訓練を受けている慶吾隊員なら打って付けの隠蔽相手である。
ハッと我に帰り思い出した節。
「そうだ……。紅様は何処に居るの……。」
「この中に…。」
紅に下手に殺害現場を見せない事だけが救いであった。
「事情は話してあるのですか……。」
半田は首を横に振った。事件があったとは云ったが、詳しい内容は伝えなかったそうだ。
「朝まで魘されて……。御可哀想に……。」
半田は薄っすらと涙を浮かべている。
普通なら何と忠義な者だと思うかもしれない。だがその半田の胡散臭い泣き顔に引っ掛かりを感じる。
「紅に会いたいので、今直ぐ戸を開けてく下さい。」
叫んだ節。
慶吾隊員が止めに入ったが半田が顔を横へ振ると、二人は節に手出しはしなかった。
有無を云わさず、節は手ずからドアを引き開けると、紅の部屋の中に乗り込んだ。
まだ、続きます。疑問に思われる点がありますが、気にせずお読み下さい。




