現代 十二 記憶を辿って 6 ( 過去 二十五 紅の様子 )
鉄格子よりも頑丈な観音開きの扉を、慶吾隊が門番代わりに立ち塞がる。
其の者に文を手渡し金具の錠を開けてもらい、扉を開放してもらう。しかし鍛え上げられた男二人掛かりでも、扉は軋む様な音を立てて少しずつ開いた。
鉄の戸の後ろに、木の引き戸がある。
節は自分の手で引き戸を開いて、ギョッとした。其れ迄に見た事のない光景が繰り広げられていたからだ。
「どうしたのだい……。節。」
目前には紅が地べたに寝転んでいた。今迄にない紅の様子に息をする事を忘れて駆け寄り紅を起き上げる。予想よりも軽く女手で楽に持ち上げられた。
「あぁ……。修一さん……。」
蚊の泣く様な声の紅に顔色の悪さで余計恐ろしくなった。
「大丈夫か……。何処か座る所へ……。」と辺りを見回したが、紅以外に部屋の中は全くと云っていいほど物がなく壁しかなかった。その壁にすら突起物もない。
窓はあっても鉄格子がされていて格子模様の影が床に出来ていた。
蒲団があるだけの牢獄。
「おい。此の子は……。其の……。」
状態を説明せず連れて来た修一は自体を飲み込めず節の側に突っ立っていた。
「そのまさかよ。紅隆御時宮様よ。」
呆然としていた修一が、紅の顔を覗き込んだ。修一の顔色からは伺えないが、どれだけの驚きがあったか、瞳孔の開き具合から推測出来た。
しかし節はそんな事御構いなしに、紅の可笑しな状態に、手一杯になっていた。
「外に出て番人に水と握り飯を貰ってきて……。」
紅の全身に打身の痣が出来ている。赤みを帯びているのもあれば、時間が経過して青痣に変色してしまっているのもあった。療養用着物の首筋から紅の尋常ではない傷痕を見ると修一は一目散に飛び出した。
何か分からないが嫌な予感がした二人。
「大丈夫。紅様。聞こえているの。返事をして……。」
何度も話し掛けたが節の問に反応はない。
節の所に要人が訪ねてきたのは昨日の深夜の事。家まで訪ねて来たので自体が深刻に為りつつあるのが理解出来た。
其の中で遣いの者とは云え、女性に対する偏見は凄まじい時代に節に会いに来たのである。
要人の文によると紅が節と修一に会いたがっているとの事。其れも早急に……。
節は紅に会う事を了承した換わりに、明継の面談を申し出た。始めは渋っていたが、仕方なく了解して今し方、明継と対面し紅に会いに来たのである。
文の用件はそんな感じであったが多くの事を要人は隠していると直感した節。
節は明継に会った時紅の様子を大まかに話したが、全くの嘘であった。少しだけ明継に同情していたのだ。強い言葉で非難したが紅だけは幸せだと伝えたがった。だから紅がこの様な状態である事を想像もしなかった。
修一が出て行って大分時間が経過してから、食べ物を小量持ってきた彼が入ってきた。
正方形な部屋の端に蒲団を敷く。それでも殺風景なのは変りがない。
番人が用事を済ませると無言で退出する。無機質な部屋の番人に打って付けな男だと節は思った。
「どうしたの……。時間掛ったわね。」
「慶吾隊員の門番がこの部屋に物を入れる事を拒んだから……。」
「どうして……。」
「知らない。理由は話されなかったけど、食い下がったら食料は確保出来た。」
蒲団の中に収まった紅は寝息すら聞こえないほど衰弱していた。
上体を起こして、それでも無理矢理、飲み物を流し込んだため、紅の意識が戻った。
薄っすら目を開けた。
「どうなってるの……。紅様……。」
「先生が捕まってから、碌に食事してないのですよ。」
薄ら笑いを浮かべるが紅の目には濁りが見えた。
「では、此れ食べなさい。」
手渡しで果物を受け取ると紅は口に持って行く。だが紅の動きはそれを齧るだけの気力がなく、顎ずたいで蒲団に転げ落ちた。
「どうして食べられないの……。」
自力で食が出来ないほど衰弱していると分かり節が、果物を拾う。
「違います。食べる訳にはいかないのです……。」
「どうしてなの……。」
「先生に会わせてくれないのです。だがら、食事を取らない事を決めました。」
節は疑問の眼差しを紅に向けた。
紅の話に由ると明継が逮捕された後は、明継と話をさせて欲しいと誰に申し出ても請け負って貰えず。
己の足で明継が幽閉されている牢獄へ向かおうとしたが、警護の者に見付かり、諦めざるを得なかった。
望みが聞かれないなら唯一自由になる栄養補給を拒否する事を考えたらしい。
今の紅の状態を見ると確かに自由になるのは、其れ以外考えられないと節は思った。其れ程彼の生活は監視されていた。
だが紅が死亡されては困るらしく、医者が無理矢理、リンゲル液を注射するので今迄何とか生き長らえていたらしい。
「其れで……。私達を呼んだのは何故……。」
修一と節が紅を覗き込んだ。
「多分、家臣が私に食事を薦めろと云う理由だと思います。」
節は大きな溜息を吐いた。
三年間も明継と身を潜めていただけある寡言な少年だと呆れていた。
何て単純思考なのだろうと又溜息を吐いた。
「…………先生は、どうしていますか。」
紅が目を見開いて聞いて来た。
節は、答える気にならず。当事者としては、大体の内容を理解しているが、今の明継の状態を教えるべきではないと判断した。
明継と紅の強い繋がりを感じ取りながらも、端から見たら紅の滑稽な姿を呆れていた。
「これ食べたら教えて上げる。」とさっきの果物を手渡す。
「約束ですよ。」
紅は勢い良く噛み砕くと、鳴咽を付きながら飲み込んだ。
「明継は牢獄の中にいるわね。」
始めから近況を事細かく話す訳にも行かず、一語で終了させるつもりでいた。
しかし後々から紅が忙しくなく、問い正すのは目に見えていた。茶を濁して、受け流すつもりでいた節。
「先生はどのような様子ですか……。元気にしていますか……。ちゃんと食べていますか……。」
紅は怒涛の様に言葉を羅列した。だが節は答えに渋っている。
紅は自分を見失い、其れでも明継の事だけに執着していた。
明継の反応とは対照的に紅の慌てふためきぶりは、紅と始めて会った時の印象と掛け離れていた。
節と遭遇したのは紅が始めて外出した時の木蓮の鑑賞に行った公園であった。
明継が節に最悪の印象を受けた時紅は木蓮の花に夢中で節の存在には然程興味はなかった。明継が誰かと話している位にしか感じていない様だか彼は節の顔を覚えていた。
「紅様の方が食べていないでしょ……。体を本調子にしてからの方が良いわよ。」
「でも、先生には時間がないのでしょう。この侭だと極刑になるのは確実だって……。」
紅ははらはらと小粒の涙が頬を伝った。
見る見る内に赤い瞳に変貌して行く。
修一はオロオロと対応に困っていた。十四歳とは云え男が人前で、臆する事無く泣き始めるのは時代背景からも可笑しな事だった。
近しい人間の葬儀ですら、男の涙は禁物である。其れを考えると紅の感情の現し方に疑問を感じる。
同情は禁物と突き放した口調で紅に云い放った。
「死刑になるかもね……。」
息も出来ない位紅は驚く。
又泣き突っ伏した。号泣に近い。可愛らしかった顔は、鬼の様な紅い瞳になった。其れでも、泣き続けている様はとても哀れであった。
「先生……。先生……。」と泣き声の中に喘ぎ声が聞こえた。慰めるべきか現実を見せるべきか迷って言葉を掛けられなかった節。
冥々している修一と顔を見合わせて、困り果てた。そっとしておこうと、紅の反応をじっと待ったが、泣き腫らした目元以外、変化はなく。
仕方なく、節が紅の頭を撫でて、「そんなに悪くならないって……。」と慰める方法しか打開策がなかった。
泣き疲れて眠ったのか、全く紅の動きがなくなってしまった。其れでも心配は心配で部屋の片隅で紅の意識が回復する事を待つ。
「林くんは、どう思うの……。この部屋……。」
紅の異変で修一にまで気が回らなかったが、紅の様子に多少の衝撃を受けている。
「何も置いてないのは可笑しいよな……。ベッドも家具もないなんて……。其れに皇院の身分ならこんな牢獄の様な生活させないだろう。」
節も頷いて聞いていた。明らかに、異質な部屋に紅の痣。何よりも、問題となっている明継の監獄に近すぎる。目と鼻の先と云っても良い。
紅を出させない理由が、有るのだと感じた二人は、彼の意識が戻るのを待った。
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