現代 九 深夜 2
秋継と晴がベッドで寝ている。
男二人だとクイーンサイズでは少し狭い。だが二人は身を寄せ合わなかった。
「過去の記憶は節さんの妄想とか思ってる? 」
秋継と晴は背を向けて布団に居る。二人は、足を伸ばしている。そうしないと、布団に収まらない。
「否定はしたくないけど紅達と合ってから、過去の記憶の話をする様になった。性格も少し歪んでしまった気がする。」
「叔父さん。純真な子が好きだもんね。でも節さんが悪い訳ではないよ。女性は嫉妬はする者だよ。勘が鋭いから叔父さんの紅に対する独占欲が節さんに解ってしまったんだよ。」
「晴は何故紅を好きになったんだい? 節の前では紅を生徒として扱ってるつもりだ。」
「僕が手を握ってるだけで叔父さんは払い除けるでしょ? 独占欲だよ。自覚ないの? 僕が紅と話してる時だけで睨んでくるじゃん。」
晴は自分の話を無かった事にした。
「睨んでない。見てるだけだ。」
晴は深い溜息をした。物わかりの良い叔父だと認識をしていたが、紅に関してだけ常識的ではない。
「紅を視線で追ってるのも気付いてないでしょ? 」
「俺がしてるのか? 」
秋継に聞こえるように晴が大きな溜息を付いた。
「初恋でもしてるの? 紅が気になって仕方ないと顔に描いてるよ。」
秋継が大学で出会ってから節に、その様な視線を送っていなかった。確かに紅は他の人とは違うと思った。自然と顔を見たくなってしまう。
「見っとも無い。明白な態度だったんだ。節が怒るのも当たり前だな。」
「紅に関しては叔父さんは直せないよ。態とでは無いから少しだけ距離を置くべきだね。節さんの為を思うならね。」
「これから同居するんだぞ。そんなの無理だ。」
「節さんを失っても良いの? 今迄付き合った中で、一番長い交際年月だから遊びでは無いでしょ? 」
「結婚も考えているよ。節とは家族に成りたいと思ってる。」
晴が驚いている。秋継に体を寄せ聞き逃さない様にしていた。
「では何故にそれを伝えないの。」
「時期ではない。」
「叔父さんは26歳でしょ? 節さんは同級生……。年齢的に問題はないよ。躊躇う理由があるの? 」
秋継は黙っているが紅の悲しそうな顔を思い出していた。儚い笑い顔。
彼を傷付けたくなかった。
「親族の紹介も得ているし何があるの? 誰が邪魔してるの? もしかして…、紅とか言わないよね? まだ出会って間もない生徒に遠慮してるの? 何で? 」
「解ったら苦労はしないよ。緊急事態宣言で予定が伸びただけだよ。紅のせいではない。」
クーラーの音だけが響く。言い訳を風で流している様だった。
「プロポーズしちゃえば? 節さんの紅に対する嫉妬も落ち着くよ。」
「色々有るんだよ。寝てしまえ。俺は寝る……。」
機械音のする部屋で秋継と晴は眼を瞑った。
秋継の薄れ行く意識の中で紅が呼ぶ声がする。泣き声ではない。微笑む様な問い掛け。
懐かしい空気の臭いが、全体からする。
「秋継さん。」
青空の下で紅が着物姿で乳飲み子を抱いている姿が視界に入った。
少し年を取って髪を結い上げ木蓮の花が咲き誇る中、満面の笑みを浮かべている。
「此の子の名前を決めました。秋継さんも喜んでくれると思います。」
愛おしそうに抱き抱える赤子を秋継も覗き込んだ。
「決めてくれたかい……。長男は俺が決めたから、此の子は紅が名付けて欲しい。」
紅は上品に笑った。
木蓮の煙る様な匂いが秋継に昔を思い出させる。初めて散歩した公園の石畳。だが、今夢の中で居る所は農村で一面が畑だった。
「木蓮は私の夢の花なのです……。」
髪をかき揚げる左手の薬指には輪っかの様な痣があった。
「木蓮の花を秋継さんと此の子と見られて良かったです。私は幸せ者です。」
紅が笑う度に、風に靡かれて木蓮が揺れる。
「終一。林 終一。」
「名前の由来は……。長男では無いのに、『一』の文字を使う理由は何だい。」
「始まりと終わりを意味します。私は、此の終一が、新しい未来を切り開くと信じます。」
「良い名だ……。終一は一緒に育てよう。三人で離れない様に、幸せにしょうね。」
「はい。秋継さん。」
三人で又、木蓮の下を歩き始める。
此れから来る未来に不安を感じさせなかった。田和いも無い季節の話をしながら、歩く。
秋継の瞳には、紅が……、紅の瞳には、秋継が映る。
「紅が待っている……。」
秋継の瞳から涙が一筋零れた。懐かしさと今ではない時間の狭間で秋継の眠りが、頓挫させられた。
布団に涙の跡が付く。
「叔父さん。叔父さん、起きて。」
晴が怯えた声をしている。
見慣れた自室の天井がりクーラーの吐き出す音がしている。
「紅か?」
「解らないけど……、誰かの鳴き声。」
秋継が部屋を出て紅と節が寝ている部屋の扉を、ノックしても返事はない。
微かに聞こえる紅の声。
ドアを開くと、案の定紅が何かを掴む様に、空中に手を伸ばしている。
昨日の叫び声ではなく、紅の啜り泣く声。
「先生。先生……。」
悪夢を見ている様だ。
節も起きて紅の体を揺さぶっている。起こそうとしているが、紅の瞳が開かない。
「秋継。何が起こってるの? 」
「解らない。でも、悪い夢を見てるから起こそう。」
紅を揺さぶり秋継が呼び掛ける。
「紅。紅。聞こえるかい? 」
目蓋が薄っすらと開いた。
紅が秋継の首に腕を回す。抱き止める様に、秋継が紅を抱きしめる。
「大丈夫。悪い夢は終わったよ。」
節は何も言わず、見守ってくれた。晴が扉の横に立っている。
「先生が死ぬんです。何度も何度も……。」
「それは悪い夢だよ。大丈夫。俺は生きてるよ。」
紅が秋継の表情を見ると微笑んだ。秋継が見た木蓮の夢と同じ儚い笑み。
「生きていて良かった。」
紅は秋継の腕の中で寝息をたて始めた。今度は健やかに眠っている様だ。
呼吸が落ち着いてから彼を布団に戻した。
少しの時間を有した様だった。部屋には秋継と紅しかいない。辺りを見回すとドアから灯りが漏れている。
節と晴はダイニングテーブルに座っていた。冷蔵庫から麦茶を出し二人は飲んでいる。
節の髪が汗で首筋に貼り付いていた。秋継がリモコンを押しクーラーを起動させる。
「昨日なも同じでね。紅は寝入ると悪夢を見る。」
「だから独りに出来ないと言ったのね? 」
「節には悪いが放って置けない。担当の生徒の律之の母親からも注意は受けてる。節達に会ってから、酷くなってるみたいだ。」
「私が過去の記憶を呼び起こしたのかしら? 私は幼い時から記憶があるから、現実と、夢と、過去が一緒になる事はなかったの……。」
「人其々では、ないですか? 紅のタイミングが今だっただけで……。」
晴は秋継を見詰めた。露骨な嫉妬だった。
「節は紅と寝れるかい? 昨日は一度起きただけだった。」
昨日、秋継が抱き締めた侭、眠った事は黙っていた。
「ごめん。秋継が隣に居て上げて、あんな紅様を初めて見たの……。私が考えて居るより精神が持たないわ。」
「じゃあ。僕も紅と寝る。節さんと一緒のベッドは遠慮したい。どうせ……。 僕は御免だよ。」
秋継と節は視線を合わせたが、直ぐに放した。
「分かった。敷き布団をくっ付けて晴がそこで寝ろ。掛け布団よりタオルケットの方が楽だしな。紅が何かあったら、俺を起こしてくれ。」
「叔父さんの顔を見て安心したんだよ。僕じゃ無理でしょ? 」
晴がむき出しの恋情を露にした。
節は口に手を当てて呼吸をしている。
「大丈夫だ。節の所為ではないよ。過去の記憶に囚われないでくれないか? 今を生きているのだから……。自分を見失わないで欲しい。」
秋継の精一杯の励ましだった。
節の話では秋継も当事者なのだろうが、そんな事を言えるだけ余裕があった。
「一人で寝れるか? 」
「それは、大丈夫。紅様の隣に居て上げて……。まだ、中学生なのを忘れていたわ。私も酷な事をしたわ。後悔しても仕方ないけど……。」
「大丈夫だよ。節さん。紅は僕も居るしね。だから、余り考えないで。」
「無理はするなよ。明日は節だけ仕事だ。だから、節も何時でも起こしにおいで。」
秋継が節の頭を撫でた。
節は小さく頷いた。




