現代 八 午後の一時 2《ヒトトキ》
玄関の音がする。
秋継が革靴を脱いで声を出す。三足のスニーカーを見詰める。
「晴達が要るのかい? 紅? 」
秋継が玄関と部屋を繋ぐドアを開く。
ダイニングテーブルにいる律之が会釈する。
「おじゃましてます。」
律之が目線を台所に移動させた。秋継は直ぐに足を向ける。
首を傾けて秋継が台所を覗き込んだ。
晴と紅が抱き合っている姿が見える。
秋継の頭に血が上った。
「何やってんだ!」
秋継は紅を引き剥がした。晴が舌打ちする。
「何って……、何もしてないですけどね。叔父さん。友情を確かめ合ってただけですよ。無粋な真似は辞めて欲しい。」
壁際に紅が張り付いている。秋継が溜息を吐いた。
「でもまだ中学生だろう。節度を持ってだな……。」
「僕に彼女が出来た時何も言わなかったのに! 何故紅の時だけ、聖人君子みたいになるの? 」
「だから紅は預かってる大切な子供だよ。親族と問題になるのは困る。」
紅が余計泣きそうな顔をしている。
「それだけですか? 」
秋継が複雑な顔を紅に向けた。
「大切な生徒だよ。」
紅の中で糸が切れた音がした。自然と涙が出てくる。悲しくは無いのに涙が止まらない。
「ど、どうしたの。紅? 」
秋継が慌てて紅に近づくが、晴が割って入った。
「叔父さんが傷付けているんだよ。触らないで!あんたにそんな権利はない!」
晴が秋継を睨み付けた。初めて見る晴の反抗的な態度に、腕を引っ込めた。
「行こう。紅。」
紅の手を握ってダイニングの方へ二人は歩いて行く。手を引かれながら、紅の涙は止まらない。
秋継が取り残された。散乱した食材と半熟の卵が中華鍋に残っている。
換気扇の下で鞄から煙草を出し口に咥えた。カチカチとライターが空回りする。
「ごめん。そんなつもりでは……、無かったんだよ。」
紅に謝罪したくても何と説明すれば良いか解らない。
火が付いた煙草の煙が虚空を舞う。無駄に漂うと換気扇に吸い込まれた。
二人が抱き合っている姿が、脳裏から離れない。強い溜息を吐きながら煙草を吸った。肺に煙が満たされる満足感はない。
紅が心配で早く仕事を切り上げ帰ってきたのに、晴と抱き合っている姿を見て、一気に逆上した。
仕事中に何度も携帯を確認しLINEがないか、見ていたのに紅は秋継の事などお構い無しだったのだ。
苛立ちに近い悲しみがあった。
「ごめん。何か分からないけど、紅が他の誰かの物になるのが嫌だった……。」
ポツリと本音がでた。秋継が驚く内容だった。思考を整理し笑った。
「嫉妬か……。」
彼女が居る身分で、何に嫉妬するのかが理解出来ない。
煙草を吸い頭を整える。紅と言う教え子の中学生に興味があるのだ。だから晴にまで嫉妬する。通常ならそんな感情すら湧かない。
例えば晴と律之が抱き合っていたとしても、引き剥がしたりはしなかっただろう。
笑って何をしてるか聞くだけのゆとりはある。
秋継は溜息を漏らした。目に手を当てながら煙草の灰が地面に落ちた。
ダイニングテーブルで座っている律之が驚いている。
「幼い時以外で紅が泣く所何て久しぶりに見た。明継が原因か? それとも晴? 」
律之の隣に、紅を座らせる。
「大丈夫だよ。落ち着いて。口付けてないから……、これ飲んで……。」
紅が晴の為に持ってきたコップだった。
しゃくり上げている紅がコップを持った侭、頭を垂れている。
「叔父さんに決まってるでしょ……。紅を泣かせられる程動揺させられるのは! 」
「原因は聞かなくても分かる。」
「叔父さんが大切な生徒だと言ったら、泣き出した。」
律之が溜息を吐いた。
「秋継らしい答えだな。常識を重んじる。でも紅の気持ちには気付いてるのか? 」
晴が嫌な顔をした。
「そんなの知らない。紅は、まだ叔父さんが気になる程度だよね? 」
エプロンから手拭いを取り出し、涙を拭う紅。
「解らないんだよ。先生が……。」
「この前も同じ質問したね。ごめんね。気持ちは時間を掛けて考えて……。僕は待つから大丈夫だよ。」
晴が優しく紅の頭を撫でる。撫でられた手の感覚が小さい様な気がした。
「きちんと考えるから……。」
紅が頭を上げる。また目が真っ赤になっている。
律之が不安そうに聞いた。
「晴は紅が好きなのか? その……恋愛としてだが違うか? 」
「うん。恋愛だよ。女の子と同じ様に欲しいと思ってる。」
「露骨だな……。紅にはまだ無理だぞ。」
紅は驚いた顔をして、晴を見ている。慌てて片手の麦茶を飲んだ。
「心が手に入ったら、体も欲しく為るものでしょう? 男なら当然。律之だって時継さんと……? 」
「時継とは前世では既に恋人だった。今の時代に中学生に大人が手を出したらどうなるか解ってるのか? 刑法に引っ掛かるから時継は待ってくれてる。高校卒業に旅行に行く話ばかりしているよ。」
「時継さんは大人だね。絶対にぶれない。」
「違うみたいだ。女性で試した事はあるらしい。でも俺の顔が浮かんで出来なかったみたい。男でも試したけど何か違うらしい。」
「時継さん。律之には赤裸々だね。」
紅はコップの中身を飲み干すと微笑んだ。手拭いを畳み、顔を拭いてから、又戻した。
「ありがとう。二人とも。」
「紅が良ければ、僕達は平気だからね。」
晴が頭を撫でる。やはり違和感があった。
母親が頭を撫でられた記憶がない。誰が撫でてくれたか、記憶がない。
「思い出せないけど誰かが頭を良く撫でてくれたんだ……。誰だったのだろう? 」
晴はそれでも撫でている。
律之が頭を押さえた。
「多分明継だよ。過去の記憶だが、私が覚えているのは、位の高い親族の子供達を誰でも撫でていた。紅が怒って辞めさせたんだ。でも紅だけは特別に許したんだよ。 」
「過去の話?」
晴が手を引っ込めた。
「叔父さんと紅が付き合ってたか何てどうでも良いよ。今、紅がどうしたいかでしょ? 」
「秋継には既に節と言う彼女が居る。奪い取るだけの覚悟は紅にはない。だから、諦めろと云っている。先生と生徒の関係になるのだよ。」
紅はうつむき、頷いた。
「前に節さんに先生は諦めると言ったから大丈夫。三人に話した事は嘘ではないよ。でも何故か辛くてね。」
晴が又頭を押さえて撫でた。
「気持ちが踏ん切り付かないんだ。失恋て難しいよね。解った。紅の為に僕も叔父さん家に住む。だから、安心して……。」
「晴の場合は違う意味で危ないな。」
晴が律之を見て答えた。
「下心?何てあるに決まってるでしょ。でも、大丈夫。襲ったりはしない。紅の心が壊れちゃう。」
「分かっているなら自重しろよ。オレは親が反対するから、夜は側には要られない。三人で大丈夫か? 紅。」
紅は深く頷いた。律之の家に居ても心の隙間が埋まらない。秋継が居ると何故か落ち着く。だから、今はこの場所にいたいのだ。
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