現代 八 午後の一時 1 《ヒトトキ》
秋継が紅を抱き抱えた侭眠ってしまったらしく、窓の光で目を覚ました。
安心して眠っている紅の体の上に、上半身をのし駆けて、膝に紅を乗せていた。
差し込む光が、まだ出社前だと物語っている。
紅を布団に戻し肩まで掛けた。寝息が安定している。
「眠れたみたいで良かった。この年齢にしては、酷い悪夢だ。何か過去にあったのかもしれない……。」
秋継は晴と律之に質問しょうと思った。紅には何かあると確信した。
立ち上がると、出勤前のルーティンをして、支度をする。白い鍵をテーブルに置き、置き手紙を書いた。
簡単に帰る時間と家に居なさいと残し、後ろ髪を引かれる思いで家を出た。
紅が秋継の家で目を覚ましたのは、昼過ぎだった。久しぶりに熟睡出来たのか体が軽かった。悪夢の記憶はあるが、秋継が助けてくれた様な気がする。
部屋着から着替えると、ダイニングテーブルの書き残しに目をやった。
端正な文字で書いてある。白い鍵を財布に入れ、紅は部屋を後にした。
律之と晴が道路を歩いている。
茹だる様な暑さに二人共、歩みが遅い。
「先生の家って……。遠すぎだろう。」
律之が太陽を見て唸った。秋継を先生と呼ぶ事にしたのだ。
「まるで地獄だ。夏のアスファルトは……。麦茶買っていい? 」
律之が自販機に磁気カードを当てた。
音がなり麦茶が落ちる。ペットボトルの蓋を開けて一気に煽る。
「後少しだから頑張って。叔父さんの家って意図的に学校からなるべく遠くしたって言ってた。環境が同じだと心が休めないのだってさ。」
「でも遠すぎ。良く紅は歩いたな。俺なら諦める。でも先生だから、紅は会いに行ったのかな? 記憶が無くても紅は明継を求めるのか……。悲しい事だ。」
晴が自販機でジュースを買いながら、頭だけ律之に向けた。
「前世の記憶ってやつ? 確かに信じられないけど、律之が嘘を付く奴ではないの知ってる。今度細かく聞かせてよ。紅の事もっと知りたい。」
「簡単には云うと明継と紅は相思相愛だった。でも時代によって引き離される時に、一緒に逃げたんだ。私と紅は兄弟で身分が高かったから、親身になってくれる人もいなくて、唯一私が心を開いたのが時継だけで……。私の恋人だった。戦場にも付いて来てくれたのも彼だけだった。」
「何時の時代の話? 」
「明治時代の末期に生きていた。」
「そこに僕は居るの? 」
「晴も紅達が逃げている場所に居た。だから記憶があると思ったけど、節さん曰く名前に『時』が付いてないと、記憶は戻らないらしい。」
「確かに僕の名前には入ってないね。でも前世って大変だね。気持ちまで左右される何て……。紅がどんなに好きだって叔父さんはもう節さんと恋人だよ。紅が横恋慕を入れるの?想像できない。」
「紅は明継を好きになるだろう。秋継と再会した時に直感した。でも前世と状況が違う。だから諦めるだろうと思う。」
「心って……そんなに簡単かな? 割り切れないよ。」
「後は秋継の判断次第だ。」
「律之って前世の話をすると、何時もの話し方とか呼び方が変わってる。自覚してる? 」
「すまない。自然とそうなるのだよ。」
「紅も記憶が戻ったら変わってしまうの? 何か嫌だな。過去の話なのに……。今に影響が出るなんて違うと思う。」
晴が炭酸に口を付けると爽やかな風が吹いた。
ショッピングバックを持った紅がそちらから歩いて来た。
「律之と晴? どうしたの? こんな場所で? 」
晴がペットボトルをカバンに閉まった。律之は飲み終わりゴミ箱に捨てている。
「叔父さん家の紅に会い来たんだよ。毎日来るからね。」
「俺は時継に会いたいから、毎日は来ないよ。今日も午後に会う予定。平日で仕事終わってから、会っている。」
紅の荷物を晴が持つ。中身を見ると食材が入っている。
「叔父さんの為に料理するの? 」
晴が複雑な顔をしている。
「どうせ作るなら二人前の方が安いしね。独りで料理は味気ないからさ……。食べてくれる人は嬉しいよね。」
「紅は料理が上手いよ。叔母さんの代わりに毎日料理してたからな。シングルマザーの母を助ける為に自炊してる。」
律之が食材を覗き込むと玉子が入っている。
「もしかして昼はオムライスか? 俺も食べたい。紅のオムライスは半熟で旨いんだよな。」
「先生と俺の分しか買ってない。材料が足りないよ。」
晴が道を戻った。
紅の手を引き、向きを逆にする。
「四人前買えば良いじゃない。僕も手伝うから作ってよ。お金なら大丈夫。僕が出すから……、僕も食べたい。」
三人は今の過ぎたスーパーまで足を戻した。たわいもない会話をしながら、歩く。
夏の西陽が三人の影を長くしている。
秋継の家に着くと律之と晴がはクーラーの前で涼んでいる。汗が引くのを待っていた。
晴だけが汗取りシートでベタつきを取っている。
紅が食材を冷凍庫の中に入れて、2リットルのペットボトルの麦茶をコップに入れる。煮出し用の麦茶も買った。冷蔵用の1リットルポットも無かったので買って来た。
コップをお盆に乗せて運ぶ。ダイニングテーブルに座った二人に差し出す。
「遠かったでしょ? 暑いのに、歩いて来たの? 晴なら自転車の方が楽なのにね。」
紅はエプロンをした。律之が持って来たのだ。
「作るから待っていてね。」
直ぐに晴が立ち上がり紅を追い掛けた。
律之の眉頭が上がる。晴の様子を見て、違和感を感じたのだ。今までは紅の後を後追いするなどなかったのだ。
「こちらも波乱の予感がする……。紅と晴が両思いになる何てないよな。前世がどうあれ晴はストレートなはずだ……。俺達に彼女を紹介してた事もあるし考え過ぎかな? 」
律之は携帯を取り出しメールをする。時継に連絡を入れている。前世で晴との接点がない律之には、晴に関する記憶がないのだ。
返信は直ぐに来ないのは解っているが画面を凝視している。社会人と中学生と言う立場の違いは、律之を不安にさせた。
しかし時継は律之を探して彼女すら作らなかったと前に言っていた。記憶の中の律之を諦める事が出来なかったと、素直に伝えて来たのだ。
三十路過ぎの男が赤面して手を繋いで居たのだから、本当だろう。
「何時も時継には驚かされる。何て私だけを想ってくれてるのだろう。前世では引き離されたが今回は諦めない。二人で幸せにになってやる。」
不安はあるが時継となら乗り越えられると信じた律之。
「秋継と紅はどうしたら良いのだ……。まだ、恋愛に疎い私では解らない。秋継しかどうにも出来ないのだな。」
秋継は今はストレートなのだろう。それも現代で教え子と同性愛は問題になる。紅の母親が不在だが他の教え子の親が黙ってはいないだろう。
携帯のメール返信があった。
時継の内容は晴の前世最後までは分からないが、女性と結婚し子供がいたとの事と、紅様との関係性は知らないだった。
仕事中に慌てて返したのが理解できた。律之が微笑む。自分でも安い男だと思うが、時継の行動が嬉しい。
「可愛いなあ。何時になっても時継は……。」
台所から良い香りがして来た。
紅と晴が料理を作っているらしい。律之がテレビを付けながら、時継の返信がある携帯を見ていた。
紅と晴が台所で立っている。二人はきちんと、石鹸で手を洗いマスクをしている。
「晴はオムライス作った事ある? 」
手を流している晴に紅が問い掛ける。
「僕は家事をした事がないんだよ。」
普通の家庭に産まれて居たら、当たり前の事である。
「手順を話しながら作るから合わせてもらって良い? 玉子は俺が作るから晴はチキンライス作ってもらって良い? 」
手拭きを晴に渡し、拭き終わったら紅がエプロンのポケットに入れた。
「玉葱と鶏肉を切ってもらって、一口大に切って油挽いたフライパンに入れて……。」
紅は片手間に玉子を割って、砂糖と牛乳と混ぜている。中華鍋にマーガリンを入れて溶かした。
「秋継さんの家に、フライパンと中華鍋が有るのが意外だね。料理を作らないのに……。節さんが買ったのかな? 」
紅は中華鍋に火を付けて、一人分の玉子を流し入れて混ぜている。
「叔父さんの家の物は、殆んど婆ちゃんが揃えた物だよ。叔父さんは生活に無頓着。」
「秋継さんのお母さんが、晴のお婆ちゃんに当たるのか……。」
晴が玉葱を切っている。目を細目ながら丁寧に千切りにしている。
「婆ちゃんと爺ちゃんは長野に住んでるんだよ。大学進学で叔父さんだけ都会に出てきた訳、新人教師時代は長野に居たのだけど、今年から僕ん家の近くに引っ越してきた。彼女の側に居たかったんじゃない? 何年か遠距離してたからね。」
紅が菜箸を落としそうになるが、右手に力を込める。
「へえ。そうなんだ……。」
食材を切りながら、晴が紅を見ずに言った。
「紅ってさ。顔に出るよね。既に傷ついているのに、平静を装う。僕には繕わなくて良いよ。本音を言ってくれてると嬉しい。」
紅が困惑した表情になる。
「秋継さんは節さんと付き合って長いの? 」
「大学四年からだから三年になるよ。叔父さんは外見は悪くないから、もてたよ。家に良く女性を連れてきたしね。」
一つ目のオムレツが出来たので、皿に盛った。律之のダイニングテーブルまで運ぶ。
「何か手伝うか? 」
律之が聞いてくるが紅は言葉が出なかった。顔を横に振る。
「何か疲れてるのか? 晴に、何か言われたのか? 」
「秋継さんの話を聞いただけだから……、大丈夫……。」
「秋継の事は諦めろ。もう、辛いだろ……。」
「大丈夫。先生を好きになってないよ。」
紅は自分が言った言葉に自分で傷付いていた。
「なら良いけど……。」
台所から晴の声がする。
「紅。ご飯入れちゃって良い~~? 」
「今行く。」
振り替える紅の手を律之が掴んだ。
「秋継の込み入った話は聞くな。傷付くだけだ……。先生と生徒の関係になるんだ。」
「ごめん。」
紅が腕を振り払い晴の待つ台所に向かった。フライパンにご飯を入れている晴が笑った。
「律之にも言われたの? 叔父さんを諦めろって……。僕達の年齢で太刀打ち出来ない程大人だもんね。」
「頭では理解してるのだけれど先生を見ると嬉しくて……。生きているだけで嬉しい。夢では必ず死んでしまうから。」
「律之の話と違わない? 二人はロンドンに逃げるのでしょう? だから死なないはずではないの? 」
「名前に『 時 』の字が入っていて、記憶が戻ってないのは俺だけなんだ。だから何処の記憶かも解らない。只、不安な夢しか見ない。」
紅は不安げに体を擦った。
晴が紅に抱きついた。頭半分晴の身長が高い、腕の中にすっぽりと収まる。
「やめて……。」
紅が頭を下げた侭、呟く。
「聞こえな~~い。紅は泣けないでしょ。男だって泣きたい時もあるよ。今の紅はお母さんからも、叔父さんからも救って貰えないのだから、僕がその役をやる。」
紅は黙って晴の体温に身を任せた。振り払う勇気はなかった。只、優しくされたかったのだ。
読んでいたき有我てう ござございます、




