過去 四十五 寝られない人
二等車両にいる修一と節が、席に揺られながら話をしている。
晴は窓際に不貞腐れて座っている。
「紅と一緒でも良かったのに、何故明継叔父さんが選ばれるのです。僕だって横になりたい。座りながら寝るのは嫌いです。」
修一が晴の独り言に小声で返した。
「母子で過ごせるのが、此れで最後かもしれないのだ。席を譲ってやるのが男だろう。」
「僕は御国に帰るのが良いと思う。国の為に生きるのが何故、駄目なのか解らないのですよ。」
「学生が一番プロパガンダに毒されてるのは解るけどね。紅様が軍事投入されるのを、黙って見ていられる程、私達は伊藤くんとの関係性が浅くないのよ。」
「三年も警護してると個人の感情が出てくる物なのだよ。」
修一が晴を見た。
「軍人が公私混同してどうするのです。」
「確かに、私達は軍人かも知れない。でもね。独りの人間には変わりないのよ。二重間者してるからかしらね。」
晴も声を潜めた。
「紅の周りは秘密ばかりて、可哀想だ。明継叔父さんが連れ出したのも解るよ。でも、何故直ぐに海外に逃亡げなかったのだ。僕が叔父さんならそうする。」
修一が頭を掻いて、車両の天井を眺めた。
「紅は身分が違う。正規の旅券は発行すら出来ない。」
「では、今回はどうやって逃げるのです。二人共に顔が割れてます。寄船場まで行っても船に乗れない。八方塞がりです。」
「貨物船に乗る。金を常継兄から、貰っているからね。」
修一が晴の耳まで近付いた。
「密入国ですか……。」
「偽造の旅券はある。でも、何処で諜報が漏れてるか解らない。だから、使わないだけだ。紅の分は俺が持っている。倫敦に行ったら使うだろうしな。」
「御爺様が黙っていません。一番厄介なのが伊藤家の当主など思いもしませんでしたね。」
「明継の母ちゃんが話を聞くまで、九州軍部が絡んでるなど思わなかったよ。天都の軍部が動いているだけかとね。」
「此からはどうするのです。叔父さんは倫敦に逃げようとしていますよ。僕だって一緒に行きたいですよ。紅と海外に行って仕事を探す。やっても悪くないと思います。軌道に乗るまで叔父さんが頑張ればよいです。」
節が晴に溜息を吐いた。
「晴くんは今時の子供なのね。余り紅と同い年に見えないわよ。」
「解ってるいます。紅はもっと大人です。でも、彼も同じ年なのは間違えありません。だから、紅を大人扱いしないであげてください。」
修一が黙っていた。諦めた様に口を開いた。
「其の様な事は解っている。紅は大人の中で生きてきた。だから、晴が友になるのが嬉しいのは本音だよ。」
節が欠伸をした。
電車の外は暗闇で見えない。まだ、時間が流れている。
車掌が修一達の席にやって来た。
周りの二等車両の客は殆ど眠っている。
「田所 節さんに御会いしたい御客様がいます。デッキまで待って居られます。」
其れだけ、告げて去って行く。
修一は片目を開けて頷いた。
節がデッキに出ると明継の母が立っていた。紅の毛布を纏い浴衣の侭いる。
「奥様。御戻り下さい。風邪を引かれます。」
節の顔を見ると母は微笑んだ。
「田所さん。率直に聞くわ。貴方は夢で此処ではない世界を知っているわね……。コンクリートの家や、黒い道も分かるかしらね。」
節は黙って頷いた。
「やはり、そうね。なら、法則の話をします。必ず覚えていて。時間は一定方向ではない。そして、貴方以外に意思を継ぐ者がいます。共通点は時。全て明継を中心に回ります。だから、節さんは明継の側で最善な方向を向かなければ、ならない。今は記憶するだけでいい。次は貴方の番だからよ。」
「全てを説明していただけないのですか……。私なら何を聞いても驚きません。」
明継の母が黙っていた。困った顔をしている。
「話しても、理解が出来ないのよ。経験が物を云うの。後、明継と私は血が繋がってないのよ。本当の母親はいます。だから、安心して幸せになってね。」
節は彼女が嘘を付いてるとは思わない。疑って見るのが仕事だから、尚更嘘には見えない。
「意味は理解しなくていいと云う事ですか、なら何故御話になられたのですか……。」
「生きて行く上のヒントよ。迷う時も必ずあるからね。大丈夫よ。信じる者は救われるわ。」
「奥様が云う言葉の意味を教えて下さい。」
「貴方も良く使うでしょう。説明しても解らないと……。其れよ。」
母親は、微笑んだ。彼女の瞳には嘘がない。
節は夜闇をデッキで進む電車で、ゆっくりと瞬きをした。
彼女にも事情があるのだろうと考えていた。




