過去 ニ 思い出 1
時は紅と初めて合った頃へと流れて行く。
其れは、動乱の世の何時頃か。倫敦で明継に一報が報ぜられたのは、まだ肌寒い春の事であった。
内容は、英国婦人の家庭教師を迎えする折の通訳であったが、契約書のサインも間々ならない状態で帰国した。
寄船地が長崎であり、故郷の様変わりに驚きつつ上京した。
紳士気取りで英語を話そうとする輩や、明継を外国人と恐れる物もいた。
明継が迎えの者に、行き先を問わなかった故にこうなったのかもしれない。
日本最大の都市、天都に着いた。
明継本人は其んなに偉い人に雇われているとは思わなかった。
契約書にも目を見張るばかりの人物名は署名されていなかったから誤解しただけかもしれない。
宮廷で内向きの仕事と重圧が圧し掛かった。しかし、クヨクヨしている訳にはいかず、慌ただしいが今の所帯を借り、必要な家具を多少なりと買ったため、生活を始めるのに然程、時間がかからなかった。
其れでも、実家へ帰る気にもならず、暇がないと云ってマメに送られて来る電報を毟ってしまっていた。
後々の話によれば九州伯爵の家柄が此の仕事に関して、大きな信頼感を持たせるものであり仕事の依頼が来たのも、伊藤家の後光でしかなかったと知った。
「伊藤さんは、留学経験が御ありなのですってね。」
其の言葉は、社交辞令の様に使われた。其の会話にも飽きが生じた頃になった。
日本に呼ばれた理由も半信半疑の侭、梅が咲く頃になり、手紙の翻訳以外然程仕事も見当らなく、下女やお爺と話をするのが楽しみとなった折、紅と出会ったのである。
「伊藤様、何処かへ御行きですか。」
下々の者と十分に親しくなった為、誰とでも気さくに話した。
明継が平然と麻のタオルをベルト通しに結わき付け、雪駄を引っ掛けて歩いている。
「ええ。今日、梅が咲いただろ。まじかに見たくてね。」
下の階から大声で明継が答えると、何処からともなく待女達の笑い声が聞こえる。
何時も通りの仕事に飽きが見え始めていたので、気分転換に昼に散歩でも、決め込もうと明継は考えていた。
宮廷と云っても日本建築があると思えば、馬車が走っていたり、噴水があったり可笑しな構造をしていた。
明継は其の中を散歩するのを好んでいたので、御堅い上司や軍人には変人扱いされ不快に思っていたが、嫌がらせもなく陰口だけで日々を平穏に過していた。
偉い人間は象徴としてあるだけの存在になっている。
身の回りの事は他の物にさせ、自分の名で贈り物が側近によってなされても気が付かず礼状が届いた後に知るのである。
其の頂点に立つ人間は威厳と尊敬とを一身に受け下の者の手本となるようにしなければならない。其れさえしていれば、誰も咎めないのである。
事の他、明継は正反対の人間だったのだ。
子供の頃に、『人の心の分かる人間になりなさい』と母から云われて育ったのは、明継唯一人。
他の兄は、叔母や大母上に育てられ、主従関係を叩き込まれた。保守的で伝統的な家。
「わぁ。凄い梅ノ木だ……。」
始めて見た立派な梅ノ枝に見惚れた明継。
其の優美な梅と年輪さが伺えた大樹は、一瞬にして明継に息を飲ませた。小高い所にある為か、其の梅は神々しくもある。
梅の噂を話したのは、やはり下働きの女だった。下男もいるが良く働く者ほど口数も少なく、明継を退屈させた。
余計、宮中の噂を呼び、女を誑し込んでいると暴言を叩かれているのである。其れに尾鰭背鰭が付き止めどがない。
其れなのに、当の本人は噂には無頓着で、小耳に挟む事もない。
明継は大の字になり空を見上げた。梅の枝と空の色が混じる。
「何をしている。」
明継の頭上で声がする。
横になって、はしたない所を見られたと飛び起きるが、其の少年の年齢にはない風格を感じる。
其れが紅との第一遭遇である。
「何を……と申されますと……。」
明継は其の風貌の重々しさと、急に声を掛けられた驚きで幼子に敬語になった。
初対面時の名残で紅に敬語を使うようになったのである。
紅は訝しそうに明継を見下した。
「庶民には見えないが……、下男でもあるまい。此れ、そなた名は。」
不信感の為か独り言の様に呟く。だが、明継の容姿と背広は羽織っていないが清潔な襟とカフスは、紅の敵意を削いだ。
其の上、此の時代西洋風の洋服を身に纏っているのは、上流階級の貴族か西洋人被れしたお金持ち以外には、米駐日大使ぐらいで極一部の身元の知れた者でしかなかった。後宮に入れるのもしかり。
「伊藤 明継と申します。」
『『貴方の名は……。』と聞こうとしたが、何となく身分が違う気がして明継は問わなかった。
「明継とやら。早よう帰られよ。」
始めに人の名を問う時は、自分の名を云うのが礼儀だが、其れを云わず平然としている所を見ると、世間知らずなのか大物なのか、疑問に思う。
明継自身確かに不法侵入であるので、文句も言えないが、理由も云わずにいる初対面の紅を不躾な奴だと感じるのは仕方がない。
「梅を少し見るのも駄目ですか。」
梅は心地よく風に靡いているが、紅は冷たい視線を明継に向け続けた。
「此処は皇院の別邸である。御前の様な下々の者に怪我されるのは、不快だ。」
明継は減らず口ばかり叩きやがって……と喉元を出掛かるが押さえる。
第一皇とは、一般人が顔を見るのも憚られる御人。皇太子の事である。
皇院とは、最も尊き第一皇の側近の別名である。何故、其の側近がそんな御大層な名を貰っているかと云うと、第一皇と血縁関係があり、日向になり影になり皇を支える能力知能集団の事である。
皇院の名を継ぐのは、皇の側に影となり寄り添う人物だが、皇院の血族もあり一番近い間柄があるのが、栄華を極め血族の下っ端になると、世を儚む上、収入もないに等しい。
転々と庶民に鞍替えする者もいる。皇院とは、其の様なものである。
其の中で第一皇が御誕生した時に、一番御年頃が近く、寝食を共にし御学友として共に過す者が選ばれ、皇院として日夜お側にいるのがお勤め。
幼なじみとして育たれ第一皇にご信頼が厚くなり、政治の表裏問わず出没する側近になれると云うわけである。
「はぁ。皇院の別宅でしたか……。其れは失礼……。失礼、次いでに名前を伺えませんか。」
訝しい顔をした紅。
「…………紅隆御時宮。」
名前を聞くと明継は、一礼をして紅の目前から去った。
実直に云えば、出会いは美しい梅ノ木の下最悪であったと明継本人、振り返る。
明継は此の時二十二歳。留学経験もあり、西洋被れした生活用式と物の考え方は、身分制度を酷く反対していた。好日家の外国人並みであった。
其の後、紅と出会う事もなく平穏に何日かは流れ、梅ノ木を見物には二度と行かなかった。年下の男の子に、変に卑屈になるのが、明継は大変嫌ったのである。
下働きの者に、紅隆御時宮について聞いて見たが誰も知らなかった。大半の人間は名前から云って宮腹の御子孫だろうと口を揃えた。
だが、宮廷にいる宮だけでも、顔と名前を覚えるのは至難の技、其の上皇院については、御内密になっているので誰も口を開こうとはしなかった。
後になって紅の口から聞いたのだが、皇院については庶民に話すと首が飛ぶとも噂されるほどであったそうだ。
自分の命が掛かっていれば誰も話さないし、噂がタブー視されていた宮廷で明継の存在がどれほど異質かが伺えた。
其んな折、外国人家庭教師の話が駄目になったと聞かされた。通訳として雇われている明継には職を失う危険があった。
明継に使えているメイド達は戦慄が走ったが、案の定、当の本人は倫敦に帰郷出来る口実が出来たと喜んだほどである。
早速、本家に電報を出し事情を説明してから、文面の最後に職を失ってはオメオメ帰る事も出来ず、もう一度倫敦に戻り故郷に錦を飾りとう御座いますと書き残した。
余談だが倫敦に留学に出る時も、同じ様な事を云った気がする。
家を飛び出したのが19歳の時、伯爵の四男と云え幼少期は母と一緒か、独りで過す事が多く。
兄は働きに出ていて面識はなく長男が何処かの官僚、次男が慶吾隊の指揮官、三男が宮廷の人間とまぁ、殆ど上流階級に匹敵していた。
明継が産まれた当初は養子縁組みの話が祖父母、親類、父から出たそうで大変な騒動であった様だ。
其れを反対したの母唯一人であった。30代を過ぎていた夫婦には、年老いてから出来た子供は恥じでしかなかったのに、母は離縁されても明継を手元に残すと云ったそうだ。
此の時代に、父に楯突けば三行半を叩き付けられるのは当たり前の世、母の決意は堅かった。でも、父も別れられない理由があった。
母は財産を養女として相続し、維新でガタガタになった名誉しかない伯爵家に嫁いだ。変な話には聞こえるが、江戸末期までは、相続は男女公平に行われていて、男子当主制もなかったのである。
母がいなくなれば其れなりの打撃があったので、父も了承したが今度は女の所に入り浸る毎日になり、明継以外は独立していて、二男までは所帯も持っていたので、然程問題もなかったらしい。
其の上明継が産まれる以前から女遊びの激しかった父は、家に帰るのも疎遠になった。
明継が産まれた為、母の不正の子と決め付けられたらしい。断固して母はそんな女ではないと子供達は口を揃える。
母の口癖は、『人の気持ちの分かる人間になれ』であった。今まで恐ろしいほど窮屈な人生を歩んで来た母。彼女は芯のある強い人間であったと幼いながら明継は記憶している。
其んな家庭に嫌気が差し、明継への風当たりの強さが理解出来る年齢になると、帝国大学の受験を辞め留学を希望した。
普通、大学を卒業した後に国の援助を受け行くものだが、明継の場合は単身で乗り込んだに近い。
相当、周りの者にも反対され逃げる形で海外に行った。
仕送りもなく、自分で働いて学校に通った苦学生であった。其れでも、文学研究は其れなりに認められ倫敦での成功を手に入れたのである。
此の時代、日本人は海外には移民ぐらいであったので、変に日本人が珍重されていた所為かもしれない。
若くして成功を収めた明継を、母は誰よりも喜び手紙を遣り取りしている内に、合いたくなったので日本への帰国を了承した。
通訳の仕事をしていれば家に帰らずして、母を呼び寄せる事が出来る。気まずい父や兄に合わなくて済むと思ったからである。
話は戻るが電報に、付け足しと云う形で母へ上京を促す一文を添えてある。
其の気があるのなら、返答があるだろうと心待ちにしているのだった。