過去 三十五 二人の兄
常継の宮廷の仕事部屋に来ていた。
何処も個室の仕事部屋は、似たり寄ったりで窓があり書類のための本棚がある。
慶吾隊員の常継の部屋には調度品はない。
「兄さんは、個室があって羨ましいよ。私は何時まで雑用係だ。」
独りがけのソファーに座った時継が、茶を飲んでいる。
常継が文机から立ち上がると、時継の前にある同系統のソファーに凭れ掛かった。
「時継は一般労働者として働かなければならないだろう。宮廷の中で内向きに働く全ての長だろうに……。大部屋でないと管理仕切れないだろうが……。其れに律之さんの管理もあるしな……。」
時継が苦笑いをした。
律之との肉体関係は最新の注意を払っている。佐波として夜眠っている彼に合いに行った事すらない。
「私は佐波様にあった時間より、律之さんと一緒にいる時間の方が長いのだよ。皇の指示でもあるから仕方ないけどね。」
「明継といい、時継といい。何故佐波様に気に入られたのだ。私だけ冷淡であるぞ。」
首を捻る常継に時継が其の問いには、答えられなかった。
明継の当て付けの為に自分が弄ばれて居る事を、他の誰にも知らせたくはない。
「母さんから伝言。時継から連絡を寄越せって……。」
時継が目頭を押さえた。
明白に嫌な顔をしている。
「又見合いの話しか……。三十越えてから執こいな。もう諦めてくれたら良いのに……。」
常継が喉を触りながら、話す頃合いを探した。
時継が想い人が居るのを、常継は知っていた。兄の勘である。だが誰かは知らなかった。
「俺は時継の年代に子どもが二人も居ただろ。母さんも心配はしているのだよ。身を固めて安心したいのだろう。」
「多分無理だよ。」
時継は思った。
絶対に律之が許さない。自分のせいで常継と明継まで迷惑を掛けるのが嫌だった。
「好きな人が居るなら添い遂げても良いのだぞ。身分違いか……。なら、諦めた方が良くないか……。」
時継は押し黙った。平常心で茶を飲む。
律之は男だ。紹介しても身分以前に父が許さないだろうと感じた。
父の年代は二十歳からの男色を法律で禁止した時代の人である。合意がなかったとしても、両者有罪で禁固九十日が言い渡された。鶏姦罪で捕まった時代を生きた人である。
「紹介しても駄目だと思う。結婚は出来ないよ。」
「明継の様ではないだろうな……。男色など学生時代の名残だ。早く大人になれ。男色家でも嫁を貰う奴は幾らでもいる。」
もう時継は言葉が出なかった。
否定しかされない。此の恋に名前などないのだ。
「すまない。母上には私から電話をする。明継達が到着する前に……。」
時継は其れを云うのに精一杯だった。
茶を飲み終わったら、場所を離れようと思った時継。
扉からノックがする。
「伊藤殿。私は吉野です。」
女の声がする。
「入れ。」
常継が声を出すと、直ぐに扉の隙間から下女がするりと入ってきた。
「伊藤殿の弟様もいらっしゃいましたか……。」
女は頭を下げると時継が顔見知りである事に気が付いた。
佐波の下女である。佐波付きの世話役は身元の知れた者しか集めない。少数清栄で業務をこなしている。其の中の一人である。
「時継殿が居ても報告をしても宜しいでしょうか……。」
「構わない。続けてくれ。」
ソファーに座っている常継の横に立った女。
「半田殿の指示が出ています。紅隆様の件です。」
常継が呟く。
「あの狸め……。」
聞こえるか聞こえないかの声。
「伊藤殿の目の前で噂話をしてから、二回目の指示です。中村と共に行動します。」
時継は思い出した。
下女の中村と吉野は、口数も少なく働く明るい女性で頭も良く、女学校を卒業後直ぐに宮廷で召し抱えたの二人だ。
「時継が佐波様の世話役を推薦した時に、丸め込んだ。二人とも宮廷の噂話も把握し、佐波様の後見人、半田まで見張ってくれている。」
「彼女達を間者にするのは、危ないのではないか……。何の訓練もしていない。」
「彼女達の役目は下女と変わりない範囲でしかさせてない。素人だから、自分に降られた仕事以外はさせてない。私が指示を出したのは、噂話を聞いてくるのと、半田殿の指示を報告だけだ……。」
時継が目頭を押さえた。
下女は時継の管理下に置かなくてはならない。
軍部との繋がりが有る者は、律之の指示で辞めさせたばかりだった。
位が高い者に関わりが有る人物は居なかった。
「半田殿の指示は何ですか……。」
吉野は、常継を見た。
「紅隆様の別邸の掃除です。」
時継が驚く。
部屋は封鎖され、合鍵を持つ佐波しか入らない。掃除など一年に一度あるだけだった。
「此の時期に掃除など必要か……。」
常継が首を傾げている。
年末は大掃除で開放するが時期ではない。其の上半田の指示とは思えない。
「佐波様の指示でなくて、半田殿の直接指示か……。」
「はい。中村と二人で掃除致します。」
「佐波様はご存じなのか……。」
「いいえ。普通に掃除し、換気をするだけの様です。佐波様は、関係していません。」
常継と時継が顔を見合わせた。
半田の行動の意味を探しあぐねている。全く予想のしえない命令。
「半田殿の指示を出した時に、何時もと変わらぬ様子だったか……。」
吉野は少し思い出しながら、首を降った。
「至って普通でした。」
「分かった。下がられよ。」
常継の言葉と同時に、吉野が身を翻し去って行く。
時継と常継の二人だけの空間になった。
時継が空の湯呑みを持ち立ち上がる。新しい湯呑みと先程の物に茶を入れた。
常継の前に差し出す。
「長丁場になりそうだな……。」
常継は差し出された湯呑みから茶を啜ると溜息を吐いた。また時継はモダンなソファーに腰掛ける。
「時継ならどう思う。」
「十中八九、主人が帰って来るから下準備をしているとしか思えない。」
常継は大きな溜息を又付いた。
テーブルの上に、湯呑みを置き腕組みする。
「其れ以外は考えられないよな……。」
頭を乱暴に掻き毟る常継。
「明継達が故郷に向かっているのを知ってる人物達は、何人いるのだ。佐波様、半田殿、伊藤家と慶吾隊員の数名だろう……。皇の側近は知らないはずだろう……。」
「修一と田所は、護衛に尽かせてるので、故郷に帰ってから家から出させなければ安全だ。順調に着けばの話だな。田所は家に着いたら、帰還させるつもりだ。」
「経路は馬か、汽車かどちらだ……。」
「修一が合流したら汽車と電車だ。関所には南部馬を配備はさせている。」
「なら電車の時に、奇襲を掛けられたら、負けだな。護衛は二人だけ。明継は文学で使い物にならないだろう。」
常継が頭を抱えた。
嫌な事を思い出した様だった。
「半田の指示で吉野と中村が、明継の前で紅隆様の噂話をした時がある。其の時の明継は最悪だった。自暴自棄になって宮廷から出て行った。直ぐ修一を向かわせたが見るに絶えなかった。」
一層、頭を掻き毟る常継。
「自分を忘れる程紅隆様を好いているのだね……。」
時継が自分の事の様に呟いた。
回りから見ると秋継は哀れなのかもしれない。だが、時継には羨ましくあった。




