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過去 三十三 悪夢

 逃げ出した露台のある三年間紅と暮らした明継の部屋である。


 光が窓から差し込んで来るのに、明継の顔は冴えない。

 必ず佐波の儀式、前に捕まえに来ると感じていた。重い口を必死に動かして、目を(ツム)りながら話しはじめた。


「あのですね……。(こう)に別れを()いに来ました。」


 口に付いた言葉は、文章的に見て可笑しな語感があった。

 明継が笑うと紅が目を丸くする。聞き逃した様な動作をする紅に、ハッキリした口調で同じ事を繰り返す。


「御別れを云いに来ました。」


 少し遅れて、紅が反応する。


「えっ……。」


 遠い云い回し過ぎて紅には、明継が云わんとしているのが理解できない。


「紅……。これで、元の生活に戻れますよ。今日私を捕まえに来ます。」


「どうして……。」


「私は紅を誘拐ました。そして、君を不幸にしていたのですよ。」


 呆然と明継の事を見ている。紅は意味が分からず反応出来ずにいた。極端な明継の変化にシドロモドロする。

 だが明継の虚無的な瞳が、紅に語り掛けていた。彼は、得体の知れない明継の穏やかな空気を感じ取る。


「もう二度と会う事はありませんが……、有り難う御座いました。」


 異常なまでの静けさが辺りを包む。

 朝早いとは云え、人の往来の声すらない。

 階段付近が静か過ぎると不信に思う。時間がないと明継は実感した。




 其の途端、扉を押し破るケタタマシイ音があり、一斉に人が突入してくる。

 開いた瞬間、音とは裏腹に明継の視界だけが、ゆっくりとコマ落としの様な状態に見えた。本当に数秒ぐらいの出来事なのに、突入は時間経過が手に取る様に分かった。


 人の流れが部屋中に残る。他人の顔が一人一人確認できる。

 狭い部屋が人と熱気で埋め尽くされると、上司らしき人が明継の前に現れる。


 同時に「紅隆(こうりゅう)様の安全を確保。」と誰かが叫ぶ。


 紅が数人の男に周りを囲まれていた。事態を認識出来ず紅は脅えた目付きであった。


「伊藤 明継だな。皇侮辱罪。皇院(おういん)誘拐で連行する。」


 明継が落ち着いて頷くと縄を体に巻き付けられ、取り押さえる。

 暴れもせず観音菩薩の笑みを浮かべる明継。


 紅の表情がハッキリ苦痛で顔が歪んでいるのが分かる。


「先生。嫌です。」


 紅は制止も振り解き、力一杯に叫んだ。

 大柄な男達が紅を押え付ける様に、腕を絡ませた。無理にでも逃げ様とする紅。


 それを裏目に明継は冷淡な態度で男に(ジョウ)を掛けられた。

 明継の腰に細い紐を(クク)り付ける。

 終始、無言で穏やかだった。


 紅は必死に抵抗していたが、案の定無理で、明継に「先生。先生。」と何度も呼びかげたが、反応は返っては来なかった。

 視線すら向けてくれない明継に、半べそを掻きながら紅は、何度も何度も人の制止を振り払って、明継の元へと向かおうとした。


 明継の薄い輪郭の横顔が、体格の良い男達に囲まれて少しだけ見え隠れする。

 ユックリと紅の目の前から明継が、部屋を後にした。








「紅。紅……。紅……。」


 紅は目を見開いた。

 心配そうな顔をした明継が紅を覗き込んでいる。


「先生。」


 首にしがみつくと、明継は優しく抱き寄せ髪を撫でた。


「凄い(ウナ)され方でしたよ。悪夢でも見たのですか……。」


 蒲団の中に寝ている紅が居た。浴衣が肌蹴(ハダケ)身悶(ミモダ)えた様子が伺える。


「夢を見ていたのですか……。」


 生々しくもある夢に恐怖を覚えた。明継の心臓から、鼓動がする。

 紅がゆっくりと息を吸い込んだ。体全体がまるで心臓の様に脈打っている。


「紅は夕飯を食べたら眠ってしまったのですよ。起こすのも可哀想だったので、其の侭寝かせていたのですが……。」


 修一(シュウイチ)と明継と紅がいるのは温泉宿の一室だった。

 夜も遅いのか外は真っ暗だ。テーブルの上に酒瓶が置いてある。

 修一は酒を煽ると、紅の額に触れた。


「熱もないし、大丈夫だろう。酒も終わったし、温泉行こうぜ。二人はまだ入ってないだろ。」


「体調が悪いのかもしれないし……、この侭休ませたい。」


 明継は紅を抱き止めた侭、話す。


「先生、私は大丈夫ですから、()入り下さい。」


 紅を蒲団(フトン)に卸し、上蒲団を掛ける。

 顔だけひょこりと出ている紅。


「独りには出来ないよ。」


 明継の心配そうな視線が見ている。


「二人共に折角、温泉に来たのに入らないのかい……。明日は朝一で汽車に乗るんだからな。疲れも溜まってるし、三人なら一緒に入っても問題ではないだろ。」


 紅は自分が部屋に居るから、明継が温泉に入れないのに、気が付いた。


「私も温泉に入ってみたいです。湯治場は初めてですし……。」


「紅は無理しては駄目だよ。初めての経験が多すぎる。情報過多になって、脳が休まらないのだよ。」


 修一は蒲団を剥がして、紅を立たせる。


「折角、温泉に来たのだから入るべきだ。休むなら、体を暖めた方が良い。明継は心配し過ぎだぞ。」


 修一は酔っている。

 浴用タオルを帯に挟むと、紅を連れて行こうとする。明継が慌てる。


「一生来ないかもしれませんし、温泉に入りましょう。」


 紅が笑い掛けると、明継もタオルを持って隣に並んだ。

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