過去 三十二 三男と密事
全年齢対象ですが、
深く読むとR15
「律之さん、もう諦めて下さい。」
伊藤 時継が諦め顔をする。
既に、成人の儀が公式発表として行われてしまった。其の一報を、皇も聴いている。個人無線で第一報をし、新聞社に情報を流した。国民に出してしまった以上、取り消す事は出来ない。
「当日は一人で行わなければ、為らないのですよ。私も御側には控えますが、祝詞まで教えられません。1日唱えなければ為らないのに、どうするのですか……。」
巻物を彼の前に差し出す。
「今は律之なのだから、良いだろう。私だって、緊急に皇子になれなどと、云われて困惑している。」
「ですから、十三の時から申しておりましたでしょう。如何なる時も、皇子である事を忘れないで下さいと……。」
彼の隣に時継が正座をする。
畳の部屋で真ん中に茶の湯用の釜が、設置出来る庵があるが、蓋がされている。
「皇も御心配なさりますよ。紅隆様だけでなく、貴方様まで浮き足だっては心弱くなられます。」
「今紅の名前を出すのは、狡いぞ。」
時継達が居る場所は、皇院の別邸である。今、九州に向かっている紅の部屋である。
「今頃、倫敦に行けなくて、泣いてるかもしれない。紅は泣き虫だからな……。昔はそうだった。時継も知っているだろうが。」
彼は畳に寝転がりながら、天井を見た。
今日は、丸首のシャツとズボンを着ている。
「慶吾隊からは其の様な報告は受けていませんが、どうでしょう。」
時継が正座する上に、彼が乗り掛かった。
首に腕を回し、ぶら下がる様に抱き付く。
「佐波様、辞めて頂けますか……。そろそろ業務に戻りますので。」
時継の首に吸い付こうとして、顔を押さえられた。佐波はけたけたと笑い。
「私を律之にしたのは、お前だろう。下男の律之に……。」
「弟に合いたいなら、普通に紹介しますと申しました。佐波様も立場を隠してまで、合いたいと仰ったので助言した……、までです。佐波様の命令通り、結婚もせず、遣えてるではありませんか……。これ以上何を望まれますか。」
時継が目を押さえた。
弟の明継と同じ癖であった。其れを見た佐波が満面の笑みで答える。
時継の首に腕を絡め付けた。
「私の紅を奪ったからだよ。私にしか心を開かない子だったのに……。あんなにあっさりと持って行かれた。兄のお前に仕返しして何が悪い。元から私達兄弟の遊び相手だったではないか……、なのに、紅の幸せの為に何でもしたのに、明継を選んだ。ならば、明継の兄であるお前は私の物になれ。私だけの物になれ。私はいずれ、皇になり子を作らねばならぬ。其の姿を見て、一生遣えよ。弟の罪の分、私にだけの物になれ。」
甘ったるい声で佐波が、時継の耳元で呟く。
眉を歪ませただけで、時継は佐波を抱き止めた。
「あの男に紅は勿体なさすぎる。そう思うだろ。時継、二十四も下の者に遊ばれる気持ちはどうだ……。悔しかろうな。だが、駄目だ。逃げるのは許さない。一生遣えろ。」
時継の抱き止めている腕に力が、こもった。
「御意。」
時継は思った。
何て酷い人に惚れてしまったのだろう……と、表の皇子としての顔と、裏の全く違う嫉妬の顔とを使い分けるまだ年若い少年。
時継が自分の記憶を今から過去へと戻して行く。
紅と佐波の違いは幼少の頃からあった。まだ、二人の母親の律之が生きていた頃。
高校を卒業し、慶吾隊員である兄の常継に会いに、来た時から佐波には見初められた。
まだ、皇子として育てられた佐波と紅の世界は完結していた。何事も二人で学び二人で遊び、生活の全てが二人の物だった。
杏の樹木がある部屋の前に、生母と二人の部屋はあった。
常継の面会の時間が終わり、帰路に着こうとして迷子になった。廊下を歩けども迷路の様になっていて、東西南北すら分からなくなってしまった時継。
仕方なく庭に出たら、二人の子供が遊んでいた。佐波と紅の立場も知らない時継は、二人に話し掛けた。
「遊んでいる所、ご免ね。此所が何処か解るかい……。」
蟻の巣を突っいている子供が、立ち上がった。
「迷子か。この様な場所で。」
其の後ろに隠れる様に、顔を埋めた子供もいた。前の子供が、後ろを守る様に胸を張った。
「そうなのだよ。悪いのだが、案内をしてくれないかい。」
時継が子供達に手を差し伸べる。
しかし、其の手を前の子が払い除け、子供は睨み付けた。
「我らを何だと思っているのだ。さては、拐おうとしているのだな。」
子供の気迫ではない物を感じて、驚いた顔をした時継は手を引っ込めた。
「ご免。本当に、道が分からないのだよ。」
時継の自然な表情に、後ろに居た子供は、此方に顔を出した。
敵意がないと解った様だった。
「其の扉から入って、角まで歩くと、慶吾隊員が居るよ。」
後ろの子は優しそうに笑った。
「有り難う。邪魔して悪かったね。」
手をひらひらさせて後ろ姿になった時継。
扉の方向へ歩き出すと、子供の一人が声を出した。
「待て。名前は何と云う。」
どうやら、声を出したのは、前の子供だった。
後ろの子は、手をひらひらさせている。
「伊藤 時継……です。」
真っ正面になって、時継は答えていた。
前の子供は口を真一文字にしている。何かに怒っている様だった。
「何か気に触ったかい……。」
時継が問うと、前の子供が睨み返してくる。
「ごめんね。」
意味が解らず困惑した表情をする時継に、前の子供が言葉を発した。
「名を覚えておいてやる。去れ。」
時継は呆気に取られたが怒る気にもなれず。
後ろを向いて歩き出した。
「邪魔して、ごめんね。」
又、時継は手をひらひらさせた。
後ろの子供も手をひらひらさせた。
「何を呆けている。」
場所を思い出した時継は、佐波を見た。
皇院の紅の部屋である。窓の外には、花を終わらせた梅ノ樹が見えた。
時継は、畳の上から、上半身を起き上がらせた。
畳が摩れて、背中の肌が赤くなっている痛みがあった。
脇に投げ捨てられた制服の、かくしから手拭いを取り出し自分の体を拭く。
「片付けて置きますから、佐波さまは公務に戻ってください。」
新しい手拭いを佐波の前に出す。
淡白に時継が云うと、甘えた様に彼が首筋に抱き付く。
「まだ、怒っているのか……。」
時継の顔に佐波が奉ずりする。
「汚れるので、離れて下さい。」
首に巻き付いた腕を外し、新しい手拭いで佐波の肌を拭う。
「お前は余韻がない。私が時継を気に入ってるのが解らないのか……。」
「明継と紅隆様の当て付けの為に、私を選んだのでしょう……。」
時継が身支度を整えると、次に、佐波の肩にシャツを通す。まだ幼い細い肌が、艶々と輝いている。
時継が佐波の脚を拭くと、ズボンのボタンを閉じた。
支度の手伝いを、小気味良く手伝う。
「其の様な事で怒っているのか……。恋愛に憧れるとはまだ若いな。西洋から来た恋慕の情など我々には、関係がない。女流作家が流行らせた物など、打て捨ててしまえ。」
時継が自分の胸倉を掴んで、息を大きく吸い込んだ。
心の臓が痛い。身がちりちりと焼ける様な感じを受けた。
惚れた人は、自分を見てくれない痛みが体を焦す。
「何は共あれ、祝詞を覚える事に専念してください。」
巻物を佐波の前に出した。




