過去 三十一 関所
あれから明継と紅と節は馬を走らせて、関所に着いた。
紅は又明継の毛布にくるまり、人目を避け続けた。
ずっと体を密着した侭で走らせた為、明継が何とも云えない、もどかしい思いをした。
「関所は流石に隠れられないよ。行こう。」
紅は馬からのろのろ降りて、直ぐに明継の左手を握る。
「先生。離れないで下さい。」
「解ってる。」
明継が、瘡蓋になりかかった手で、紅の頭を撫でる。紅の息が落ち着いた。
馬の手綱を持ち、節の後に続く。
通行許可の札を見せると、問題なく進む事が出来た。節の表情が一安心と物語っている。
「新しい馬が用意されてるから、そちらに行きましょう。慶吾隊員が待ってるわ。」
門を跨ぐと、空気が一辺した。
森の中を進んでいく感覚に近い。
「田所さん。又馬での移動ですか……。流石に、尻が割れます。文句をいってる場合ではないのは、承知してますが……。」
「仕方ないわ。汽車が通ってるとは云え、密室では逃げられないもの。我慢して……。」
節が約束の場所に着くと、見知った顔が現れた。気さくに手を振っている。
「遅いではないか……。待ち草臥れた。」
「合流する何て聞いてない。林くん、又単独行動だわ。」
修一に節と明継は馬を預ける。
彼は南部馬を慶吾隊員に渡し、回収した。
「常継さんの指示だ。汽車と電車に乗るぞ。神戸まで出たら、本州西端の下関駅。船で九州に帰るぞ。」
節が瞬きをした。
困惑しているのは、彼女だけではなかった。
「何時の間に、故郷に帰る指示になってるのよ。倫敦は何処に消えたのよ。」
修一に詰め寄る節。
困った様に笑い、宥める。
「紅に佐波さまからの文だ。次いでにお前にもある。」
紅と節は文を読み出し、直ぐに節は文を燃やした。紅は何度も読み直し襟に忍ばせた。
「佐波様は何と書いてあるのだい……。」
「修一さんと共に行動せよです。倫敦ではなく、指示があるまで先生の家で待機せよと……。」
紅の声が曇っている。
見るからに元気がなくなってしまった。
其の様な姿を見るのが忍びなくて、明継が紅の手を繋いだまま、抱き締めた。
「大丈夫です。佐波様も理由があるのですよ。今は私の実家まで帰りましょう。幼い頃遊んだ場所を案内しますよ。きっと、楽しいですよ。紅は整備された自然しか知らないですから……。」
紅の声が啜り泣きに変わった。
涙を流す姿を初めて見た明継達。今迄、出会ってから、一度も泣いた事がなかったのだ。
「大丈夫です。桜を見ましょう。九州の方が花が咲くのが早いのですよ。紅は桜吹雪何て見た事がないでしょう。」
明継が泣き顔を周りに見せたくなくて、羽織った毛布の中に、紅を隠した。左手は離さない侭で、彼は着物の襟芯を掴み、声を殺していた。
「大丈夫。直ぐに良くなるよ。大丈夫。川は、まだ冷たいから、魚でも釣ろう。穴場に案内をするよ。木蓮もまだ咲いてるだろうから、見に行こう。好きだよね。きっと気に入るはずさ。」
抱き付いた侭、数分が経過した。
明継は思い付く限りの話を紅に伝えた。幼い時の思い出を止め処も無く、話した。
「もう大丈夫です。先生。有り難う御座います。」
紅が顔を上げた。
目が真っ赤になっている。白兎の様に毛布から顔を覗かせた。
「気にする事はないよ。大丈夫。」
明継は握っていた手を離し、両腕で抱き締めた。
「大丈夫。」
明継は自分に言い聞かせる様に呟いた。
修一は息を潜め待っていてくれた。
何より節が、紅が泣いたのに驚いていた。しかし、二人とも何も云わなかった。
紅が、落ち着くと、修一が喋り出す。
「旅の疲れもあるだろう。今日は宿に泊まろう。良い宿屋があるのだよ。温泉が湧いてる。飯も旨い。人力車で行こう。」
直ぐに明継と紅を乗せて俥が走り出す。二人は手を繋いだまま乗り込んでいた。
修一と節も人力車に乗り込む。
二人とも真正面を向いて、動かない。
「お前は今日の一報を聞いたか……。」
修一は、無表情で言葉を紡ぐ。
小高い丘を登っている様で車体が傾くが、二人とも体勢が崩れない。
「茶屋で、三人共聴いたわ……。個人無線から出ていたから、間違いなく、正式発表だろうね。佐波様も皇も承諾した儀式になってるみたいね。誰の差し金かしら……。」
「十中八九。軍部の差し金だろう。其れを証明する証拠はない。常継兄も軍部が動いていたら、手出しは出来ないとさ。先の戦は勝って上機嫌の上層部が後押ししてる。もう、皇だけの問題ではない。日本全国が巻き込まれるだろうな。お前は常継兄に付くだろ……。其れとも、他の奴か……。」
修一が鼻で強く息をした。全く、目を合わせない。
「私達って中途半端な存在よね。私は佐波様に付くわ。説明は要らないわよね。私は私の仕事をするから、林くんは邪魔しないでね。」
「俺は、明継と紅を最後まで面倒みるつもりだ。お前の方が辛いのではないか……。あの様な姿を見なくては行けなくて……。」
節が眉を潜めた。
修一は腕組みをして、言葉を始めた。少し云いずらそうに、頭を掻きながら述べる。
「明継はもう紅しか見ていない。自分の命も惜しくない程の恋だぞ。見ていて、苦しくはないのか……。」
「余計なお節介。でも、林くんはどうなのよ。君主よりも、伊藤くんに従ってるではない。確かに学生時代から仲が良かったわよね。」
修一は又、頭を掻いた。
「喧嘩は買わないぞ。明継を俺がどうこう出来るだけの身分ではない。」
「何を云っているの。硬派な男子が男色を好んだ時代の学生でしょう。女子との恋よりも純粋だって熱弁する男子もいたでしょう。二人は特に、仲が良かったものね……。」
修一は哀愁漂う瞳の色になった。
視線を避けた地べたを見ている。
「俺の場合は違うぞ……。でも、明継は紅を選んだ。」
二人は黙した。
車輪の音だけが、規則正しく回っている。
目の前には、宿屋が並んだ界隈になり、華やいでいる。




