過去 二十七 兄
修一が杏の樹に凭れ掛かって座っている。
煙草を吸いながら、大きな溜息を付いた。
「御一緒しても宜しいですかね……。」
樹木の間から姿を現した男がいた。
「いいよ。どうせ貰い煙草だろ。」
修一が座ってる隣に、腰を卸した。
樹に背中を預けると、微笑んだ。
笑うと明継に似ている。背格好は同じだが、彼は制服を着ていた。
「吸いかけで悪いけど、此れでいいか……。」
修一は口にしていた物を其の侭、渡す。彼は笑顔で、受け取り煙草を吸った。
「やはり旨い味ではないね。」
微笑みながら伊藤 常継は、月を見上げた。
「では貰うな。値段が高いのだぞ。一本分、払え。」
修一は煙草缶から又出し、火を付ける。
杏の花が風に戦ぐ。一帯が杏畑になっているので、花がざわめいた。
「吸い残しなのに、守銭奴だね。」
「彼奴と同じ顔で笑うな。」
常継とは一回りもの年齢差があるにも関わらず、修一は、本気で怒った。
「笑わなければ似ていないだろう。」
常継は、視線を修一に落とした。
やっと視線が絡まる。
「明継の事、痛み入る。本当に有り難う。」
伊藤家の次男、常継は真剣な眼差しで、頭を垂れた。
「慶吾隊の冗長が頭を下げるな。俺が変な目で見られる。兄弟揃って、職場を私情に巻き込むな。」
修一が月に視線を戻すと、常継は笑顔に戻った。既に、目線を杏の花に移している。
「愚弟が馬鹿な真似をしたからね。紅隆様、拐って逃げてる。此の上母上ですら加担したんだから、笑うしかないよ。母上は明継に甘過ぎる。」
「見てないのに、見てきた風な物言いだな。」
修一が常継を、やはり睨み付ける。
「あの弟が、母上の止めに耳を貸さない訳がない。紅隆様がどのように明継を連れ出そうとしても、母上が止めれば計画は御破算。母上が帰った後、慶吾隊員が突入して逮捕された……はず、だった。」
常継が詰襟を触った。
煙草の所為で体温が下がった為、首筋が寒くなったのだ。
修一が手に持っていた襟巻きを、投げる。加え煙草をした侭、常継が首と肩に防寒を巻いた。
「佐波様の計画通りになった。二人は逃げた。否、独りで逃げなかったから、佐波様の妥協案だな。佐波様は明継だけ逃がしたかっただな。」
「常継兄はさ。本当に見てきたように話すなよ。流石に恐いよ。しかし、明継は、紅の手を取ると思う。母親が止めてもな……。」
「其の理由は、何だ。紅隆様を選ぶ理由は……。」
「明継が自分の気持ちに気が付いたからだ。もう戻れない。自分の事より、紅を選ぶ。だから、逮捕されるのを承知で、家に残った。紅が動かなければ、半田の思惑通り逮捕だった。」
常継は修一の肩にぽんぽんと触れた。
答えを判ったように胸ポケットから、煙管を取り出し手渡す。
常継は煙管の穴に煙草を捩じ込んだ。
「慶吾隊員の中から、明継達を追い掛けた者達を牢屋に入れてある。」
煙管が上下する。
「節に男装させたのは、其の為か……。」
「皇反対派と半田は、修一と明継の区別が付く。軍服を着てたら尚更だ。」
修一が、又視線を泳がせた。
「半田殿は修一が裏切らないと思い込んでいる。しかしな……、意見するのは、もう止めろ。」
常継は微笑んだ。
煙管を口から外しながら、満面の笑みだ。
「軍属は、上の命令は絶対だからな。しかし、慶吾隊員は違う。私を敬うが頭は皇、只、御一人。」
「俺も、元は軍人よ。」
修一は前髪を掻いた。
「だから、明継に近づかせたのだよ。三年も内密に処理していたのに……。佐波様と紅隆様だけの仲介ではなく、明継に話し掛けさせた。半田殿は、御前を克っている。絶対に。」
「常継兄は、全て見越してたと云う事か……。」
「いいや。状況判断の積み重ねにしか過ぎない。慶吾隊員からの軍属は、粗方始末したが、宮廷はまだだ。伊藤家三男が何とかするだろう。」
修一から変な咳が、出た。
「三男とは……。面識ない。」
「三男がお前と面識ある訳がない。明継も殆ど、覚えてないだろう……。私は、修一を知っていたのは、明継が家に連れて来た珍しい友だから、覚えていただけだ。我が嫁の初産の時に会ってるからね。縁を感じる。」
修一が、又前髪を掻いた。
「狸はどうする。」
常継は煙管を叩き、灰を出した。次に修一の煙草を口元からさらい、又煙管の口に捩じ込んだ。
一口煙を吸ってから、常継は答えた。
「軍人に手出しは無理だ。明継より情勢は解ってるだろう……。お前は軍人として関係を保てば良い。」
二人は沈黙する。
寒さが底になってきた。
「明継を逃がして良いものか……。俺は二人に幸せになって貰いたい。常継兄ならどうする。」
「母上に任す。」
「え……。」
「母上に任すのが、一番の幸せだと思う。」
又、沈黙になる。
「愚問だったか……。常継兄にも……。」
「本気だか……。何故修一は、故郷に帰らないと思うのだ。情勢を考えれば、母の元に居るのが、安全だ。明継も、修一も、少し考えれば解りそうだかな。」
修一が溜息を漏らした。
「明継が此の三年で興味を示したのは、紅だけだよ。」
「報告でも其れは解る。難儀な人を好きになるのは、伊藤の血筋だ……。」
「常継兄は気づいてたのか……。明継と紅の事。」
「木蓮の花の一件は、見物だった。私が直に観察した結果、十中八九、明継が紅隆ように惚れてる。其の上、今一緒に逃げてるなら紅隆様も同じ想いか……。身分が違うのに難儀だ。」
「もっと焦れろよ。」
「男色など学生の遊びだ。一時の夢だ。」
「明継は命張ってるのだぞ。紅に……。」
「西洋被れの愛など、要らぬ。」
「常継兄にも、解らないのか……。二人の関係が……。」
「遊びだろう。」
煙管を吸い終わると、常継が服の泥を払う。
修一は、月を見上げながら、襟巻きを受け取った。
「狸から、紅の側に居ろって云われた。」
「では、次の関所に置いている馬を先回りし回収し、節と合流せよ。半田の動きが出次第連絡させる。私達の動きが、間者に漏れないよう砕身の注意を払え。佐波様の名前に傷が付く。」
「先行している馬に、追い付く為に電車を使うぞ。もしもの為に、馬は配置してくれ。俺は明継に付く。」
「其う云ってくれて、嬉しいよ。まだまだ、愚弟は止まりそうもないからね。慶吾隊員も裏切り者を相殺出来た。皇も紅隆様を守りたいのだよ。ささ、朝一のに乗れ。」
常継が、煙管を返した。
修一が常継のように煙管に煙草を捩じ込む。
二口吸うと、音もなく常継が居なかった。
杏の花を見た。ゆっくりと大輪の花を咲かせていた。




