過去 二十四 南部馬
「遅いから捕まったのかと思ったよ。」
修一が、馬の顔を撫でた。馬の鼻から出る息が白い。
「先生の母上と離れるのが……。」
「其うだね、明継の家族まで使って足止めさせる程、宮廷が混乱してるからな……。明継のお袋さんは、内容なんて何も知らされてないだろう。父親の命令と、物見遊山だろうな……。」
修一が馬具の位置を確認する。
風に靡かないように防寒用の服を着ている。其の上から、毛布を纏っている。
「皇も主犯を探している。佐波様に関しては、自分の側近を疑ってる。佐波様も明継に独りで逃げろは、無理だろうな……。演技にしても達が悪い。」
「では何故二人で会話した時、逃げろって云わなかったのだ……。」
明継が、不服そうにしている。
修一が罰が悪そうに、頭を掻いた。
「慶吾隊員に尾行されてたからだ。誰が何処の手の者か解らないし、尾行を撒くにまけなかった……。下手に明継と居る時姿を晦しをしたら、目を付けられる。其れが嫌だった。だから、話を聞かれてるのが解ってても、話を合わせないといけなかった逮捕される方に……。」
修一が説明し終わると、又、頭を掻いた。
彼は南部馬の手綱を一つ、明継に渡たす。
「佐波様も明継が独りで、天都から逃げるのが得策と思ってるよ。しかし、紅としか逃げないだろう……。此の前の会話でも解ったよ。逮捕されるのを選ぶだろうとね。だから、明継の性格を知っている佐波様も律之になってまで、独りで逃げるように説得した。説得も無駄だし、明継の母上まで上京してくるし、もう逃げないと逮捕したい奴らは考えてる。なので、母上様は逃げる時間を繋ぐ為に、家に居るんだ。」
修一が、馬具に股がった。
「いい加減、馬に乗れ。今直ぐ、天都を出るぞ。」
節は紅から荷物を受け取り、鞍の上部に括り付ける。彼女は荷物を抱き抱える形で馬に股がった。
「伊藤さん達は、私に着いて来て下さい。宿場を通らず、案内します。」
明継が、怪訝そうに節を見た。
「大丈夫。仲間だ。俺と同じ立場だと思えばいいよ。佐波様の仲間だ。」
修一が、馬の鬣を撫でている。
「私は、信じられない。始めて合った時、新聞記者だと名乗って、不安だけ煽る発言ばかりされた。道案内なら修一がすれば良い。」
馬の肩に紅を横座りさせて、明継が鞍に乗る。流石に、馬も嫌だったのか鼻息が荒くなった。
紅を両腕の中心で挟み手綱を握りしめ、包帯が巻いてある拳で、馬の首筋を小気味良く叩いた。少しづつ落ち着いてくれる。
「仕方ないだろ……。明継と同じ背丈の男で、内部事情に詳しいの俺しか居ない。明継を逃がそうとしてるの、佐波様なんだからな……。俺が囮になる。怪しまれない程度に、方向が逆に為らないように行くつもりだ。」
顔を隠すための襟巻きを顔面に着けている修一。
明継は久しぶりの馬に不安気な紅を見て、心配した。
「私にしがみ付いて……。」
紅の体重が明継の胸板に掛かる。左手を脇から通し、着物の背中心を掴み離さない。右手は明継の脇腹の帯を掴んでいる。
「馬は、久しぶりです。」
「大丈夫、振り落とされないで……。」
紅の握力が強くなる。
明継の腕が優しく紅を抱き止めると、身体の緊張感が和らいだ。
「三人の馬で逃げる方が目立たないか……。」
「信用して下さらなくて、結構です。御時宮様さえ御連れ出来れば、私の仕事は成功したも同じです。」
節が言い切る。
「では、何故私の諜報も、紅の諜報も知りながら黙って知らないふりをした。」
節は口を一文字にしている。明継の問いに答えるつもりは、更更ないらしい。
「先生。節さんも大丈夫です。此れを見て下さい。」
紅の胸元から、古びた財布が出てきた。
此れは、明継が昔紅と宮廷にいた時代。初めて渡した贈り物だった。
銭を使う事はないかも知れないが、庶民の感覚を養って貰うために渡した財布。
「修一さんから頂いた写真です。」
まだ学生時代の明継が写っている。白黒の角が擦れた写真、隣に修一も居る。
二枚目を見ると学校の集合写真だった。
「此所を見て下さい。節さんです。先生達は同郷の同級生何のです。」
女の子の比率は少ないが、確かに幼い節が居た。
「覚えてない……。」
「俺も当時の女子、何て覚えてなかったけど、湿式写真を見ていた紅が初めて気が付いた。俺より先に彼が言い当てのだ。節に確認取ったら同郷だとよ。」
直ぐに写真を懐に戻す紅。又、明継の体にしがみ付く同じ態勢になった。
「昔の事はどうでも良いです。さあ、行きましょう。」
節が体を伸ばし、馬の腹を優しく蹴る。
其れを合図に、修一と明継も馬を動かした。
「道中、彼女に話を聞け。」
修一が、早くない速度で直進して行く。
「紅、振り落とされないで。」
明継も脇に力を入れて、紅を抱え込む。彼の体に力が籠る。
「逃げるんだから、会話すら出来ないわよ。」
節が頬っ被りを被る。
明継も布を口まで伸ばした。紅は明継の毛布に体ごと隠れる。紅の体温で体が温かい。
「天都を一気に抜けるわよ。着いてきて。」
「云われなくても……。」
二つの蹄が響く。
日本家屋の下町を抜けて店屋を横切り、自分達が住んでいた家が遠くなって行く。
道に誰もいない時間なので、馬で走り抜けても恐怖はなかった。
天都の関所には、見張りが倒れるように眠っていた。酒の瓶が転がっている。
扉が閉められており、節が馬から降りると、鍵を開けていた。門扉を押してこじ開け、馬を通す。通り終わると、又、施錠した。
人の気配がしなかった。
関所を抜けると直ぐに、杉の森に覆われた道になった。向かい風が冷たくなる。
「先生。」
布から顔を出した紅が、安心したように問いかけた。
「まだ、速度がある。隠れてなさい。」
「はい……。」
紅は目線だけ動かした。
「杉並木ですね。先生。無理なさらないで下さいね。」
しかし、誰がが騒ぐでも、追ってくるでもなく、楽だった。
夜露に濡れた杉の薫りがする。
目に写るものは、森だけだった。異常もない。
「御時宮様は無事なの……。」
節が小声で、明継に問い掛ける。
「大丈夫だ。疲れた様子もない。」
其れを聞いた節が、馬の馬身を開いた。速度を上げたらしい。
二人乗せている馬の息も騰がっていないので、明継も節の馬に続いた。紅は必死で明継の体に寄り掛かる。
「もう少しの辛抱だ。頑張れ。」
呟くと、胸の辺りで頷く紅の姿が解った。
明け方近くなり寒さの頂点に達した時、節が馬の脚を緩めた。




