過去 ニ十二 夢
明継は、ゆっくりと瞳を開いた。
春の麗らかな風が吹いている。
上体を起こすと、見慣れた風景ではなく、ただ川沿いに桜の樹が咲いている。川の深さを整備するためのコンクリートで固めている工事が行われている。見た事もない機械が動いている。
明継は直ぐに、夢だと気が付く。
自分が寝転んで居たのが、芝生の上だと手の裏で感じとり辺りを見回す。道が黒いもので覆われて、段違いに緑色の細い道がある。
道の切れ目に躑躅が植わっている。
「風が違いますね……。」
高い住宅を見つめる。同形の建物が何軒も建っている。露台から、蒲団が干されて、人の息使いを感じた。
「先生、こんな所で何してんの?」
黒い道の上で、自転車に股がった少年を見た。自転車がハイカラである。
「紅……。」
彼は、帝国大学の制服を着ている。華美ではないが、良く似ている。
「俺よりとうこう遅くてどうすんだよ。先生。後ろ乗れ。」
「否。此れをどう乗れと……。」
困惑している明継に、紅が自転車を停めて、二十寸位の高さの段差を乗り越え、芝生までやって来た。
「新米先生がサボる何てスゲエな……。見た目、お堅いのにな?」
明継の隣に、腰を落とす。
「紅……。此所は何処です……。」
「俺ん家の近くだよ。先生は学校どうすんだよ。遅刻は俺、しないけど、先生は遅刻だろ?イツモなら校門前に居るだろうが……。」
明継は苦笑した。
此所は夢の中なのだ、
「紅に似てるヒト。」
「時宮くんって呼ばないな、どうした先生。」
「貴方と桜が見たかったのです。」
「桜?」
二人して桜を見上げた。
護岸工事で重機の音がする中、紅は直ぐに明継を見た。
「此の桜は、工事で来年にはなくなる。両岸が桜通りだったのが、ほら、あそこから半分はもうないよ。今年で見納めだよ。だったら、来年は記念公園行こう。あそこなら伐採されないし、整備されてるし入場料は取るけど、楽しいよ。アイスぐらいは奢ってくれよ。」
紅の話の半分も理解出来なかったが、明継は微笑む。
紅が離れないで、側にいる。其が何よりも嬉しい。
「来年の話をしてくれるのですか……。」
「来年はじゅけんだから、夏までしか遊べないけど、付き合うよ。」
「ずっと、一緒に居られるのですね。」
明継の憂いが表情に現れた。紅は不思議そうに明継の眉間を指で擦った。
「先生は、嘘を付く時、必ず眉間に皺がよるよな。ハの字みたいな眉毛になる……。しば犬みたい。」
何度も擦られて明継は、眉を元に戻した。紅の指先が、ゆっくりと離れる。
「ずっとは無理だろ。俺だってこうこう行きたいし、働きだしたら頻繁に遊べないけど……。」
紅が耳の下を、深爪の指でボリボリと掻いている。耳朶に蒼い石が付いている。
「先生なら学校が変わっても、俺が何になっても変わらないよ。先生は、先生だ。けいたい教えてあるだろ、何時でも呼んでくれよ。」
明継は、紅を見た。屈託なく笑っている。年相応の笑顔。
「守りたかったのは『此れ』だったんだ……。」
桜がざわめく。
「命ある限り、貴方を守ります。必ず、紅の幸せの為に、生きます。」
「何かプロポーズみてぇ。先生は、考え過ぎだ。ただ、一緒にいるだけで、俺は嬉しいから、其れでいいよ。」
紅が立ち上がると、名一杯に広げた掌を差し出した。
「行こう。先生。」
明継は、紅の手を取り、立ち上がる。引っ張られた力の反動でバランスを崩す。
体に紅がしがみつく。明継が倒れないように、抱き締める。すっぽりと身体を抱き締められた紅が、顔を赤くした。
「油断も隙もねえよ。先生。」
「大丈夫。守ります。」
明継は呟くのだった。夢の中で……。




