過去 十九 ふたりの会話
此の頃、自分の心は病んで行った気がすると明継にも自覚がある。
紅をどれほど心配しているかは、自分でも自覚があった。明継は自分の心に気付けない鈍感さもあった。
嵐の前の静けさが明継の目に写る。
逮捕が直ぐ行われるのは意外だったが、今は其んな事どうでも良いと思った。
修一と出会い、全てを受け入れる覚悟が出来ていた明継。
紅に会いたかった。
「先生……。」
カーテンも閉めっぱなしの侭で、不安げな紅が顔を覗かせる。
明継は、肩身の狭い思いをさせているのかと痛感した。
申し訳ない気分になった明継は、カーテンをひとつひとつ開け放つ。
「先生っつ……。どうしたのですかっ。」
紅が驚いて明継を、止め様とした。
明継は紅の制止を、振り解いて、全ての窓のカーテンを開いた。
次いでに、一つ窓を開ける。心地よい風が、部屋に流れ込む。
紅は強い太陽光線に目を瞑った。
麗らかな空の下。
久しぶりに開けた窓は埃が、溜まっていた。
心の底から幸せになれる気がした明継。
明継を見守る紅。
「先生。本当にどうしたんですか。光の正体もわかっていないなのに……。」
明継は満面の笑みを浮かべた。
節の言葉を信じるなら、逮捕されて、紅とは二度と合えないだろう。自分でも驚くほど、冷静だった。人は絶望を超えると、心に波風が発たないのだと実感した。
明継は優しく微笑み掛ける。
「少し休みましょうか……。」
何時もの座椅子に腰を下ろし、肩幅を揺らしながら、静かに目を閉じた。
糸の張り詰めた様な音が耳の奥でする。(全く音が無い世界にいるようだ。)と明継は思った。
其れでも、紅の気配は何時でも側にある。
「先生……。」
太陽光で明るいのに、薄っすら表情が、伺える。
「佐波様宛の文です。律之さんから、預かりました。」
紅は駆け寄ると、明継の手から其れを受け取る。直ぐ様開き、手紙の内容を確認する。紙を握り締める指に力が篭る。
「佐波様からの手紙です。内容はどの様ですか……。」
「内容は……。」
明継は眉間に皺を寄せ尋ねる。
紅の口から聞かなくても、内容は分かる。
「先生、御独りで逃げろと……。後……。」
後悔の念を露にする明継は、紅の表情は全く伺えなかった。
だが、明継には、紅の顔が見えなくても、様子が手に取るように分かった。
「其うですか……。」
端的に纏められた言葉が、明継の口から漏れた。
紅の手は微妙に震えていた。
「すまない……。」
「先生が悪い訳では有りません。」
紅のぼやけた輪郭を、少しの時間眺めた明継。
「先生……。此れから、どうなるのですか、私達……。」
紅は心配そうに云った。
結果は決まっていると明継は思った。
「此処を出よう。其うだ、私の故郷に案内するよ……。」
笑みだけは、何時もの明継であった。
今の言葉は逃げでしかないと明継は、十分に承知している。
まだ年若い少年に、縋り付いているのは、分かった。だが、もう逃げ場がない事には気が付いていた。
「大丈夫だって……。律之さんからお金も貰った。倫敦で生きた英語を学んだのだから、通訳として働くよ……。倫敦に行こう……。」
許されるなら、思い出の倫敦へ紅を連れて逃げようと明継は思った。
三年前、紅が宮廷を出たいと云ったのは、倫敦の話が元凶なのは分かっていた。教えながら腹の中では興味を持ち過ぎては困ると思ったが、喜ぶ顔が見たくて明継は、紅に話をしていたのだ。
其して、時間は今に至り自分の不甲斐なさや当時の若さが、恨めしくて仕方ない。
諦めたと決めた以上、紅を連れて逃亡をするのは無理だろうと分かっていた明継。
「では、私は先生とお供して宜しいのですか。」
生き生きとした紅の言葉が、嬉しそうに弾んだ。
「ええ。勿論。紅も一緒に……。此れから、桜が咲きますよ。一緒に見に行きましょう。」
桜の話を聞いて紅が喜ぶ。
突然、修一の事を思い出した。
自首するよりも、少しでも長い時を紅と過ごしたい。一秒でも長く……と考えた。
何かの引っ掛かりを感じながら明継は、心臓の痛みが強くなるのが分かった。
紅に嘘を付いているからだろうか。
夜は段々と色を濃くして行く。桜の蕾が色濃く、紅みを醸し出す。




