過去 十三 再会
次の日の朝。
スクッと立ち上がり、明継は、上着を羽織ると、カフスを占める。
大股で玄関の方に向かい、大声で紅に「行って参ります。」と述る。
紅が、鞄を持って、「いってらっしゃい。」と云うと、其の侭外に出て行く。
内側から鍵が閉まる音がして、明継は見送った。
外気に触れて、朝になったのだと実感した。
通りに、人も少なく、仕事へ行く人の足取りは、早かった。
「はぁぁ……。」
大きく吐く息は、思いのほか白かった。
冬は冷たい。空は高く、澄んでいる。
明継は歩くが、心の中が軋む音がする。
「紅が居なくなるより、増しましだな……。」
其の言葉には、偽りがなかった。
明継は、先日紅の姿が無くなっただけで、あれ程我を忘れるとは予想外だった。
(紅が居なくなって、自分一人になったら……。)と考えたが、現実とは結び付かない。一番嫌な結論だった。
大きな溜息を吐く。
佐波様が前に、『自分はどうしたいのか』と聞かれた時自分の事は考えていない事に気が付いた。
「本当、紅を手放す事は、出来ないのかもしれない……。」
明継は、強く頬を叩く。
彼自身のために、何時かは、独立する日が来る。
忘れる為に、歩みを早める明継。
洋館は、化け物屋敷に見え、罅割れた大地は、人間味を失わせる気がした。
「よう。久しぶり。」
懐かしい声。
肩に手を当てられて、其方の方を振り向くと、黒髪の男性が立っていた。
「あぁ……。久しぶり……。」
明継は、顔を見詰めながら、驚いた様子で男に云った。
男は、照れくさそうに笑い返して来る。
男の名は、林 修一。故郷を同じくする青年であり、友人であった。だが、同郷では、大人になれば、話をするほど親しくもなく、其れが、此の天都で再開し話し掛けて来たのだ。
「此処で何しているの。」
修一は、明継を意味深そうに見ている。
「い否……。何でもない……。」
返答にもならない言葉を、返す明継。
「今は、宮廷で働いているのだろう。凄いね。」
「何で其の様な事、知っている……。」
訝しい眼差しと、低い声で威嚇する明継に、修一は受け流す。
「故郷では有名な話だよ。あっ、もしかして、故郷に帰ってない。」
「あぁ……。私はそんなに噂のネタに上がっているのか……。」
「本当だって……。誉れになっている。」
修一は、幼少期の笑顔の侭であった。
親しくはなかったがあかる明継の心に落ち着きを感じる。
「どうした。元気がないぞ……。」
本来、幼少期は親しくても、久しぶりの友人に、気に掛けられるのは、嬉しい物があった。
「否……。何でもないよ……。」
「そうか。何か悩みが、あったら相談してくれよ。」
平然としている修一に、少しホダサレタ気分になる。久しぶりな優しい言葉に、心の安らぎを得る明継は、故郷を少し思い出していた。
其れは、自分の幼少期が活動写真のように、怒涛の如く流れる。
至って不快ではなく、懐かしさが其処にはあった。都会で、過去を知っている者を持つ事がどれだけ心強いか、今更ながら安堵する。
「田舎に帰ろうかな……。」
自然と出た明継の、他者に向けられた弱音は、自分でも驚くほどに滅入っていた事が伺えた。
平常心では、其の様な話は、もっての外である。
今の明継に取っては、修一が唯一の人間である気がしてならない。
「へぇ……。」
返す言葉を捜すでもなく、修一は頷く。
「或る人を守りながら、生きて行くのって辛いなぁと思ってさ……。」
「へぇ。所帯を持っているんだ。」
明継は自分の耳を疑った。
聞き間違いではないと、即座に判断し、吃ってしまう。
「い、い否。違うよ。」
必死で否定する明継。
狼狽するのが珍しそうに、修一は明継の動作を見詰めた。確かに、故郷では考えられない動揺ぶりであった。
「大丈夫だって……。俺、口堅いし。田舎に近々、帰るから迷惑掛けないし……。」
「否。本当に違うんだって……。」
「でも、恋仲だろ。」
完全に止まってしまった明継。
「仕方ないなぁ……。今度、ソイツの顔見せろよ。良いな……。と云う訳で、下町の飲み屋にでも行こう。……其うだ、直ぐ行こう。今夜、行こう。」
「だから、違うし。無理だって……。」
明継はホトホト困り果てて、頭に手を当てた。明継は、今までの頭の中の瘍が、取れる気がした。
昔の知り合いとの出会いが、此処まで心の安らぎを与えるとは思わなかった。どれだけ、休まらない日々を過ごしてたか分かった。
「じゃぁ。遊びに行くのは、もし駄目だったら、ソイツを部屋から出さなければ良い。」
修一は、田舎っぽさの或る、すきっ歯を見せる。微笑みが零れる明継。
「家には呼べないよ。紅が困る。だったら、飲み屋に行こう。今日だね。解ったよ。」
明継は上着のかくしから、名刺を取り出して、修一に手渡した。
物珍しそうに眺めてから、着物の袂に押し込む。
明継は、懐かしさの或る修一と、話がしたかった。今迄に相談できる相手を渇望していた明継にとって、修一の出現は天からの恵みの様に感じられた。
「仕事終わるの何時頃だ。」
「夕月頃かな。」
「門の真ん前で待っててやる。逃げるなよ。」
其の後、道端で数分の談義が続き、修一が手を振って去るのを眺めながら、軽い足取り職場に向かった。
仕事以外に、紅が家に来てから、誰かと外出した事がないので、新鮮な心持ちで歩ける。
瓦斯灯が、洋風な建物に良く合っている。
歩みを進めると、珍客が立っていた。
修一と話していた場所から、数メートルしか離れていない。




