時折 十九 目覚め
晴がゆっくりと瞳を開いた。
啓之助と心配そうな時子の顔が覗き込んでいる。
「晴……。気が付いたか……。」
晴が考えてから、言葉を発した。
「御腹が空きました。」
時子が嬉しそうに微笑んだ。啓之助は、溜息をしながら、婆に飯を持って来る様に頼んだ。
「二週間以上も寝た侭だったのだぞ。紅時さんが意識を取り戻したのに、晴だけ二日も目を醒まさなくて、常継に何と云ったら良いのか、解らなかった。医者からは匙を投げられて仕舞い、散々だった。」
「でもね。寝ている割には筋肉が落ちなかったから、何か理由があると信じていたわ。二人とも無事で良かった。」
時子が微笑んだ。
紅時の赤子が、乳から離されて大泣きし始める。
「仕方ないわ。紅時さんの赤子は、無理やり乳に当てがわれて、飲んで居たのですもの……。母親に抱っこされたら、降りたくはないでしょうに……。其の上、秋さんが赤子の顔を見たくないと云って、部屋にすら最後は入れなかったのだからね。」
「紅時の体が辛そうで……。すまない。赤子を見ているのが嫌だったのだよ。紅時を又、失うのかと思って……。婆に感謝しないとな。赤子に米の磨ぎ汁を飲ませてくれていたのだよ。」
紅時が不思議な顔をした。
「又……、私を失う……。どう云う意味ですか……。」
「夜に寝ると記憶を夢で見る様になった。紅時達が眠りに付いてから、毎夜。紅が殺される未來も、俺が殺される未來も、逃げる未來も、令和での未來も、全て見たよ。色々と考えさせられた。だから、紅時だけは失いたくなかった……。」
秋は、紅時を赤子ごと抱き締める。
又、赤子が泣き始めたが、お構いなしだった。
「婆が抱きますから、此方へ。」
婆が持ってきた三部粥を紅時と晴の前に出された。赤子を抱き上げると、紅時の側に寄った。
「眠っている間は、重湯と時子さんが作った汁を、毎日御二人に飲ませていました。」
「ポカリスエットの事よ。味は不味いけど、匙で飲まし続けたわ。体が駄目になったら、戻れないと思ってね。もう、毎日秋さんが必死に果物の果汁や、砂糖水とか飲ませていたわ。」
「有難うございます。秋さん。子供も守って頂いて、戻って来れただけで嬉しいです。」
「本当に良かった。お帰り。紅時……。」
婆が赤子を抱いた侭、盆を押した。秋が紅時の前に食べ物を渡す。
「晴も起き上がれるか……。」
余裕で起き上がる晴に、粥が渡された。
咀嚼したが、食べたりない気持ちがした。
「普通に米で良いのに……。」
「二週間も固形物を入れてない胃に、負担が掛り過ぎる。」
時子が怒った。晴から皿を取り上げると、盆に戻し冷めた味噌汁を渡した。
「嫌だわ。此れだけ奇妙な事が行っているのに、当事者が一番気にしてないわ。二人とも、本当に心配したのよ。秋さんの方が繊細だわ。紅時さんが起きるかもって、殆んど寝れてないのよ。なのに、必死で……。」
「紅時が起きたのだから、もう良いのだ……。そうだ。赤子の名前はどうしたい……。」
時子が溜息を吐いた。
「もう、戸籍は出してあるのよ。紅時さんが決めるって頑なだったのに、いきなり名前を決めてしまったの。」
紅時は瞬きをしてから、秋の顔を見た。
彼の顔は、言葉の答えを知っている様だった。
「林 終一……。もしや、秋さん。未來を見たのですか……。」
「否。令和で夢を見た記憶があったんだ。紅時が教えてくれた名前が、初めと終わりを示す終一だった。でも、継一の名前を其の侭、使うとは思わなかった。」
晴が考えながら、頷いた。
「多分違うよ。秋継叔父さん……もしくは秋さん。終は、林 修一の事だよ。終が産まれてないから、明治に産まれてないから、令和には修一さんがいなかっのだよ。この後に、修一さんがロンドンから帰って来て、遺骨を御爺様にお見せするけど、修一として令和にいない。僕が令和の春の様に時間を動かす、人間は秋継叔父さんから産まれてるのだよ。」
「えっ、其れは何か嫌だな……。全部俺の子供って……。自分が秋として継を産んでるのも。微妙な感じなのに……。」
「僕の考えではね。明治時代の過去を繰返していたのは、ロンドンに逃げた最後に晴が登場するだろ?令和で時子さんと秋継から女の春ちゃんが生まれた。だから、過去を繰り返してる過去に令和の時代がなかったんだよ。春ちゃんが生まれて初めて晴が御祖母様と出会えて、九州に帰ることが出来た。其して、未来で秋さんと紅時が明継と修一を産んだ。初めて過去を繰り返した人物が二人そろったんだ。だから、明治を繰り返す意味がおわったんだ。明治時代の過去の明継と紅が倫敦に向かうまでの物語が全てなんだよ。」
晴はゆっくりと味噌汁を飲んだ。
まだ暖かい優しい味がした。