時折 三 (プロローグ いない時間)
晴が先に膜を潜ると、真っ暗な通路に立っていた。前は何も見えない。
春と紅時も続く。辺りを見舞わすが光がない。
「此処まで暗いのは初めてね。」
春がポケットからジッポライターを出した。カチリと点火すると通路と膜の境目が見える。
「手当たり次第、切れば良いのか……。」
「でも奥は明るいみたいね。先に光があるわ。まず先に進んでから暗い場所を切ればいいかしら……。紅時さんはどう思う?」
「私が元の世界に帰るまで時間がないわ。胸が張ってる……。痛みで元の世界に起きてしまうかも、しれないわ。」
「え~。晴と二人では記憶の違いが分からないわ。明継と秋継の記憶の違いを見るのは、紅時さんでないと困る。起きる時は私は勝手に元の時代に戻れるけど、晴はどうなるの?」
晴が真っ青な顔をした。
「大丈夫。私が起きたら晴を叩いてでも起こすから……。でも問題がないみたいね。胸が急に楽になったわ。痛みもないし大丈夫みたい。」
「急に消えないで下さいね。今は紅時さんしか、明継叔父さんが投獄した過去と逃亡した過去の2つの記憶を持っていないのですから……。僕達二人だけでは何をしたいのかも分からなくなります。」
「確かにね。膜を切っても何時代かすら解らないわ。」
「ご免なさいね。手を患わせて……。まず初めに此の膜を切って貰いましょう。御願い。晴。」
紅時が通路の左手に手を付いた。今迄よりも固い膜だった。
晴が膜を裂くと鳥の鳴き声が聞こえてきた。三人は身を近付けて下を見下ろした。
※※※※※ プロローグいない時間 ※※※※※
日は高く、池も或る所為か心地よい風が吹く。
「こんなに、外は気持良かったのですね……。」
紅は呟く。明継は頷く。
「先生。木蓮の木は何処ですか。」
「池の辺ぐらいかな……。」
明継の指先が、遠くの方を指す。開けている為か樹木が景色を作り出している。
舗装されていない散歩道を二人で歩く。日差しは優しく春を告げていた。
「この全体が桜の木なのだよ。木蓮が咲き終った頃には、桜が咲くね。」
枯れ果てているかに見えて桜は蕾を付けていた。
「この木全てがですか。凄いですね。では桜が咲いた頃にもう一度参りましょう。」
辺りを見回しながら紅が感心すると、目の前に木蓮の白い花が見え始めた。紅は堪らず走り寄る。
色の薄い空で白い花が心に残る。噎せ返る香りも仄かに香る。
「わぁ。綺麗ですね。こんなに匂いがするなんて……。」
植物辞典などで知識はあっても、まじかに見るのは初めての紅には一つ一つが新鮮だった。
『近所の木蓮が咲いた。』と、一輪一輪明継に報告していた紅にとって、鮮やかな白は印象に濃い。
「近くで見るとやはり綺麗ですね。」
何度も何度も繰り返す言葉。花に夢中になり、身を隠しているとは忘れている紅。
平日故に人通りも少なく、木蓮に足を止めて見る日本人はいなかった。それが余計無邪気な紅の愛くるしい姿を強めた。
「気に入りましたか。」
言葉は届いているのか、否か。でも、紅の表情も明るく、答えは言葉に発しなくても決まっていた。
家に閉じ篭りっきりの紅の新しい出発は出来た。少なからず明継にはそう感じられた。
明継には嬉しい光景だった。
「先生、先生。木蓮の花は今が一番盛りらしいです。」
花の下で手を振っている紅。
木製のベンチに腰を掛けてから、手を振った明継。
池の辺は色々な樹木が植えられていた。植林である。其れ故に手入れされているので風景は美しく、日光を乱反射した。水辺が言葉を呑むほど美しい。
明継は昔の事を思い出す。
紅はまだ十歳になり立ての頃、明継は其の容貌の美しさに、恐ろしくなった事を記憶している。今では普通の子供であるが、妖しさは憂いの時現れた。
「先生、先生。」
嬉しそうな姿は何処にでもいる十四の少年だった。
「でも、それは紅が決める事だから……。私は多くの選択肢を紅に教えてあげよう。佐波様も悪い様にはしないとおっしゃったし……。」
独り言を呟く。淡水の香りが頬に伝う。
ドンと音が鳴った。
一斉に鳥が飛び立って行く。明継は空に飛ぶ群れを見ながら、風を仰いだ。
雲が晴れていく様な空だった。
紅に視線を移すと、彼も空を見上げていた。
「紅……。」
明継が呟くと、彼は爪先から力が抜けて行き、糸が切れたマリオネットの様に膝が折れて、道に膝まずき左肩から地面に倒れた。
明継の脳味噌が判断出来ないでいると、女性の悲鳴が聞こえた。
ベンチから立ち上がり、ゆっくりと紅に近付くと、徐々に鮮明に紅がうつ伏せになっているのが分かった。
紅の上半身を抱き抱えた。
胸の中心から穴が空いてて、紅色の血がドロドロと流れていた。
「先生……。」
半開きの瞳には、既に眼球が上に上がってしまっていた。
押さえている掌には黒い血が纏付いている。
「紅……。」
明継は状況が理解出来ないで、紅の体を抱き締めていた。
赤赤しい血が地べたに染み出している。
※※※※※※※※※※※※※
膜の上からの三人は、ひそひそ声で喋った。
「ねえ。紅が誰かから撃たれたみたいだけど……。誰が撃ったの?」
「後ろから撃たれたから、まだ犯人はいるのかもしれないけども、人が集まって居て解らないね。其れに犯人は手練れだよ。気配すらない。」
「此所は犯人を調べるよりも、紅隆が死ぬ未來もあったのが大事ではないかしら……。私は覚えていないけれ……。」
「えっ、犯人が重要でしょ?」
「紅隆御時宮の時は、敵が多すぎるの。だから打った下っぱ何て意味ないわ。」
春が何かに気が付いた。
紅隆の回りに何かに透き通っている白い物がある。
「紅から何か出て来てない……。肌の回りから何かしら……。」
明継が抱き締めている紅の身体から、首筋の裏に集まる様に何かが固まって行く。それが人の形を作るのに時間は掛からなかった。
明継の側に立ち尽くしている。
「何あれ……。」
春が呟くと、白い人は上を向いた。春は目が合ったと直感的に思って膜の後ろに隠れた。
「あれ……。此方を見てるわね。紅から出てたから魂か何かしら……。」
「でも、悪い感じは致しませんね。」
「もう此れ以上見ても、何かあるのかしら……。あっ、明継が回りの人に説得されてる。紅隆を放したくないのね。」
「あの白いのまだ此方を見てますね。気付かれているので早く膜を閉めましょう。」
「そうね。晴が閉めてくれるかしら……。」
紅時が云い終わると、頭の中に直接声が響いた。
三人は辺りを見舞わしたが、赤い通路は何も変化は無かった。
視線を膜の裏の過去に戻すと、白い人が手を降っている。
『待って……。僕も連れて行って……。』
膜を覗き込んでいる二人に、直進する様に空に飛んで来た白い人。顔が何もなく形でやっと男だと解った。
慌てて紅時と晴は膜の内側に引っ込んだが、白い物の手が膜を外側から掴んでいる。
春は恐ろしくなって悲鳴を上げた。
『待って……。話を聞いて……。』
晴が声色の変化に気が付いた。聴いた事のある声だった。
三人は赤い廊下に戻り膜の中から白い人が入って来るのを見詰めた。
晴は慌てて膜を閉じると、座り込んでいる紅時と春の前に立った。
『怖がらないで……。』
「怖いに決まってるでしょ。何かも解らないのに……。」
春は紅時の胸に頭を埋めて震えている。
「お化けは嫌よ!」
晴が白い人を見詰めた。
「紅か……。ならば、姿を表せよ。」
『やり方が分からないよ。君は僕を知っているの。君は誰。』
「未来で会う筈だった人間だ。明継叔父さんの甥にあたる。」
『先生の血族……。話を聞いた事もないよ。甥がいるなど……。御国の話すらしないのに……。』
紅時が声を震わせた。
「生きていた姿をイメージするの。……頭に自分の姿を思い出してみて……。」
白いのが頭を揺さぶってから左側を見上げた。
ぼやけた輪郭が体に纏わり付く様に形になる。白いシャツと釣りズボンの男の子になった。
顔も紛れもなく紅隆になっていく。
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