未來十二 昔語り14 (時子)
秋と紅時は畑に出掛けて行く。
二人で手を繋いで歩いた。二人になると自然とどちらかが寄り添った。
息子の継が婆と遊んでいる時を狙って出掛けた。
何故なら何時も畑には連れて行かなかった。足の弱った婆に負担は掛けたくなかったからだ。
まだ継みたいな好奇心旺盛の年齢に山は危ない。誰かが付きっきりで見なくてはならないなら家の方が安全だ。
太陽が真上に来る前に休憩をする事にした。
竹の皮で編んだ弁当籠を出した。塩のお結びが四つ入っている。
「秋さんの分です。」
紅時が渡して来たのは秋の弁当箱だった。
「有難う。」
秋の分には卵焼きが入っている。
鉄鍋を叩いて棒を着けた奇妙な鍋で作った厚焼き玉子が入っているのだ。出汁と砂糖で味付けられた其れは優しい味付けだった。
「今頃継は食べてるだろうな……。」
厚焼き玉子は継の大好物だ。小さく切れば小さな子供でも食べられる。
「婆も大変かと思います。良い子にしていてほしいです。」
「あの位の子供に大人しくは無理だろう。婆には悪いが……。畑の時間だけでも見ていてくれて、助かるよな。婆は忠義者だよ。」
「継一様のお宅に帰らなくて大丈夫でしょうか……。」
「大丈夫だ。婆は父上の代から奉公している家の物だよ。継の出産の時に来てくれた吉野も婆の娘だ。嫁に出ているから姓は違うが、働き物の良い子だよ。」
「あの……お給金は何処から出ているのですか……。」
秋が飯を頬張る。
「伊藤家だよ。俺じゃない……。給金は要らないと婆は云ってるのだが、継一が無理やり吉野に渡して持って来ているよ。」
「なら尚更伊藤の家に返した方が良いのではないですか……。私達の為に婆が良からぬ噂の種になるかもしれません……。」
「婆が納得する迄は帰らないよ。俺が一人の時も中々伊藤の家に戻らなかった……。継一は婆が安心する迄は村暮らしでよいと云ってる。」
「其の様な恩情に甘えて宜しいのですか……。」
「わからん。俺も二人の気の済む迄はほっとくさ。何せ、二人が使えて居たのは父上だから俺も強くは出れない。身分を捨てる我が儘を聞いてたくれたのも、二人が居てくれたからだからな。当主になっていたら確実に紅時は探せない。探せても誰かを雇って探す事になる。其の時には紅時は京吉原で新造として客が付いてしまってるだろう。もう手に入れるには、値が上がりすぎて家を潰す覚悟をしなくてはならない。其の上俺には妻と子供が出来ているだろう。妾にしたくなかったのだよ。妻がいるのに、紅時だけは日陰の身は嫌だったのだよ。何より先に紅時に会いたかった。」
秋は真剣な顔付きで喋った。
「何故私の事を覚えて居たのですか……。」
頭を抱えてから秋が紅時を見た。
「紅を探した。俺の記憶では、少年だったのだが……。只、毎夜『探して下さい。』と夢の中に出て来て、涙を拭ってくれるのだよ。拭うと指の刺青が見える。」
紅時は左指の痣を擦った。
「私には其の記憶は有りません……。」
「女性ですらないし体全体が白く光っていたから……。まあ、其の夢のお陰で紅時と居られるから良しとしょう。」
秋が最後に玉子焼きを食べて蓋を閉じた。
「もう話しても仕形の無い事だよ。さあ仕事に戻ろう。」
秋が立ち上がって背伸びをした。
紅時はお握りを頬張り、急いで咀嚼した。
「まだ、まだ、終わってないからな。帰ってから継と風呂に入るのが楽しみだ。」
紅時は身支度を整えてから立ち上がった。
秋の横顔を見ながら、荷物を整える。
鳶山が鳴き声を上げながら空高く飛翔した。
寒くなり出した風が空を越えて行く。
秋が見上げると澄んだ青空が広がって居た。
「奥様。」
聞き覚えのある声が坂下から聞こえた。
秋が嫌な予感を感じて声に近付く。
声の主の姿が見えた。吉野だった。
「どうした……。」
顔面は蒼白で必死に走って来たのが伺えた。
「坊っちゃんが……。」
後ろから近付く紅時が走って来た。
「継がどうしたのですか。」
「継坊っちゃんが連れ去られました。」
紅時は驚きを隠せない様子で、秋にしがみ付いた。
「誰にですか……。」
紅時の声が掠れる。
「十中八九。伊藤の家の時子様です。」
秋の視界が白くなったのを感じた。
頭に血が上るとグラグラした視界を紅時が支えていた。彼女から力が籠るのを感じる。彼女は押さえ付けてくれているのだ秋を……。
「伊藤の家に行く。何故こんな事をしたのか聞いてくる。」
足を前に出そうとしたが、紅時がしがみ付いて動けない。
「間違えなく時子さんでしたか……。」
紅時は秋に抱き付いて離れない。
「気が付いて直ぐに追いかけたました。だけど……。」
「詳しく話して下さい。」
紅時が秋を落ち着かせる為に、背中に回した腕で、ポンポンと叩いた。
彼女の泣きそうな笑顔が秋の瞳に映った。
瞬時に秋が抱き締めた。彼女の方が不安に決まっているのだ。
時間は数刻戻る。
秋の家で婆が継を抱っこした侭、でんでん太鼓を叩いていた。
「大丈夫ですよ。坊っちゃん達は仕事が終われば帰って来ますから……。」
ぐずる様な泣き方をしている継を婆は微笑んでいる。
「かあしゃ。」
地べたに下ろし土間で歩き出すと、手を繋いで庭に出た。
デンデンと音を出して、気を変えようとしている。紅時と離れるとくずるのは数分だ。気持ちを変えてしまえば継は大人しく遊んでくれる。
「庭に出て鳥でも見ましょうか……。」
婆が直ぐにでんでん太鼓を帯に挟んだ。紅時を連想させる物は見せないに限る。
軒先に出るとスコップが土に刺さっている。紅時が作った木で出来た子供用の玩具がある。
「今日はプリンでも作りますか……。」
継の表情が明るくなった。
「プリン。プリン。」
継はまだ短い単語しか云えない。だが男の子にしてはよく喋る。
「紅時さんから教わりましたから作りますよ。坊っちゃんも好きですし婆も愉しく作れます。」
継がにっこりとしている。どうやら機嫌が直った様だ。
スコップで土を掘り桶に入れている。
サラサラとした砂を山から掘り出して秋が運んで来たのだ。着物に付いても払って落とせる様にと紅時が教えた。
「無理はしないで下さいね。」
小さな子供の頭を撫でた。継は真剣な面持ちに集中しているのが分かる。
門の方から戸を開ける音がする。
婆は見知った顔を見た。彼女は婆に近づくと継の隣にしゃがみ込んだ。
「一ヶ月ぶりね。継坊っちゃん。母さんも、久しぶり。」
「もう、一ヶ月が経過したのだね。早いねえ。又、継一様から給金がきたのかい……。」
吉野の懐から封筒が出された。婆はどうせ断っても継一は受け取らないと知ってるので、袂に入れた。
「屋敷での様子はどうだい……。」
婆は継の頭を撫でながら云う。
吉野は顔を崩しながら細々と話し始め様とした。其の時、割って入る様に女性が立っていた。
上質な着物に似つかわしくない農村の風景に二人は唖然とした。
「時子様。何故此の様な場所に……。」
吉野が息吹かしがりながら立ち上がった。
「ええ。只の散歩よ。」
農村に散歩など来ない。吉野は継を抱き上げて、婆の手を引いた。
継が途中で遊びを止められて泣き出した。体をよじり抵抗している。吉野は落とすと危ないので地べたに下ろした。
継は直ぐにシャベルを握ると、遊びの続きをし始めた。
「気にしなくて良いのよ。婆も家事があるでしょう。私が見ているから仕事を先に済ませると良いわ。」
時子がしゃがみ込むと継に話しかけた。
「私は時子と云うの。御名前は云えるかしら……。」
穴を夢中で掘っている継の手が止まった。
「つぐ。」
時子と目を合わせている。
「良い名前ね。継ちゃん。飴は好きかしら……。」
胸元から出した小さな飴を継の口元に持ってきた。
「あ~んしなさい。美味しいわよ。」
継が躊躇わず口を開けた。
口に入れると噛む様な動作をする。まだ、飴を砕く奥歯はない。
「噛んだりしたら勿体ないわよ。」
継が飴をもごもごさせている。満面の笑みになった。遊ぶのを忘れ飴を舐めている継。
「婆も大丈夫よ。見ているだけだから……。」
吉野と婆が顔を見合わせた。
時子の前で話せる状態ではない。
「少しだけ御願いします……。」
二人は頭を下げると、家に戻り戸を閉めた。
時子と継が遊びながら、楽しそうに笑っている声がする。
「時子様は何しに来たのかしら……。」
婆が眉間に皺を寄せた。
継一が此の場所を教えるとは思わない。
「多分屋敷で噂になってる原因を見に来たのだと思うわ。」
吉野が声を潜めた。
「継一様が妾を作っていると云う噂よ。」
「あり得ないね。仕事の為に坊っちゃんに会いに来ているけれど……。勘違いをなさってるのか時子様は……。」
「屋敷で事情を知っているのは、数名の下男と下女だけだわ。継一様が口止めされているから、村の事は話せないけど時子様迄噂を信じる様な事はない。其れに時子様は噂を信じる様な人ではないわ。」
婆が腕組みをする。
「なら尚の事、噂を見に来た可能性が高い。ではなるべく時子様と継様を二人にはできない。御前が付き添ってくれないか……。」
吉野が軽く頷いた。
「坊っちゃんと紅時さんの子供だ。尚更継一様は会わせたくないだろうね。」
吉野が戸を開いて、庭に出た。
其処には時子と継の姿は無く、風が吹いていた。
婆も庭に出ると呆然と立ち竦んだ。
「やられた……。」
吉野が舌打ちをして後を追いかけるが、二人の姿は無かった。
「坊っちゃん達に知らせて来て。何時もの畑に居るはずだから、お願いよ。」
婆が地べたに崩れてしまった。
吉野は頷くと着物の裾をたくし上げて走った。
其して畑に居た秋と紅時の耳に情報が入ったのである。
「継一の子供に間違われたのだな……。」
紅時は秋の震える腕を握った。
「其の時が来たのです。秋さん。お願いします。」
「何を云ってる。長子が拐われたのだぞ。」
「継一様が今日は来る筈です。其れ迄は待って下さい。」
「何か隠してるな紅時。」
「継一様が来る迄は待って下さい。」
紅時の悲痛な叫びに秋の怒りが収まりつつ合った。
「分かった。継一が来る迄は我慢してやる。」
継一が駆け着ける様に夜にやって来た。
読んで頂き、有難うございます。
皆様が健やかな一年でありますように。