未來 十二 昔語り 12 (誕生)
紅時が赤子を産んで直ぐ、下女の吉野が早足で第一報を告げた。
継一が性別を聞くと、息を弾ませながら吉野は答えた。
「男の子です。」
継一が顔を歪ませた侭秋を見詰めた。
秋の表情は明るく素直に喜んでいるのが、伺えた。
「息子には何時会えるのだ……。」
継一も吉野の汗まみれの顔を見た。
三人でお産を乗り切っただけはある。彼女も子供がおり、出産経験がある。
何故伊藤家に奉公に来ているのかだが、旦那が事故で怪我をした時に雇ってから、有能さと勤勉さがあったので継一の目に停まったのだ。
「穢れが落ち着いてからだと思います。二週間は家には戻れますまい。紅時さんは産後の日達も悪くないですので安心をしてください。」
秋の表情が安心に変わった。
紅時を酷く心配していたからだった。
「息子の顔が見たい。紅時にも会いたいのだが……。」
吉野は考え込んでから伝えた。
「なら婆に伝えて赤は連れて来て貰います。落ち着いてから紅時さんの顔を見る事は出来ると思います。御産場の綱も下ろして頂かないといけませんし……。」
直ぐに吉野は頭を下げて、駆け出した。まだする事は多い様だった。
もう既に太陽が高い所迄来ていた。
「二週間は良く考えてくれないか……。」
継一が俯いた。
「考えは変わらないよ。紅時が納得してても、俺は納得出来ない。もう其の話はよそう。三人で生活をして行くよ。大丈夫。何も変わらないって……。」
苦虫を噛み締めた顔をしている継一が溜息を漏らした。
「では『林 秋継』で戸籍を出しに行くよ。私にさせて貰えないか……。諦める為に……。私は紅時に挨拶をして帰るよ。」
「否。継一に頼む迄もないよ。赤子を見てから自分でするよ。」
「其うさせてくれないか……。諦める為に……。」
継一が立ち上がる。
「我儘を云ってすまなかった。」
彼は頭を少し下げると家を出て行った。
玄関から庭を横切って歩いている。彼の衣擦れの音が遠ざかって行く。
秋も不機嫌そうな顔をした。
出て行った継一が悪いのではない。回りが過去に捕らわれて居るのが嫌だった。
紅時も其の態度を知ってか秋に直接話す事は無かったが、彼女も思い出しては悲しい表情になるのだった。
深夜になると『先生』と云って夜泣きを、出会って直ぐに良くしていた。抱き締めれば収まるのだか毎夜になると話しは別だった。
紅時の不安を取り除けない歯痒さがあった。だから手を出したのが、早かった理由もある。
身籠ってからは、『先生』と呼ばなくなった。意図的に使う事はあったが紅時の秋に対する比重が大きくなった気がする。
「其れで赤子を連れて行かれたら紅時はどうなる……。」
産まれたばかりの赤子を過去の因縁の為に養子にしてしまえば、きっと紅時は『先生』に縛られる。
紅時の夜泣きの原因である悪夢が又、甦るかもしれない。又、あの姿は見たくなかった。
「坊っちゃん。」
頭の庭先に赤子を連れた婆が立って居た。
縁側の秋が立ち上がり婆の方へ向かう。
庭の紅葉が赤く色付いている。其の下に佇んだ。
おくるみに巻かれた赤子は小さく胸で呼吸をしながら、眠っている。
「紅時さんの状態は悪くありません。まだ医者が家にいて、経過観察をしています。坊っちゃんはまだ入れませんが頭の家で待ち下さい。後乳の出も悪くありません。紅時さんが、小さいので赤子が小さいのは予想していた通りでしたよ。」
婆が一気に捲し立てた。
秋が赤子の頬っぺたを人差し指で撫でると小さい眉毛をハの字にさせた。
「可愛いな……。」
秋の顔がにやける。
生まれたての赤子はまだ皮膚が赤く皺皺の顔をしている。
今にも折れそうな体を大事そうに抱いている婆が、包み込む様に抱いている。
「抱いて上げて下さい。坊っちゃん。」
「すまない。まだ抱き抱える自信がない。」
婆が明治時代の男子群像を知っているので咎めはしなかった。子育て等男性が手伝う筈はないのだ。
「早く抱きたい気持ちはある。嫡子だ。嬉しい以外ないよ。でも紅時と一緒の時が良い。夫婦で分かち合いたい。」
婆が秋らしい返事を聞いて安堵している。
赤子が泣きそうな声がする。鳴き声にも満たない未熟な声。
鳴き声も弱々しく顔で乳を探している様だった。
「産まれたばかりの赤子を外気に余り触れない様にしたいのですが……。」
秋は何時までも見て居たかったが、紅時と離すのも可愛そうだったので腕を引っ込めた。
「名前を『秋継』にしょうと思う。紅時に伝えてくれないか……。彼女も納得してくれるだろう。」
婆が頭を下げて、「坊っちゃん。おめでとう御座います。」と述べて足早に去って行った。
紅時に会える迄数週間と長い年月を指折り数える事となる。
息子の継の顔を思い出し笑った。
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