未來 十二 昔語り11 (名付け)
幸せな時間が過ぎ紅時が出産の時期に来た。
継一が早々に医者を配置し紅時が産気づく前から秋の家に居たので産婆がいない状態で、婆が待機していた。
村の者を呼ばす口の硬い下女を連れてきて、産後の準備をしていた。
紅時と秋は御産が始まる数時間前迄側に居た。夕げも紅時と下女が作り体を動かしていた。
婆も安心した表情で紅時を見ていた。だか夜になる容態が急変した。
紅時が急に蹲って動かなくなったのだ。
秋が土間に縄を釣るしてある場所迄、抱き上げた。
呉座の上で綱に抱き付いたのを見ると、秋の手拭いを紅時の口に噛ませた。
「共にある。丈夫な子を産んでくれ……。」
紅時を抱き締めて苦痛で歪んでいる顔を撫でた。
何度が頷くと、縄から手を離し秋に抱き付いた。
「もう無理だ。秋も行くぞ。」
継一が秋の肩に手を当てた。
「頭の家に居る。何かあったら、婆に伝えなさい。」
紅時が頷いた。
医者が紅時の側に寄って記録を付け始めた。
「安心して、産んでください。私もおりますから……。」
医者と婆が頷く。
婆は藁を抱えながら、紅時に近付く。晒を腕に掴み紅時の汗を拭った。
秋が自分がするべき紅時の看病を出来ない事に苛立った。奥歯を噛み締めて眉間に皺を寄せた。
紅時は小さな体で苦痛に耐えながら秋を見た。
微笑んではいない秋を見詰めて紅時も頷いた。
長い夜が始まったのだ。
継一と秋が夜行灯で村の頭の家迄行き、宿を借りた。
秋は険しい顔の侭雨戸を占めず、廊下で胡座をかいて座っている。
頭の妻がもてなした魚にも目もくれず、立ち上がり月を見ていた。継一も付き合いばかりに話を切り上げ、秋の隣に座った。
「心配か……。」
「ああ……。子も不安だか紅時が耐えられるか……。もう少し俺が考えれば紅時を危ない目に合わせなかったのにな。」
「仕方がない。」
継一が運命に逆らえないとは云えなかった。
紅時の約束を違える訳にはいかなかったのだ。
「紅時の身に何かあったら生きては行けない。其れ位紅時が大事だ。彼女の居ない人生な等考えられない。今どうやって生きて来たかも分からない程だ。」
「紅時を暮らした日々が最良の時間だったのだな……。」
酒すら飲まない秋。
「失う辛さを知っているからな……。」
継一が溜息を吐いた。
「過去の話しか……。俺は覚えていないが、御前達は覚えて居るとは皮肉だな。俺だけ除け者みたいだ。」
「私にも分からない。だが紅時の様子を見ると、何かを知っている気がする。だから秋には話をしておきたい。」
「何をだ……。」
継一が考え込んでから、ゆっくりと唇を開く。
「赤子の名前は決めたか……。」
真剣な面持ちの継一に秋が笑む。
胸から紙を取り出し継一に開いた。紙には、名前の候補が書かれている。
「紅時が長子は、俺に付けて欲しいと云っている。顔を見て最終的に決めたいが……。もし継一が気にしないのであれば、男なら『秋継』にしたい。俺の名前を継がせたいのだよ。紅時には、了承を得ている。女なら、春にしょうと思っているよ。」
継一が暗い表情をした。
「紅時は知っていたのだな……。」
「伊藤家の家督みたいで嫌だろうが……。紅時も今と同じ反応だったぞ。どうしたのだ……。流石に辞めた方が良いかな。だか此の名を付けてやりたいのだよ。」
継一が秋に向き直った。頭を垂れて言葉を紡いだ。
「秋の長子、『秋継』を私の養子にさせてくれないか……。金なら払う。だから何も聞かず、私にくれないだろうか……。」
秋が驚いた顔をしていて、言葉を発っせないでいる。
頭を垂れた侭動かない継一に、本気であると行動が云ってる。
動かない頭を無理やり振って動かそうとする秋。
「嫌だ。紅時との子供だ。第一、継一には子供が三人もいるだろ。養子にしなくても、問題はないはずだ。」
「私の子供は武士の血を引いていない。直系は御前……秋だけだ。名前を捨てた御前しかいないのだよ。だから家督を継ぐのは御前の子供しかいない。其の上、御前の子供は、御前かも知れないのだよ。過去の『明継』かも知れないのだよ。」
「過去等どうでも良い。紅時の子供が前世の俺だって云いたいのか……。其れでも紅時から子供をうばうのは、辞めてくれ。毎日、外国の子守唄を歌っているのだよ。産まれて来たら継と呼ぶと笑っていた……。何故此の様な惨い事を云うのだ……。」
継一は、頭を上げない。
「頼む。未來を切り開ける『明継』かも知れないのだよ。紅隆御時宮と共に、倫敦に行ける明継が、御前の子供だ。」
「駄目だ。紅時との子供だ。未來がどうなろうと、我が子だ。」
「未來が開けないと、又、明継が処刑される。誰も幸せなになれない未來を巡らなくてはならなくなるのだよ。」
「明継が紅隆御時宮に会わない未來だって、あるかも知れないだろ。」
「其れは御前が紅時に出会わない事と同じだ。」
秋が愕然としている。
継一は酷な問いかけをしているのは承知の上だった。秋の拒絶も当たり前だろ。だが過去を繰り返している修一に取って最後かも知れない機会を失う訳にはいかなかったのだ。
初めての繰り返さない人生は希望に満ち溢れて居た。記憶にない景色、記憶にない人々。其れだけでも価値があるのである。
継一は頭を上げる事はなかった。
「考えさせてくれないか……。」
秋が溜息混じりに答えた。
継一が頭を上げると、秋を確認した。
悲壮感のある顔色。過去の記憶の明継にしか見えない。何時も此の顔色だった。
「紅時と話し合え。」
紅時の答えは決まって居ると解って居たから、云えた言葉だった。
「既に紅時は知っているのだな……。其の顔なら、望み通りの答えなのだろう……。何故、産まれる前から話した……。」
「『伊藤 明継』が産まれる年齢で、身籠った妊婦が紅時しか居なかった。『明継』は、伊藤の人間から産まれると、時子から聞いていたから、父が秋しか居ないと解っていた。だが紅時は幼いので、此の世界での『明継』は居ないと考えて居ただよ。でも紅時は身籠った。こうなれば運命の子供だと思うだろう。何故私が継一になったのか……。何故秋が身分を捨てたのか……。全て紅時と出会う為だった。なら、『明継』が、紅に出会わない未來はないと考えた。御前が同じ立場なら同じ事をしたと思うぞ。」
「でも処刑されるのだろう……。なら、出会わせない方が幸せではないか……。」
「昔の修一なら其う云うのだが、時子と居ると此の未來も悪くないと思うのだよ。だから、『明継』に逃げて欲しいと思ってしまうのだよ。だから、開港してから軍事産業にも手を出した。啓之助は大政官に関わる仕事に着かせるつもりで、育てた。常継は此の侭行けば慶吾隊員だ。」
「伊藤の人間を駒にするつもりか……。」
「御前も紅時に出会いたいだろう。過去ではない。今分岐点にいるのだよ。私たちの未來も変わる選択の中に居る。『明継』を倫敦に逃がす……。我々に出来るのは、見守るだけだろうがな……。」
「紅時に会えない未來か……。なら、尚更紅時を不幸にはさせない。俺の長子として育てる。紅時から赤子を奪わせない……。無駄だ。俺は今が大事だ。」
継一が顔を歪ませた。
秋が紅時から貰った最初の贈り物を大事に握った。其れは、彼女が枝を切り乾燥させ小刀で細工をした木の紙切りだ。
精巧に梅の花があしらわれた物だった。
読んで頂き有難う御座います。