未來 十二 昔語り10 (年の暮れ)
秋は松飾りを持って紅時の御節料理の材料を抱えていた。
婆は伊藤家に駆り出されている為二人で初めての正月だった。
村から出て市場に出掛けている。
村から出て居なかった紅時が嬉しそうに歩いている。まだ腹が膨らみ始めたばかりだったので、違和感はなかった。
悪阻は重くなく秋と同じだけ食べた。なのでふくよかな娘に見えただけだった。
「秋さん。松飾りは持ちますよ。軽いですし大丈夫です。」
秋は紅時を甘やかす様に何でもやった。物を持たせる事すらしなかった。初めは紅時も秋の言葉に従ったが、今では床の雑巾がけや体を動かす家の仕事は率先してしている。
「腹が張るなら止めるのだよ。」
秋が紅時に松飾りを渡すと、彼女は微笑んだ。
「此の位大丈夫です。師走ですね。此の様な年の瀬がある等知りませんでした。」
多くの人が三が日の食材を買いに来ているのだ。皆忙しいそうにしながら、活気のある声を上げている。
何時もなら買わない食材を持ちより物々交換をしている。
秋の薩摩芋は良い出来だったので、殆どの食材は交換出来た。
米は餅米に交換されささげを買い、赤飯にするつもりだった。
籠に荷物を入れると、秋が肩に掛けた。片手は塞がっているが右手が空いた。
「紅時。」
右手を差し出すと紅時は左手を添えた。
秋は、彼女の左指の痣に接吻をする。必ず其れが目に留まると同じ行動をした。紅時は其れを当たり前の様に受け止める。
秋の年代にしてはハイカラな行動だった。だか過去を知って居る紅時には、微笑ましい光景だった。
「其うやって女性を誑し込むのですね。」
紅時が当て擦った。
女性の立場になって秋が、どれ程女性に慕われるのかが分かったからだ。
所作、ひとつ取っても目を引く。
紅時と会ってからは、身なりを気にする様になった。髷の名残か髪を一つに纏め結わいている。必ず、髭は剃り出来物のない肌は清潔だった。
「紅時以外にはしないさ……。」
「どの口が云うのか……。節さんの時は毎日が辛かった……。幸せなそうな春ちゃんの姿も優しい先生も……。」
秋が嫌そうな顔をした。
紅時が過去の話をするのは初めてではない。たが秋には興味が無かった。目の前に紅時が居るのがどれ程嬉しいのか、分からないのかとも思った。
「どうでも良い事だよ。」
「先生はまだ若い。幼い私が妻だと云っても、村の人は笑うだけだった。物々交換だって女性の方が良い品をくれていたでは、有りませんか……。」
確かに当たってはいる。
だが秋の紅時を宛てどもなく彷徨い歩いた日々に比べれば今がどれだけ幸福か言葉にはならない。
「先生は筆下ろしすら終わっていた。男の記憶がある僕がどれ程嫌か解りますか……。」
紅時が泣きそうな顔をしている。
秋は優しく抱き止め頭を撫でた。肩で息をしている紅時が収まるのを待った。ひたすら髪を撫で続けた。
「先生ではないよ。俺は『秋』だよ……。大丈夫。大丈夫。」
何度も同じ言葉を出した。
秋は考えた。紅時は初めての事ばかりで不安なのだ。継一から聞かされた逃亡する過去と、紅時の投獄される過去は違いすぎる。其してどちらとも明継が関係しているのも事実だ。だがどうしょうも出来ない。
自分であって秋ではない感覚。説明しても過去の記憶を持たない自分に何の言葉を紅時に掛けても無駄な気がした。
「俺は秋だよ。紅時を、想う。秋だよ。」
秋が頭を撫でて居ると紅時の顔だけが上を向いた。
秋と目が合った。
「今世も女が居たのでしょう……。嘘を付いても解りますよ。何故私が現れる前に……。」
「分かった。分かったから帰ろう。同じ家に帰るのは紅時だけだよ。」
「秋さんは私に情が足りないと思います。」
頬を膨らまして居る紅時の左手を掴んで、ゆっくり歩き始めた。
冬の香りがする空の下を、下駄を鳴らしながら歩く。
「寒くなる前に帰ろう。」
三歩歩いては止まり、又歩いては止まりを繰り返す。
「例えどの様な時代であっても、紅を想っていたよ。」
「なら何故どの時代でも女がいるのです……。」
焼いている紅時の横顔は、愛らしかった。
「男の性だからなあ……。でも、どんな時も紅時を探していたよ。どうしても相手を紅と比べてしまうのだよ。だから長続きも何も……。遊び相手だからなあ……。」
「其の女性たちも可哀想です。遊ばれていた何て僕なら嫌です。」
「だから紅時だけ特別だったのだよ。何をされても、何をしても家に居ておくれよ。必ず帰りを待っていて欲しいのだよ。紅時が待ってる家に帰りたいのだよ。」
「先生は狡いです。」
紅時の耳が真っ赤になっている。
勝ったなと思った秋。
「私は『秋』だよ。紅時。」
歩みは遅く。だか、嫌だとも思えない秋。
伝わる左手の体温が暖かいのは、紅時だからだろうと思った。
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