未來 十二 昔語り 3 (紅時)
継一が伝えた紅が居ると思われる郭を尋ねた。
間違えなく妓楼であった。
昼見世の時間になって居るので、女郎が格子の前に座っている。
流石に太夫の姿はない。
店の前で客引きをしている破落戸に禿の話をした。紅と思われる痣のある少女の話を……。
「確かに今一番人気の太夫の禿に、痣があるな……。」
秋は焦る気持ちを抑えて小さな銀を握らせた。
「会いたい。昼なら忙しく在るまい。」
破落戸の瞳が嫌な光を放っている。秋は直ぐに手を放し銀を懐へ入れた。
「御前で無くても仲介は居るだろう。返事ないなら去れ。」
踵を返すと秋は去ろうとした。
「待ちな。座敷に上がらないと無理だ。太夫付きなら尚の事。其の身なりでは太夫は呼べまい。ならば鼻におできのある女を選べ。連れてくる迄、其の女と待っていろ」
破落戸は話を終えると足早に去って行った。
「さて信じられるかは、まだ分からないな……。」
秋は格子に収まっている女郎の元へ行った。後ろの方に鼻におできのある女に手招きする。
顔だけを此方に向ける。
「左手の指の付け根に痣がある禿を知っているか……。」
近くの女郎にも聞こえただろう。だが答えはない。
まだ女郎の人数が多い為、声を出してはいけないのである。
「私達は皆、知ってるわ。紅の事ね。禿の中でも利発な子よ。」
手前の女郎が顔を近付けて来た。
「今の彼女と仲が良いの。」
「其の禿に会いたい。」
「太夫を呼ぶのが一番だけど……。田舎者でしょ。兄さん。紅の顔すら見られないわ。」
「破落戸に頼んである。」
女郎が考え込んでから顔を向き直した。
「なら可能性はあるわ。嘘でなければね……。」
「禿を身請けしたいと考えている。相場は幾らだ。」
「まだ確認もしてないのに……。十両よりは安いわ。禿を身請け等聞いたためしもないわよ。」
「なら……。有難う。まず会って確認をするよ。」
秋はおできのある女を選んだ。
気さくに答えてくれた女に手を振った。
破落戸の後ろに付いて歩くと一階の大部屋に通された。
屏風で二人が寝れる隙間位の幅を区切っている。
格下の部屋である事は間違えない。
秋が胡座を描いて座っていると女郎が来た。
「初めまして。」
女郎が座ると微笑んだ。
「紅を身請けしたいのでしょう。ならおかあさんに相談しないと……。もう噂になってるから太夫の耳にも届いているわね。」
「話が早いな……。でも私が探している紅かどうかも分からないのだよ。」
女郎が目を白黒させた。呆れた表情で団扇を開いた。
「探し人でなかったらどうするのよ。こうではないは、紅時と云う名前よ。身分が高かったけれど騙されて此所に居るの。今の太夫も紅と同じに入って来たから太夫が許さないわよ。あの子達は同じ出身なのだからね。」
「多分人違いではない。左手の薬指に輪っか状の痣がある。其の紅時はどうだ……。」
「確かにあるわ。刺青みたいに産まれた時からあるそうよ。」
「なら紅で間違えはない。」
訝しい顔をしながら、女郎が顔に風を送っている。
人が入り出して、睦言が始まった。
「何故其う云い切れるの……。紅は今でも或る人を待っているのよ。」
「誰を……待つ……。」
「幼い子にしては珍しいわ。あれ位の子は親を慕う気持ちが強いのに違う。達観した考えをしているの。自由になったら、必ず探し出したい人がいるらしいわ。其れが叶わないから待ってると……、確か先生と呼んでいたわ。」
秋が息を飲んだ。
衣擦れの音がする。春画の光景が、屏風と屏風の間から見える。
「紅が私を待っている……。」
其の言葉だけで心が温かくなった。間に合った……と安堵が包む。
「やっと約束が守れる……。」
秋が締め付けられる胸の痛みを襟元から掴む。
其の時破落戸が大部屋に入って来た。少女を連れている。
おかっぱ頭の可愛らしい禿だった。
「紅。」
少女がゆっくりと顔を上げる。
今にも泣き出しそうな微笑みそうな顔をして口が自然と開いた。
「先生。」
少女の歩みが早くなる。全てを振り払う様に足をもたつかせながら、歩幅がひらく。
両腕を広げた秋の手に飛び込んだ。
「先生。先生……。」
囀ずる声に秋の腕の力が強くなる。
「やっと見つけた。」
秋が満面の笑みで、紅時を包み込む。
言葉もなく長い長い抱擁の後に、確かめる。其して紅時の薬指を持ち上げた。
くっきりと刺青に似ている痣があった。
「紅。分かるかい……。私は伊藤秋継だ。迎えに来たよ。」
「はい。先生……。御待ちしておりました。また一番初めでは無いのかと不安で心の蔵が、毎夜痛みました。」
「我が家に来るかい……。」
「勿論です。」
顔すら見合わせない二人が、話を進めてしまっている状態を、もどかしく見ていた女郎が声を出した。
「おかあさんに聞いてからにしなさい。身請け出来るも出来ないも、鶴の一声なのだから……。」
団扇を、バタバタと扇いでいる女郎。
破落戸が金を強請って来た。
秋は紅時から右腕を剥がし銀を乗せた掌を見せた。
瞬時に其れは手から無くなったと、同時にそそくさと男が居なくなった。
「先生。でも身請けするには銭や、おかあさんの了解が必要です。」
やっと顔を上げた紅時が云った。
秋は腕の中に収まっている紅時に心を惹かれて、見詰めているだけだった。
顔に風を思い切り当てている女郎が溜息をした。
其の時空気が変わった。
「おい、あれ……。」
大勢の視線が入り口に注がれた。
太夫がお供も連れず、凛と立っているのだった。