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承:凶悪なドラゴンは呪われる

 緩やかに時が流れてはや数日。




 純白の丸いベッドに、年若い女性が眠っていた。


 茜色の長い髪が流麗に広がり、その様子は絵画のように美しい。……この物語の主人公、秋茜(あきあかね)である。

 薄い布地のワンピースドレスがふとともの上までめくれて、細い足が露わになっている。横向きに投げ出した腕が、はだけた胸元を微妙に隠していた。


 ベッドの側のアンティーク調の白い小さな丸テーブルで、壮年の男性が本を読んでいる。

 なんとも悩ましい彼女の寝姿を別段気にした風もなく、先日とまた別の童話集をめくっていた。


 寝室は一つで、ベッドも一つだが、彼が一緒に布団に入ることはない。何故なら彼は寝るとき横にならないし、そもそも冬眠と呼ばれる長期睡眠をする分、毎日寝る必要がない。


「ん……」


 もぞ、と身動きして、秋茜は身を起こした。

 髪と同じ茜色の目を薄く開け、こすりながら、秋茜は首を傾げる。


「あれ……私、寝坊ですか?」

「別に何時に起きると決めている訳じゃないだろう」


 ベッドに腰掛けると、彼より少し低い目線。

 昨日、人間の姿になる魔法を使ってそのまま眠ってしまったらしい。

 今の彼女は手のひら分ひとつくらいしか彼との背の差はない。背中にあるはずの蜻蛉のような二対の翅はなく、耳も尖っていなかった。

 精神力が尽きない限り、うっかり解ける、ということはない魔法である。


 頭が覚醒していくと同時に、秋茜は表情を曇らせた。


「ど、どうしましょう……」

「何が? 昼食なら、下の妖精たちが腕によりをかけるらしいから、安心していいと思うが」

「私のこと食いしん坊だと思ってません? ……そうじゃなくて」


 手早く衣服を整え、秋茜はベッドから降りた。


「日の出前には起きないと、正午に、朝陽の妖精が来てしまうんです」

「……大変なことなのか、それは」


 秋茜の様子に、彼はぱたんと本を閉じて怪訝な表情をした。


「はい……。今となっては……大変なことですっ……」

「……ふうん?」


 プラチナの瞳に、静かな光が差し込む。


「あ、時間……、11時…58分……、あと、2分しかないです……どうしましょう……!!」

「とりあえず、着替えるか?」

「あ、えっと……、はいっ!」


 たしかに、あの、朝陽の妖精に、ネグリジェ風のドレスで会う訳にはいかない。

 ぱたぱたとクローゼットに走り寄ろうとした時。


「ストップ」


 彼の低い声がすぐ後ろでして、ふわ、と白く輝くストールが肩にかけられた。


「え……?」


 肩が掴まれているので振り返れない。

 背中越しに突然、彼とは違う少し高い男の声が響いた。


「待ちきれなくて、来てみたら……まさか、男がいるだと」


 秋茜はその声の主を知っている。


東雲(しののめ)……」


 五百年ぶりに聞いた幼馴染の不機嫌そうな声色に、彼女の喉から緊張した声が漏れた。


 もう、来てしまったのなら、悠長に着替えていられない。秋茜は借りたストールで肩や胸元を隠した。

 そっと肩から手を外してくれた、人の姿をしているドラゴンの脇から、声の主……東雲(しののめ)という青年を覗き見る。


 カッと光を纏い人間の大きさになったその男は、部屋の中央に仁王立ちしていた。

 明るい黄赤色の髪と目は、秋茜のそれより数段落ち着いた色味であるが、その目つきは随分と剣呑だ。

 彼女の恋人と違って、見た目は若く、外見はどちらかと言えば筋肉質で、それが分かるようなデザインの白系統の服を着こなし、腰には鞭のような得物を差している。

 背も、彼より少し高い。といっても彼の正体はドラゴンなので人間の姿の背も筋肉も容姿も、紛い物でしかないのだが。


 東雲(しののめ)は片足を踏み出す。

 長い髪を銀のアクセサリーで結い上げて頭の高い位置から弓なりに落ちた十二本ほどの三つ編みが、腰の位置で揺れた。


 彼は秋茜を背中で庇う男を射抜くように睨みつけた。


「執事って風でもないよな」

「──そうだな。彼女の伴侶、ということになっている」

「な、なんだと……」


 しれっと言って黒ずくめの彼は肩をすくめた。

 東雲の顔が見るからにショックを受けて凍りつく。


「予言した五百年はとうに過ぎてる! 僕への愛はどうなったんだ!」


 そもそもそんなものは存在しません、と秋茜は口の中で呟いて彼の黒いシャツを握る。


 ──怖い。


 ──その手が震えているのが、自分でも分かった。


 五百年前、秋茜にふられた東雲(しののめ)は躍起になって、未来の妖精が持つ固有の魔法を使って彼女に呪いをかけた。

 非常に強力な予言の魔法。彼がその気になれば、人の気持ちも運勢も思いのままなのだ。


「……君が怯えるなんて、珍しいな」


 彼は、壮年の顔立ちに穏やかな笑みを浮かべた。


「朝陽と未来を司る妖精が、予知を外した、というのはどういうことだ?」

「──知るか! どこかで、世界線がずれたんだ! 畜生!」


 世界線……刻まれた過去と定められた未来を繋ぐ運命の糸、とでも表現しようか。本来は未来の妖精である彼と、過去の妖精である秋茜だけが、それに干渉できる。

 ただし、先に未来の妖精が予言したことを、過去の妖精が過去を歪めても変えることはできない。

 だから、未来の妖精の予知が外れるなんてことは、本来あり得ないことだった。

 彼は顎に手を当てて考える仕草をする。何か思いあたったのか、彼は表情を曇らせた。


「……そうか。過去と未来が結ばれる、という運命が、本来だったんだな」


 何か、罪悪感を感じているような言い方。

 というのは、世界線を歪めたのは、他ならぬ彼……このドラゴンは、そういう特殊な力を持っているのだ。

 やたらめったらそれを起こさないように、普段から大人しく過ごすようにしているそうなのだが、この件に関してはそうはいかなかったことを、悔やんでいるのか。


 秋茜は必死に否定した。


「そんな運命、なくていいんです……っ」


 喩え運命であろうと、東雲と結ばれることだけは勘弁してほしい。

 見目は麗しくとも、支配欲の塊のような男である。断じて、断じて願い下げだ。


 五百年前と変わらない秋茜の拒絶に、東雲はショックを受けた様子で一歩下がった。


「くそ……、秋茜は、騙されてるんだ!」


 何度も(かぶり)を振る。

 毒づいて、悔しそうな顔で呪文を口にした。


「よ……、“予言する”──“過去の妖精の()()伴侶は、蛙の呪いを受けるだろう”!」

「!!」


 とたん、ぼむっ、と煙が立ち込めて、目の前にいたはずの彼の姿が見えなくなった。


「うそ……! 東雲(しののめ)、なんてこと……!」


 足元に何かの気配を感じてしゃがみ込むと、そこにいた大きな黒い蛙の、プラチナの目と目が合った。

 ぎょろりとした大きな目がぱちくりと瞬きする。


 東雲はひきつり笑いをして、蛙を指差した。


「ほら、()()伴侶なんだ……! 僕だけだよ、君を幸せにできるのは!」

「最低!!」


 秋茜は叫んで、しっとりした触感の蛙を抱き上げた。

 蛙がげこ、と喉を鳴らす。喋れなくなってしまったのか。


 ──なんて酷いことを。


「偽だなんて、何かの間違いです……!」


 溢れ出した涙を見せないように、くるりと背を向ける。


「帰ってください!」


 東雲はふん、と鼻を鳴らした。


「断る。──それより、そんな変身、解けよ秋茜」


 東雲が近づいてくるのを感じて、秋茜はびくりと肩を震わせた。

 この男と二人きりなんて、恐ろしくて耐えられそうにない。


「来ないでください……誰か!!」


 張り詰めた声で叫んで、蛙を抱いたまま階下に続く階段へ走る。


 ダン!


 目の前を、隆々とした腕が遮り、壁を叩いた。びくっとして、秋茜は身を竦ませる。

 彼は哀しそうな目で秋茜を見つめた。そして、囁くように、魔力のこもった言葉を口にする。


「……“過去の妖精は、未来の妖精の前では変身の魔法を使えないだろう”」

「きゃっ!」


 ぽむ、と煙が弾けるように、人間に化ける魔法が解けて、蛙を取り落とす。妖精の姿に戻ってしまうと、蛙と同じサイズだ。これでは彼を運んであげられない。


 秋茜だって同格の妖精であるのだが、相性が悪い。彼の予言の魔法を打ち消すことは、彼女にはできない。

 びた、と大理石の床に降り立った黒い蛙の側に舞い降りると、東雲も妖精の姿に戻る。

 容姿はそのまま、耳が尖り、背には不思議な色合いで煌めく蝶のような翅。

 見目麗しい高位の妖精だが、今は視界に入って欲しくない。


「どうして……」


 蛙に涙に濡れた顔を埋めると、東雲は秋茜の後ろに立ち、ふわりと腕を回した。


「……悪かったよ、そんなに泣くな。きっとどの道、その男とお前はちゃんと向き合う必要があったんだ」

「……」


 打って変わって優しい声色は、秋茜の心を懐柔するためか。

 彼と向き合って、穏便に別れろ、ことだろう。


 『偽の伴侶』は蛙になる、という呪いだ。ばっさりと伴侶でないと割り切れば、おそらく蛙の呪いは解ける。

 逆に、偽ではなく真の伴侶と思うことができても……秋茜の想像では、きっとたぶん、体の関係になったら……、呪いは解ける。しかし残酷なことに、互いに人の姿に化けることができた時より状況は絶望的だ。


 蛙のプラチナの瞳が、すん、と二人を見据え細められた。

 機嫌が悪いように見えるが、思案しているときの彼の癖だ。


 げー、と喉を鳴らして、蛙はぴょーんとジャンプし、テーブルの上にある童話の本をゲットした。


「……なんですか?」


 後について舞い上がると、彼は水かきのついた前脚でページをめくり、文字を指差す。


「『君は』、『最近』、『何を』、『悩んでる』……? うう、それは……」


 『偽の伴侶』と認識していたのは、もしかすると彼も同じなのかもしれない。見て見ぬふりをしてきた、小さなすれ違い。

 なんと返答したら良いか分からず、口ごもる秋茜に、黒蛙はげこ、とため息をついた。

 醜い蛙なのに、目の輝きは彼のままだ。


(やっぱり言えない〜〜!! ごめんなさい……っ)


 秋茜は涙で腫れた顔のまま、また蛙のしっとりした皮膚に突っ伏した。

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