空に太陽があったころ――忌野清志郎がくれた日々
●出会ってから愛し合うまで
「ぼくの好きな先生」を初めてラジオで聞いた、中学生だったあの時、校舎の裏庭で一人の先生と一人の生徒が言葉少なに何かを語り合う静かな情景がくっきり浮かんできた。確かな何かがしっかり胸に残る歌だった。それは間違いない。でもだからと言って特にRCサクセションというフォークトリオに興味を抱いたわけでもなかった。
「スロー・バラード」を初めてラジオで聞いた、高校生だったあの時、市営グラウンドの駐車場で目を閉じたまま何かを呟いた一人の女の子の声を聞いた一人の男の子の静かな横顔がはっきり浮かんで、高校生のボクはカーラジオから流れてきた情感豊かなバラードを確かに聞いた。その瞬間から「スロー・バラード」という曲は一生忘れられない曲になった。それは間違いない。でもだからと言って特にRCサクセションというバンドのLPが今すぐ聞きたいとか思ったわけでもなかった。
中学時代はTレックスやラズベリーズ、高校時代にはイーグルスやジョン・レノン、ボストンやドアーズ、ストーンズばかり聞いていた。大学生時代はNHK・FMの「サウンドストリート」を聞いて「ロッキングオン」という雑誌を読み、渋谷陽一という人が薦める洋楽バンドばかり聞いていた。そういう洋楽ロック偏重/偏聴者だった。ところがその渋谷氏が突然、日本のロックバンドをスタジオライブという形で紹介した。三十分ぐらいのライブ番組だった。
こ、これ何よ……。
そのバンドのパワーに、ぶっ飛んだ。ぶっ飛ばされた。これが、あの「ぼくの好きな先生」や「スロー・バラード」のRCサクセションなのか?
久保講堂でのライブ『Rhapsody』を発表する直前の、それは紛れもなくRCサクセションだった。
初めて「雨上がりの夜空に」を聞いた夜だった。言葉を聞き流すことを許さないネットリと黒人みたいな声。軽快にジャンプしまくるガッチガチのテレキャス――あれが聞けて本当に幸せだった、と三十五年以上過ぎた今でも思う。予備知識なしにいきなり、あんなものに出くわすことはそれ以来一度もない。
そのあと初めて聞いたRCのアルバム『ラプソディー』を聞きながら、買ったばかりのまがいもののテレキャスでコードを探した。「雨上がりの夜空に」は「ブラウン・シュガー」も「イッツ・オンリーR&R」を軽々と抜き去り、我が家のギター史上いまだに破られないヘヴィーローテーション記録を作った。
日本のロックといえばRCだけ、他はないも同然、あとはドアーズとジョン・レノン、それにストーンズさえあれば充分という、ブラックスリムの若造が初めてRCに会える日がやってきた。仙台電力ホールにシーナ&ザ・ロケッツとのジョイントでRCがやってくることになったのだ。俺は高校時代からの付き合いの彼女Hと電力ホールへ向かった。
ホールの列に並んでいるとホールの中でリハーサルをやっている音が漏れ聞こえてきた。女のボーカル――シーナの声を聞きながら「どっちが先に出てくるんだろうね」と彼女は言った。ボクには「どっちだろうなあ」としか言いようがなかった。
なんとなくシナロケがメインでRCが前座なんじゃないだろうかとは思っていた。RCはキワモノ新人扱いで「You May Dream」が何かのCMに使われて大ヒットしていたシナロケのほうがメインだと思わざるを得なかったからだ。鮎川誠はロック界ですでに大御所でもあった。でもボクたちは期待していた。「シナロケが先だよね」「RCがメインじゃなくっちゃな!」「うんうん!」そんな感じで勝手に励まし合った。でもやっぱり先にステージに現れたのはRCだった。チャボがマイクスタンドの前に立ち、今となっては柄にもないとバレちまってる野太い声を張り上げた――ウェーイ! カモン、リンコワッショー!
●本格的なお付き合い
『初期のRCサクセション』と『シングル・マン』がすでに発表されていたけれど、僕が初めて聞いたスタジオ録音盤は『プリーズ』だった。『ラプソディー』を聞き過ぎた耳には正直なところ『プリーズ』は音がまとまりすぎていてやたら地味で、何かはぐらかされた気さえした。でもライブ盤に浮かされていた、そんなバカ耳もすぐに修正されていった。それは、サウンドに耳が慣れたというより歌詞の効力だった。「お前の涙 苦しんだことが 卒業してしまった学校のような気がする夜」、「授業中あくびしてたら口がでっかくなっちまった 居眠りばかりしてたら目がちっちゃくなっちまった」「何も変わっちゃいないことに気がついて 坂の途中で立ち止まる 金が欲しくて働いて 眠るだけ」「どっかの山師が 俺が死んでるって言ったってさ」――清志郎の言葉が耳の奥にずんずん積もり積もっていった。『ラプソディー』よりもさらにクリアに。
言葉に引き込まれて聞き込んでいくと音の印象がどんどん変わっていった。一曲として似通った曲がないサウンドの多様さも素直に心に入ってくるようになった。このアルバム直後のコンサートでは「DDはCCライダー」に腰がついていかなくて、ボクも彼女Hも困りはてた。困りはてたあげく最前列まで駆け下りていった。いや、ボクは彼女を追っかけただけだった。まだ全然総立ちなんて言葉がない時代で、ボクたちはもちろん警備員に戻された。
『プリーズ』のヒットは「トランジスタ・ラジオ」という曲の存在が大きかったけれど「雨上がりの夜空に」や『ラプソディ』の余波みたいな面もあった。少なくとも僕にとってはそうだった。そこへ現れたのが『ブルー』というアルバムだった。このアルバムこそがRCへの愛を決定づけたと言って間違いない。『ブルー』は、『プリーズ』で一度、「俺たちゃこんなことだってできんだぜ。いやむしろこれがほんとの姿さ」と言った彼らが「でもやっぱこんなのが聞きてえんだろ」と、当時「俺たちが欲しがったRC」を100%やらかしてくれたアルバムだった。『プリーズ』のそこここにちりばめられていた、「Rockファン」にはいまいち理解しがたい、R&B志向の音が減っていた。
このアルバムのツアーではびっくりした。「よォーこそ」をやったあと、メンバーがさささーっと引き上げてしまったからだ。客が前に押し寄せたからだった。「このままではコンサートを続けることができません。指定された席へ戻るようお願いします」みたいなアナウンスがあった。数分後、RCはステージに戻ってきた。MCも何もなく「ロックンロール・ショー」を演り始めた。オープニングの二段構えかあ、と彼女Hとボクは笑ったものだった。
「つ・き・あ・い・た・い」で始まる『ビート・ポップス』は全盛期を誇示するダメ押しのキツイ一発だった。「たとえそいつが古いトモダチでも偉くない奴とはつきあいたくない だけどそいつがアレを持ってたら俺は差別しない つきあいたい」
カナをたった一文字変えるだけで「純な歌」を「アブナイ歌」に変えてしまう清志郎に、俺たちははてしなく夢中にならざるをえなかった。CMにも使われた「こんなんなっちゃった」も可愛かった。
●愛の横揺れ
『ブルー』と『ビート・ポップス』のあいだにシングル「いけないルージュ・マジック」が出た。RCのファンの僕的には「なんでこんなことすんの?」だった。わけがわからなかった。もちろんシングルはしっかり買ったけれど。
当時、僕はロックについて好き勝手に書きなぐるだけのミニコミを作っていた。ロック喫茶などにも置いてもらって、かろうじてそれは、知る人ぞ知るミニコミ誌程度にはなっていた。ある日、そんなミニコミ編集者になんと商工会議所というところから電話が来た。対談に出てくれ、みたいなことを電話の主は言った。仙台でいわゆる「文化的行動」をとっている人たちで「わが町の文化」について激論を交わしてくれなどと言う。
東北新幹線開通が間近に迫っていたから、テーマは「仙台はミニ東京になるのか?」。仙台に文化なんてもんはないと思っていた俺がそれでも出て行ったのは自分のミニコミの宣伝になると思ったのと「お車代❤」欲しさからだった。
他にどんなやからが来てたかなんてことはいっこも覚えていない。覚えているのは覚えていたいと思うような人物が一人もいなかったということと、「ミニ東京化、いいじゃんいいじゃん、受け入れようじゃん!」と言ったバカ女だけの発言だけだ。
あ、覚えてた。そう、そんなどうでもいいような会合、そして方々だったのだが、ひとつだけ明確に覚えていることがある。ミニ東京いいじゃんの女がこんなことを口走ったのだ――「清志郎、もうチャボなんかと切れてこの路線で行けばいいのに!」
ほざいていなさい。俺のいないところで、と僕は思った。そして、やっぱ来なけりゃよかった、と心底思った。文化なんてものを語りたがる奴らにはやっぱりこんな奴しかいないんだ。
坂本氏との共演になるこの曲はもしかしたら清志郎の真骨頂たるものが過剰なまでに出てる名曲なのかもしれない。でも、ああ、どうしてもあの、商工会議所の窓から見たバカバカしいくらいに青い空ばかりが思い出されてしまう。
●独りよがりな愛の陰で
「雨上がりの夜空に」や『ラプソディー』が発表され、RCサクセションの名が世に認められつつあった頃だったと思うけれど、一人の音楽評論家が「シングル・マン再発実行委員会」なるものを組織&活動していた。制作されたにもかかわらず、事務所の「飼い殺し方針」で発表後まもなく廃盤にされた『シングル・マン』をきっちり世に出さねばならないという主旨の「実行委員会」だった。
その代表の吉見佑子さんたちの活動の甲斐あって『シングル・マン』は『ラプソディー』発表の二ヶ月後、再発売され我々の耳に届くことになった。そのこと自体快挙だったんだろうが、さらに驚いたのは彼女らの活動で再発表されることになったブツの中味だった。彼女にプレゼントすんだからファンはもっといいものをくてくれなくちゃダメだ、つまらないものは捨てるぜ! と歌う「ファンからの贈り物」から始まり、「やさしさ」の曲構成に度肝を抜かれ、「スロー・バラード」の最後のサックスは悲しく、「ヒッピーに捧ぐ」は夢みたいに切なかった、と、一曲一曲のボルテージで言えば『シングルマン』は『ラプソディー』以上にのんびり聞いてられない対峙の傑作だった。
ずっとあとになってから聞いた初期のアルバムからのセレクション『ハードフォーク』も、烏合の衆を馬鹿にする「シュー」、自分よりも勉強を重要視する女の子へ贈る歌「三番目に大事なもの」、火のない所に立つ煙を歌った「けむり」、後々『コブラの悩み』で元祖怒りのメッセージとして再登場した「言論の自由」、どれもこれも青い森やジアンジアンでのRCがどんなに激しかったかが容易に想像できる曲ばかりだった。
●そして愛の継続
しょっぱなの「ドライヴ・マイ・カー」のゆったりうねるギターのイントロを耳にした瞬間から、何度も聴いているのに初めて聴くような感覚になる、『OK』はそんな不思議なアルバムだった。この「初対面のデジャブ感覚」がラストの「ドカドカうるさいロックンロール・バンド」のイントロが高々と鳴り響いてハッと目を覚ますって感じ。
清志郎のどのアルバムにも潜んでいる「引きこもり感」が一番顕著に心地よい形で凝縮されているこのアルバムを構成している一曲一曲はそれぞれ、一つ一つの音が左右にきっちり分けられていてビートルズの『ラバー・ソウル』を連想させる。『プリーズ』、『ブルー』、『ビートポップス』と、怒涛の隆盛期を過ごしたRCがはっきりとした分岐点を置いたように感じられて、当時はある意味ショッキングなアルバムもあった。
のっけから「スカイ・パイロット」、ラストに「ロンリー・ナイト(Never Never)」が配置されている『ハートのエース』は一見「みんなが知ってるRC的」な体裁を整えている。でもこのアルバムも「ボクと彼女」や「ゴーン・ゴーン」で清志郎はかなり引きこもっている。そして「はい、よくぞここまでようこそ」と静かにドアを開けて「山のふもとで犬と暮らしている」という奈落の楽園が待っている。タイトルからしてストレートな引きこもり讃歌に登場する犬の名前は「ひとりぼっち」。というふうにメリハリの激しい『ハートのエース』に清志郎流青春讃歌「ブン・ブン・ブン(オコリンボリンボ)」は入っている。
世の中には今や、これでもかというほど「応援歌」だらけだ。ヒットする曲はほとんどが「誰かが君を見てるから君は君のままでがんばれ!」風味の曲ばかり。まったく、と思う。いつからみんなそんなに他人思いになったんだい? いつのまにそんなに仲良くなったんだい? である。てめえなんぞに元気ヅケられるぐらいなら死んだほうがマシだぜ! である。
「ブン・ブン・ブン」は違う。恥ずかしい話だが、僕はずっとこの曲をただ単にすぐ怒る奴を馬鹿にしただけの曲だとばかり思っていた。「もっと怒れ!」だの「青すじぃ」だのという歌詞にアハハハと笑っったまま十数年、俺は時間を無駄にしてしまったわけだ。
清志郎の存在価値に気づく瞬間はいつもある日突然やってくる。これも昼の散歩を『ハートのエース』をウォークマンで聞きながらやってたら来た。川べりの散歩は終わりに近く、もうとっくにRCは活動をやめていた。清志郎が「もっと怒れ!」と言った時、あ……と俺は立ち止まった。
ああ……怒ってていいんだ。
こんなこと、とっくに気づいていた人には笑われてもしかたがない。え? と思った人はもう一度「ブン・ブン・ブン(オコリンボリンボ)」を絶対に聞くべきだ。これはちょっと意地悪な、けれど世にはびこるどんな応援歌よりも確実に力強く「怒れる若者」を讃える歌だから。
『フィール・ソー・バッド』が発表された頃、僕は荒れていた。パンクバンドなんてのもやっていた。ひどく暗い音を撒き散らして恥ずかしいとも思っていなかった。というわけでRCとは完全に切れていたのである。だから「自由」を、「腰を振れ!」を、さらに極め付けには「夢を見た」を聞いたのは発表されて五年くらい経ってからだったのである。
「夢を見た」はの歌詞はたった八行である。その八行に深く、まるで泥のようにブルーズが塗り込まれている。そして簡潔に、しかしどこまでも溢れふくらんで泣くチャボのギター。
RCの音を聞きなれた耳にはイアン・デューリー&ブロックヘッズをバックに録音された『レーザー・シャープ』のサウンドはそれこそまさにシャープで斬新そのものだった。なにより一つ一つの音のヌケが素晴らしかった。実際にはエコーやリバーブなんかずいぶんかかってるのに、スッコーンとヌケて戻ってこない感じ。清志郎の声や言葉も陰影をまとわないでまっすぐ耳に入ってきた。RCのメンバーがロンドンになんか行きたくないってんでソロになったってことらしいが、「河を渡った」の変則的なリズムや「曲がり角のところで」の軽快さはRCからは出てこないもので、災い転じてしっかり福となし、名実ともに「ソロ」と言えるものを清志郎は作ったのだった。
歌詞的にも「子供の顔したあいつより信頼できるぜ大人のほうが」の「子供/Children's Face」、他にも「曲がり角のところで」や「キレル奴」さらには「アイディア」がすごかった。
『マーヴィー』が出た頃、RCの人気はすっかり落ち着いていた。『ラプソディー』から『ビート・ポップス』までのロックファン全体を巻き込んだブームが去っても一定の人気を維持し、セールスを保っていたけれど、彼らのコンサートは「ロックの伝統芸能」化しつつあった。もうぜんぜん弾けてない――世間は彼らをそう思い始めていた。
『マーヴィー』は初のCD発売で、そのサイズに合わせてみっしり曲が詰め込まれていて、同時発売のレコードは二枚組だった。つまりそれぐらい意欲作だったのだが、内容はその頃の彼らの評価を肯定するようなR&B色たっぷりの落ち着いたものだった。
CMに使われた「夢中にさせて」、チャボの「俺は電気」と「ギブソン」。その他にも言葉ヅラが面白かったり、もろR&Bだったり、いい曲はたくさん入ってるんだが、どうにも「なんか盛り上がんない」アルバムで「ミッドナイト・ブルー」をオープニングにしたツアーも、どこか「オキマリのロックンロールショウ」をまるで「正座させられているような総立ち」で見せられている感じは否めなかった。しかし、だ。あとになって思えば、これこそまさに「嵐の前の静けさ」にほかならなかったのである。
●むき身の愛
清志郎は言った。「むかし洋楽でよく聞いていたメッセージソングみたいなのも歌わなくちゃならないんじゃないかな、と思ったんですよ」「ある日、親戚のおばさんが母の遺品の日記みたいなのをごそっと持ってきてくれたんすけどね、その中には国に対する怒りがビシバシつまってたんすよ。父親と出会う前に付き合っていた恋人を戦争で奪った国に対する怒りが連綿と綴られてたんです。ああ、俺のDNAにはそういうのも組み込まれてるんだなってものすごくしっくりきましたねえ」
『カバーズ』はRC快心の大エンターテイメントにして大ヒット作品である。作った本人たちもファンたちにとってもそれ以外の何でもなかった。何がそんなに大エンターテイメントなのかと言えば、素晴しい選曲と日本語詞、そして豪華なゲスト陣だ。これはもうそのまま箇条書きにしちゃったほうがいいくらいだが、ここでは控えよう、と思ったけどやっぱりメンツくらいは――ジョニー・サンダース、金子マリ、三宅伸治、山口富士夫、高井麻巳子、三浦友和、Isuke Kuwatake、ニュース音源からキム・ヒョンヒ、坂本冬美、ちわきまゆみ、泉谷しげる、山下洋輔、梅津和時。
●「君はLove Me Tenderを聴いたか?」
君はLove Me Tenderを聴いたかい
僕が日本語で歌ってるやつさ
あの歌は反原発の歌だって みんな言うけど
違う 違う それは違うよ
あれは反核の歌じゃないか
よく聴いておくれよ
核はいらないって歌っただけさ
それとも原子力発電と核兵器は 同じものなのかい
発電所では実は核兵器も 作ったりしてるのかな
まさかまさかそんなひどいことしてるわけじゃないよね
灰色のベールのその中で またそんなことしてるのかな
君はLove Me Tenderを聴いたかい
僕のあのイカレた替え歌さ
あんなに小さな声で歌ったのにみんなに聞こえちゃったみたい
誤解 誤解しないで 彼女へのラブソングなのに
反原発ロックなんて そんな音楽が あるとは知らなかった
ただの歌じゃないか なんか変だな
レコード会社も新聞もテレビも雑誌もFMも バカみたい
あーあ、あーあ、何を騒いでたの
1989年の夏の野音で「今日のライブはどんどん録音してくれてかまわない!」と言い切って、その中でRCはこの曲を歌った。その時のテープをもらうことができて、そこから書き起こした、アルバム『コブラの悩み』には最初の1.5行しか入っていない曲の全歌詞。Googleで検索すると歌そのものも今は聞ける。
アルバム『コブラの悩み』に詰め込まれた怒りは生半可じゃない。のっけが「日はまた昇るだろう東の芝にも」の「アイ・シャル・ビー・リリースト」。「本当のことなんか言えない」の「言論の自由」。「大人になって気づいたことはどこにも逃げ場がないってことさ」の「Help!」。そのものずばりの「軽薄なジャーナリスト」(にはなりたくない)。「どうしてそんなに目くじらを立てるの」の「心配させないで…」。念の入ったことにチャボの「俺は電気」まで入ってたりもして、ライブ自体の締めは「あきれて物も言えない」。
この時期にきっぱりRCと離別した「元・聖子ちゃんカット」も数限りなかったに違いないけれど、深い愛を確認した、もしくは発見したやからも相当にいたに違いないのである。
『カバーズ』発売中止事件から、清志郎は本格的に壊れていった。チャボでさえついていけないほどの怒りを爆発させた。他のRCのメンバーはそっぽさえ向いていた。そんなふうに僕の目には映った。そんな感じはすでに『コブラの悩み』で顕著になっていたように思えた。清志郎一人が怒りに打ち震えていて、他のメンバーはそんな清志郎をこわごわ後ろから見守っているように。かなりそれは寂しい光景だった。
そんな寂しさを感じつつもアルバム『ザ・タイマーズ』の素晴らしさには呆れた。ここにはもう清志郎の声を一番優しく、しかも刺激的に包み込むチャボのギターもRCのバンドサウンドもなく、「子分」たちを引き連れる清志郎がいるだけだ。剥き身の刃と化した清志郎がとことん突っ走っていき、そのあとを三宅伸治を初めとする子分たちが必死に追っかけている。
「偽善者」、「偉人のうた」、「税」、「イモ」など、躊躇なく怒りを発散しているその勢いが清志郎の「暴走感」を強烈に醸し出す。
ところが暴走していても醒めてるのが清志郎である。怒りのイメージは鮮明なのに、それをしっかり「音楽」で包みこんでいるのである。清志郎が時代のアジテーターなんぞに堕しなかったのはそこだ。俺はロックンローラー。俺こそがロック。音楽以外に興味はない。社会なんぞクソ食らえ、軽薄なジャーナリストは消えろ。
「タイマーズのテーマ」は「モンキーズのテーマ」、大ヒットナンバー「デイドリーム・ビリーバー」もモンキーズ(三宅伸治がたまたま持っていた歌本にたまたまこの2曲が載っていたのがきっかけらしい)、締めはベンチャーズの「ウォーク・ドント・ラン」と、テーマたる「怒り」からはほど遠い所から題材を持ってくる。
原子力発電所や反核から政治家にターゲットを移し変える「ギーンギーン」、「総理大臣」。挙げ句は天皇崩御の件にまで触手を伸ばす「カブリオーレ」。が、もちろん反核からも離れない――「ロング・タイム・アゴー」。音楽業界やジャーナリズムの軽薄さにもきちんとメスを入れる「ロックン仁義」、「三部作/人類の深刻な問題~ブームブーム~ビンジョー」。すべてをニホンジンたる悲しさに置き換える「ロンリー・ジャパニーズ・マン」。
これらすべてが、往年のヒット曲からカントリー、ジェームス・ブラウンも微笑むようなファンク、童謡、演歌、ブルーズ、パンク、そしてもちろんロックンロールで展開される。楽しさビンビン、誰にでもしっかり聞き取れて理解できる言葉で飛び込んでくる音楽の遊園地状態。中でも特に「ソーリダイジーン!」の「総理大臣」! この曲のファンク度、声のすっ飛びようにはもう笑うしかなかった。
この時期が一番の「声の絶頂期」だったんじゃないかな、とか思っちまう。
●RCの終焉
一九八九年、レニー・クラヴィッツが『レット・ラヴ・ルール』というアルバムでデビューした。ドラムがすぐそばで鳴っていてレニーも目の前で歌っているような、ひとつひとつの楽器の響きが生々しくて、とても大事なことが歌われている、そんな印象のずっしり重いアルバムだった。そんなアルバムのエンジニアであるヘンリー・ハーシュを迎え、RCは一九九○年、『カヴァーズ』、『コブラの悩み』という話題作に続くアルバムを作った。
音の佇まいの静かなアルバムだった。
つまらないご託に囲まれるのはもううんざりだ、という意思表示に思えた。自らの音楽にもっと忠実なアルバムを作りたい、とう意思さえ感じられる、「忠実な犬」という曲も入っている落ち着きに満ちた、結果的にRC最後のアルバムとなった一枚だ。
プロデューサーはRCが大変なことになっている時に必ず現れてドラムも叩き、すぐに去って行く春日ハチ博文、B型。コンサートではキーボードの前に厚見玲衣、ドラムの位置に春日博文が座っていて、やっぱりなんだか寂しかった。金子マリが「ハート・オブ・ゴールド」を歌ってたのはこのツアーだったはずだ。
ラストの「楽(Lark)」じゃないけれど、清志郎にしちゃ珍しいぐらいに楽に聞けちゃうアルバムだ。
●楽しい放課後
細野晴臣(H)、忌野清志郎(I)、坂本冬美(S)でHIS。
『カバーズ』からタイマーズへ、そしてやがて23'sへと流れていく激しいムードと対照的に『BAby a Go Go』からの静かなムードを受け継いだ一枚、と解釈すると素直に癒しに満ちたこのアルバムの世界に浸ることができる。清志郎のアルバムの中では一番聞かずにきたアルバムだけど、後半の三曲、「セラピー」、「And I Love Her」、「日本の人」は大好き。
「カヴァーズ」騒動、「ザ・タイマーズ」大騒動、RCの解散、ゴタゴタしまくっていた清志郎がBooker T. & The MG'sとレコーディングする。しかもあっち――MG'sの本拠、メンフィスで。ということはR&Bとソウルの魂がこれでもかと詰め込まれた大傑作が運ばれてくるってこった。そんな勝手な解釈はのっけの軽快なR&Rナンバー「ボーイズ」を聞いた途端にぶっ飛んだ。なんなんだ、この人は! という驚きとともに。
なんだ、ただの清志郎じゃねえか!
当たり前だ。清志郎が作ったんだから。でもBooker T. & The MG'sだ。スティーヴ・クロッパーだ。なんでこんないつも通りに作って歌ってしまえるんだ? ダジャレかましまくり、古い曲引っ張り出し放題、おまけにのろけちゃったり。曲調的に、いかにも「MG'sとやりました!」ってのは「彼女の笑顔」と「MTN」ぐらいで、あとはまんま、RCから騒動大騒動を生き抜いてきた清志郎そのもの。スティーヴ・クロッパーに何か感化された、なんて雰囲気は皆無なのである。
でもこれはやっぱりたしかに「Memphis産」なのだと実感するのは全体を包む熱さ。それはもちろんスティーヴ・クロッパーのプロデュースによるところが大きいんだろうが、これまでとは違った所に清志郎の熱がこめられたからだろうなあと思ってしまう。
「雪どけ」の情感溢れる歌いっぷりは清志郎の歌唱歴の中でもかなり上位にくる名作。「カモナ・ベイビー」のダジャレぶりは清志郎のダジャレ歴の中でもトップに近いジョン・リー節。「高齢化社会」の批判というより風刺の精神は清志郎の風刺歴の中でも完成度の高い悪ふざけ節。「ぼくの目は猫の目」はNHKの「みんなのうた」で使われて結構子供に受けた掘り出し曲。「ラッキー・ボーイ」と「彼女の笑顔」は個人的に清志郎歴の中でも上位に来る大好きな、ほんとにいい曲だ。
山川のりを(g)、大島賢治(d)、中曽根章友(b)という、その後はなにやってんだ?わかりません的若者(当時)と組んだ2・3's〈ニーサンズ〉。
一枚目の「Go Go 2・3's」はなんだかワイワイガヤガヤと好きなことをルーズに始めたなあという印象だったが、「いつか観た映画みたいに」が武田鉄矢の映画に使われたり、「ニュースを知りたい」がニュース番組に使われたりとしっかり仕事はしてる。
そんな清志郎の「気まぐれバンド」2・3'sはしかしセカンド「Music From Powerhouse」で大変身、とんでもないシリアスさを前面に打ち出す。
とにかく何でもかんでもバカッたれと言い放つ「Fuck You」。小市民の暮らしぶりを批判しつつも暖かく包み込み、優しい目で眺めつつ、でもちょっとどうかなと言いつつ、小市民を食い物にする大きな悪に睨みを利かす「善良な市民」。まったく死にたくなるような世界だが絶対自殺はダメだと持論を前面に押し出した「死にたくなる」等々、半分は重いメッセージを突きつけてくる。
でもその半面、2・3'sをやってる期間出演していたバラエティドラマ「デザートはあなた」では岩城滉一にいじられるキャラを可愛く好演。アルバムの中の名曲「プライベート」や「この愛が可愛そう」をしっかり披露してたりして、共演の毬谷友子を踊りまくらせたりもしていた。思い出してみるほどにRCの要素を凝縮させた、楽しい、けっこう充実したバンドだった。
●チャボとの再会
のっけが「よそ者」ってのがすごい。のびのび歌うそのバックに広がる「夏のヤオン」が、ドンッ!と伝わってくるのが、またすごい。そんなオープニングの三枚組――清志郎&チャボの『グラッド・オール・オーヴァー』
一枚目がチャボとのアコースティックステージ。二枚目と三枚目がバンドステージ。バンドのメンバーはKYON(keyboards)、湊雅史(drums)、早川岳晴(bass)、梅津和時&片山広明(sax.trumpet.etc)、ミキ&マチコ(back vocal)、忌野清志郎&仲井戸麗市。
曲は2・3'sを一曲、麗蘭を一曲やってる以外はすべてRCの曲で、今さらRCなのですか? と思いつつ聞き始めたんだが、始まってみればもうそこまで。勝負あり。
この三枚組が出るまではバッキングをスタジオミュージシャンがやったシングルバージョンでしか聞けなかった「ステップ!」が初めて「ちゃんとした」バッキングで(CDで)聞けたのが嬉しかった。
「アツいぜ、ベイべ」的臨場感にドッと浸かるもよし、初心者の入門編CDにするにもよしの完璧盤と言える。
●Timersの逆襲
一九九五年と言えば阪神大震災と地下鉄サリン事件である。その一九九五年、タイマーズは復活した。四月にメジャーから「復活!! The Timers」、十月に自主制作で「不死身のタイマーズ」。内容はもちろん、「タイマーズのテーマ」から順当にスタジオ録音盤収録曲をなぞった「復活!!」よりも、「不死身のタイマーズ」のほうが過激。タイトルを見ただけでもそれは明白。「障害者と健常者」、「あこがれの北朝鮮」、「トルエン」、「お前の股ぐら」、「イツミさん」、「トカレフ」だからね。でも歌詞を含めた音楽的クオリティーでは「復活!!」のほうも負けていないし、まとまりもある。でもしかし、やっぱりすごいのは「不死身の」だ。
「不死身の」の「ヘリコプター」のダウンコード、けっこうハマる。
●一人旅へ
短く(2cmぐらい?)に刈り上げた髪を「真っ緑」に染め上げたステージの中央に立つ男が清志郎に見えなくて困った。一九九七年初秋の盛岡でのコンサートでのことである。
男は初め、ボロにくるまれた姿で現れた。歌ったのは『グルーヴィン・タイム』のトップに入っている「ガラクタ」だ。
一曲歌い終えてアルバム通りに「気まぐれな女」に移る時、ボロを脱ぎ捨てたら頭が「真ッ緑」だった。
『グルーヴィン・タイム』は「ファン」の度肝を抜くアルバムだった。恐ろしいぐらいへヴィな「ガラクタ」に始まり、それに続く「気まぐれな女」はAC/DCばりにハード。「メロメロ」はチャボと作っただけあってメロディアスだが、でもやっぱりハードロック。
「裸のマンモス」もゴリゴリの骨太ロック。さらにはSly & The Family Stoneかよ!?ってな「不真面目にいこう」。フリージャズっぽい色合いも濃い「風」。
そんなアルバム直後の真ッ緑だったのだ。だからこれまで語ってきた「タイマーズまでの清志郎」とここからの清志郎は、俺の中ではスッパリ分かれて認識されている。ここからの清志郎が、俺の中では全盛期なのだ。豊潤期とも言う。
ところで、この時はじめて清志郎のコンサートに参加した、我が奥さん、どう見ても忌野清志郎に見えない緑頭男を前にしながらも純粋にわっせわっせとノッテらっしゃった。核心のみが見える人なのだ。
「Rainbow Café」は前作と同じメンバー、Little Screeming Revueで作られてて、まずは「世の中が悪くなっていく」ではハードなメッセージを前作路線でかっ飛ばし、でもそんな感じはここまで、次の「サンシャイン・ラブ」、それに続く「キューピッド」はあくまでキュートに60年代風に、「鶏肌」はコッコッコッコ、コッコッコッコケーッ!と怒涛のユーモア、シチューのCMに使われた「ギビツミ」は三宅伸治のギターも美しい極上の癒しソング、「弱い僕だから」はキムタクのために作られたらしいが、スマスマで歌ってるのを見たら、いや俺は弱くなんてないんだけどね、みたいな顔で歌っててお話にならなかったが、ここではしっかり生きてます、もちろん。と、レコードならここで盤をひっくり返す所なんだろうなあ、とか思いつつ、車のエンジンをかける音から始まる「エンジントラブルブギ」でガラッと雰囲気が変わってB面にとつニュル。そして登場、「入りたい、入りたい」の名曲「ひどい雨」。「イロイロ」はマラカスを持って歌ってほしいラテン系ぶっ飛びソング。「Make Up My Mind」はモロ、ハートオブストーンで正直いまだに「あれ?」なんだが、軽快にぶっ飛ばす「イキなリズム」はいいよー。もう2曲入ってるけど、まあ、機会があったら、ということで。
歯っ欠け女の子のジャケットの『ラフィー・タフィー』を買った時、俺は戸惑った。プラスチックのケースには、いかにもポラロイド、という写真のたくさん詰まったミニ写真集、CDはプラケースと同じ大きさの紙ケースに、むかしのLPレコードのようにセロファン袋に入れられて収まっている。つまり通常のCDケースの中にはおまけの写真集と歌詞カードだけで、本尊たるCDが完全に分離していたのだ。かくしてこのアルバムにはかつてのLPレコードのように外袋が必要となった。聞く時には、外袋から出し、紙ケースから出し、内袋から出し、やっと聴ける。CDというものにすっかり慣れてしまっていた身には、中々にムムム感の募る様式だったのだ。
さて、外袋から出し、紙ケースから出し、内袋から出して聴くその中身。こっちにはもっと戸惑った。いきなりディスコナンバー、しかもヴォーカルはキンキン声、お世辞にもうまいとは言えない女の子、そんな曲で始まっちゃうんだから。続く他の曲たちも、一曲一曲の雰囲気がとにかくバラバラ。まとまり皆無。ところが、中に「風だらけ」という、ザ・バンドのリチャード・マニュエルが歌ったらどんだけハマルか、という名曲がある。ということはすなわち、土臭い、がしかしボブ・ディランテイストもたっぷりの名曲ということだ。
この一曲にハマッたとたんにすべてがすんなり耳に入ってくるようになった。バラバラでいいじゃねーか!最高じゃねーか!だ。
というわけでこのアルバムは僕の中では清志郎版「ホワイトアルバム」で「メインストリートのならず者」なのである。
●シングルもけっこう愛せた
とか書いといてのっけからシングルじゃない曲だ。でもサントラにしか入ってない「恋の門」は素晴らしい。バックはほらあの福島出身のあいつが歌ってるあのバンド! なのだが、「きのうは、そう、間違いだらけぇ」とバラード調に始まってミュージカル風にどんどん盛り上がっていく、誰でも単純に楽しめる小さな傑作だ。
一九九五年十一月から清志郎は「君にだけわかる言葉/ダーリン」、「グッド・ラヴィン/Mighty My Love」、「世界中の人に自慢したいよ/マーマレード・ソング」と立て続けにシングルを発表した。
三宅伸治プロデュースによるナッシュビル録音で、「ナッシュビルからの逆襲三連発になるはずだった」と清志郎がどっかで言っていた。「ぜんぜん逆襲になんてならなかったぞ、どうなってんだ、三宅!」とも言っていた。いや、違う。怒ってたのは三宅に対してじゃなくてレコード会社にだった。ちっとも宣伝しやがらねえんだ、あいつら、と。
シングル「ジャンプ!」が出たのは2004年11月だった。この内容がすごい。「ジャンプ!」「イヤシノウタ」「赤いくちびる」「ラクにいこうぜ」どれも名曲だ。ついでにどれもCMタイアップ曲だった。
●自らを十字架に。そして
『冬の十字架/Little Screaming Revue』のジャケットの、実家の居間で撮られた写真の清志郎がどうにもガラモンに見えて困る。
世紀末の空気の中に発射されたロックンロールミサイル。のっけがいきなり、俺こそがロックンロール宣言、それに続くのが「君が代」、そして次々と続くメッセージ性濃密なガラモンアルバムは、サウンド全体がツェッペリンの「移民の歌」?リードギターがゲス・フーの「アメリカン・ウーマン」?の超ハードロックナンバー「おもしれー」で終わる。ちなみに「人間のクズ」はのちに、全世界少年少女合唱団を交え、「湯あたりんぐコンサート」でも再演された。「こころのボーナス」は吉田拓郎のアルバムに提供した曲。「来たれ21世紀」は水前寺清子の「365歩のマーチ」が下敷きになっている。
『夏の十字架/ラフィータフィー』が出た時は先に冬があって次に夏がきて、大阪の陣みたいだ、と思った。
仙台の、今はなきビーブというシアターでのコンサート会場で手売りで買った。握手してもらった。前夜頑張ったという直筆サインも入っていた。握手した清志郎の手は、指が長くて、お猿さんと握手したみたいだった。前回と同じ、実家の居間で撮られた写真のサーフィンボードがちょうどサインスペースになっていて、サインを書き入れる清志郎にしても、それをもらったファンにしても、とても都合がよいジャケットのレイアウトはシングル「パパの歌」や「湯あたりんぐコンサート」でコンガを担当している小嶋謙介。後ろの茶箪笥に入ってる物がぜんぜん違っちゃってるあたりとか、『冬の十字架』との違いを探すと面白い。
かなり意味不明にサイケな「お元気ですかマーコさん?」で始まるあたりは「テクノ・クイーン」で始まった『ラフィターフィー』に近い感じもあった。
「プリプリ・ベイビー」は「徹子の部屋」でも流されていた。
このあと『秋の十字架』をまた手売り中心で発表し、そしてついに最後の全盛期ともいえる『キング』からの日々に清志郎は入っていく。それはそれは、この『十字架』の時代には想像もできなかったほどの、たくさんの深い愛に満ちた日々だった。自らをミュージシャンだと自負する誰もが清志郎のステージに上がりたがり、スタジオに駆けつけ、そしてボクたちは新しい友達を連れて、清志郎というでっかい太陽の陽を浴びにコンサート会場に出かけたのだった。