また旅をしよう
町から町を、インチキ勝負をしながら渡り歩く。俺はそんな賭博師の一人だった。
ある谷間の辺境の町で今日も大金を稼ぎ酒場から出たところ、俺は黒毛和猫に出くわした。
黒毛和猫は食用猫だ。もっとも俺に猫を食すなどという野蛮な趣味はなかった。
よく見ると右耳にえぐられたような傷がある。捕獲されそうになって命からがら逃げたときに出来たものだろうか。痛々しい。
「まったく縁起でもねぇもん見ちまったな。シッシッ」
追い払う仕草をしてそのまま宿へと急ぐが、酒場を出てからというものずっと後ろに気配を感じる。振り返ると嫌な予感は的中していた。
どうやら俺は件の猫に気に入られてしまったらしい。しかし何度も命の危機に遭って学んだのか、一定の距離を保ち、夜闇に紛れながら宿まで見送ったあと、結局そいつは何処かに消え去っていったのだった。
翌朝、宿を出た俺は辺りを入念に観察した。どうやら昨日の猫はいないようだ。
また懐かれたら面倒だと思い、見つからぬよう早々に次の町を目指すことにした。
もしやアイツは宿の猫で、昨日は酒場まで俺を迎えに来てくれただけかもしれない。
長年賭け事をやってきただけに勘には自信があった。我ながら自分の推測の鋭さに気分を良くしながら漸く町を抜けようとした時、頭上でカタッという軽めの物音がして足を止めた。
反射的に上方を仰ぐ。黒い影がある。太陽は反対側だ、つまりシルエットなどではなくそれ自体が黒色の物体だということ。案の定、それは黒毛和猫だった。しかも右耳に欠損のある。
どうやら今まで屋根づたいにずっとついてきていたらしい。
「おいっ、お前何でついてくんだ」俺は咎めるようにそいつを睨み付けた。
「ニャーオ」
全く意味の分かっていなさそうな気の抜けた返事。
「ふむふむそうかそうか……なるほど。聞いた俺が馬鹿だったよ」
無論猫とコミュニケーションなどとれるわけがない。愚問としか言いようがなかった。
「俺はお前を飼うつもりなどない。じゃあな」
「ミャア……」
事務的な口調で要件を告げ、理解したのかしてないのかよく分からぬ猫を放置し、俺は辺境の町をそそくさとあとにした。
それから俺は何日も何週間も別の町へ出向いては持ち前の感性と器用さで賭け金を荒稼ぎしながら旅を続けた。街道を歩くときにはいつも傍にアイツがいた。鉄道に乗ったはずなのにどうやって忍び込んだのか次の町では必ずヤツの姿を拝まなけりゃならなかった。
俺はもはや半分諦めていた。
こうなっては飽きるまで放っておくのが一番だと結論づけた。ヤツはかつてニュートンが確立した自然科学の常識や物理法則というものを完全に無視していた。
今まで俺はいつも一人で旅を続けていた。
それが楽だったし、稼いだ金の分け前で揉めることもない。だから昔から仲間を持ったことはなかった。
言うまでもなくこんな強引な同行者に出逢ったのは初めてだった。
それから一年間、俺たちはさらに旅を続けた。
オーロラをみた。
世界一巨大な滝をみた。
太陽が月の裏に隠れる現象をみた。
軌道エレベーターの建設予定地に赴き、遥か先の自由を見た気がした。
いつの間にか俺たちは切っても切れない関係になっていた。お互い拠り所を求めていたと言えばチープだが、俺が何かを喋ればヤツはミャーと鳴き、ヤツが何か声をあげれば俺はシカトする。そんな秩序が心地よくなっていた。
次に目指すはルクマンブルク。一日眠るだけで大金が手に入るという夢の町だ。かなり小さな町だと聞いたが、ここで成功を納めれば一生分の安泰が約束されるはずだった。そして今度こそ正規の手順でヤツを鉄道に乗せてやろう。そう考えていた。
今は事情があって乗り物が使えない。
近道をしよう。ルクマンブルクまでは西の方角に黒ずむあの森山を抜けた方が近道だと心得ていた。途中で川も越えないといけないはずだった。腹も減ったしとにかく急ぎたい。それから数刻後のことだ……。
遭難した。
最悪の状況だった。
なぜ森へ入る前に想像できなかったのだ。
もう限界だった。脚が鉛のように土に食い込むのを感じる。
アイツと出会ってから徐々に賭博に勝てなくなっていた。
いくら金があったってどうしようもない時はある。まさに今のような状況がそうだ。しかし金があればそもそも森など抜ける必要はなかったのだ。鉄道を使って優雅に旅を続けられた。
俺はだんだん腹が立ってきた。
何が秩序だ。何が心地好いんだ。意味が分からない。俺は腹が減ったんだ!
子どもっぽく地団駄を踏もうとして、踏み損なってよろける。さらに運の悪いことに、倒れていた朽ち木に腰を打ちつけ、笑いたくなるような痛みが全身を駆け巡った。
「クソォ……」
もはや立ち上がる気力も無かった。
そのまま朽ち木をカウチ代わりに背をもたせかける。静かだ……。
酒に酔ってマスターに言い掛かりをつけるのらくら者もいない。ここでくたばるのも有りかもな、と思いかけたところで相棒と目があった。こんな時にでも危機感ゼロで上目遣いをしてくる黒毛和猫にムカつく。
「なあお前、調理して食ってやろうか」
「フギャッ!?」
凍てついたように瞳孔を見開いたまま、ヤツはこちらを見つめる。
「もうお前くらいしか食うもんがないんだ。な、俺のために犠牲になってくれないかモルテン君」
どうせ今度も意味なんて分かっちゃいないだろう。
俺は懐から煙草とライターを取りだし火をつけた。
煙の中で俺にはしばらくヤツが躊躇いがちに右往左往しているように見えた。
そして俺がずっと表情を変えずにいると、やがてヤツは何かを悟ったように一目散に何処かへ去っていった。まるで初めて会ったときのようだ。あまりに素早い。ここまで付いてきておいて薄情な奴だと思う。
「ハハッ。バーカ、猫なんて食うかよ。嘘に決まってんだろ」
言いつつ、俺は相棒を尊んだ。
それで正しいんだ。やはりお前は賢い。
このまま俺と一緒にいても飢えて死ぬのがオチだろう。その選択は正解だ。
「もし運よく人のいるところに出られたら新しい相棒を見つけな」
もし運悪く食われたら、今度は逆の立場で再会するのも面白い……。
陽が傾き、さらに森は冷え込んできた。
周囲には退屈を紛らすものは何もない。
目を瞑ろうと考えたが虫がいそうなのでやめた。再び煙草を取りだし火を付けようとライターを点火したところで、何か黒いものが視界の隅で蠢いた。
「おいおい、オオカミか……?」
酔っ払ったように四本足をふらつかせながら少しずつこちらへ歩み寄ってくる。
薄暗いのと目が霞むのとで数匹の群れに見えなくもない。
だが二メートルほどの近くまで来てようやく分かった。右の耳には抉れた傷。
ヤツに違いない、けど何でだ……。
口に何かをくわえている。最初それはアイツが吐き出した内臓の類いかと思った。いやどうやらそれは違う。
それは植物のようだった。蔓に絡まって垂れ下がる数個の果実。
マタタビだ。
「ミ~ィ……」
陶酔状態の足取りでやっと俺の脇腹に落ち着く。初めてパーソナルスペースに入られて分かったが、少し臭う。
「ミャーオ」
“食えよ”とでも言いたげに、撫でようと差し伸べた俺の手に蔓草を吐き出した。
「俺のためにこいつを採ってきたというのか?酩酊しながらも俺にこれを食わそうと探しにいったってのか?」
続けて口をついて出た言葉に、俺はたっぷりの非難と軽蔑を込める。
「お前はやっぱりバカだ……」
体力を消耗したときのマタタビはご馳走といえた。滋養強壮はもちろん疲労回復として効果絶大。刺激のある辛さであの娘もメロメロ。
だが言うまでもなく、猫にとってマタタビは麻薬と同然のものだ。無鉄砲にも程がある。
それでも俺はヤツの思いの丈に触れた気がした。
──また旅をしよう。
彼なりの気の利いたジョークのつもりだろうか。
少なくとも俺にはそう思えた。
End....
2016年執筆