【クライスラー】
――アザレア共和国の大統領が持ってきた武器が魔法使い共に利くのはわかった。
次の手を思案しながら、クライスラーは目を細める。
いつも整えている金の髪がパラリと数本額に張り付き、自身がじわりと汗を浮かべていることに気付いた。
視線の先には、あの青薔薇の姫の本隊がある。
距離がありすぎて少し見えづらいが、兵士たちの意気揚々とした様子から、彼女がいるであろう場所は見てとれた。
――別段何も焦ることはない。だが……
得体の知れない気持ち悪い感覚がクライスラーを襲っていた。
脳裏に父スパルタカスとの会話が甦る。
そして姿を消してから、ずっと消息不明のままのギネのことも頭の中に思い起こしていた。
「……裏で糸を引いている人間の思い通りだとしたら」
皇国アマリリスに再起不能なまでの深手を負わし、その領土の大半を掌握しようとした攻撃で、タイミングよく北から南下してきたクレマチス軍の情報を得た時も感じた不快。
此方の動向が筒抜けになっているとは信じがたいことだったが、クライスラーが把握しているよりも諜報員が多く自国に紛れ込んでいるらしい。
「そもそも……あれが誘導だとしたら?」
ポツリと呟いた台詞と同時に急報の鐘が背後から鳴り響く。
想起した木札に描かれていた紋章と同じ朱頂蘭。
風にはためくその朱色の旗は金の刺繍が縁を囲んでいた。
紛れもなく、それは皇国アマリリスの国旗である。
「ふっ……」
掲揚しているもう一つの『娘』と紋章の上に印された旗にクライスラーは何度も戦った相手が軍を率いているのだと理解し、不敵な笑みを浮かべた。
「嵐呼戦姫か。クレマチスをもう既に追い払ったのか……それとも単独で抜けてきたか」
皇国の皇女軍のみであれば、それほど痛手にはならない。だが先程までの不快感から、クライスラーはここを引き際だと考えた。
「……グレフィン、義理は通したぞ。形は、な」
――青薔薇の姫がここに来た以上、もはやどうすることもできんだろう。
ノヴァーリスがロサを取り戻し、戦地へと休むことなく飛んできたのだとしたら、グレフィンの末路を想像することは容易い。
相手に複数人の魔法使いがいることもあり、こちら側に被害が増大することも撤退を決めた理由の一つだ。
「今後の為に魔法使いを捕らえようとも思ったがそれも失敗した……退くぞ!!皇国の嵐呼戦姫が我が軍に噛み付く前にここを抜ける!」
「クライスラー殿下、突撃し孤立した第一陣の騎兵たちは……」
「相手を侮り、考えなく突っ込んだ奴等の自業自得だ。救出している時間などない」
「では見棄てるのですか……?!」
部隊長の震えたような声にクライスラーは眉根を寄せた。氷のように冷たい青い瞳が彼を見下ろす。
「……では貴様が救出してこい。無事に帰還すれば貴様は英雄だ」
「は……」
呆気に取られた部隊長を無視すると、クライスラーは踵を返し騎乗した。
その表情は険しく、とある方角を睨み付ける。
「あぁ、あの蛮族に薬を撃ち込んで連れ戻せ。あれは今後も使える」
最後にそう告げると、クライスラーは馬の腹を踵で蹴った。
こうしてダリア軍は早々と撤退し始めたのだった。
もう空には一番星が輝いていた。