【ジェイド】
ロサとダリアの国境線上で激しい戦いが行われている時、そこはとても静かだった。
死神男爵ことジロードゥランの屋敷。
ここにいるはずだったルビアナとハーディの姿が消え、余計に人気がないからかもしれない。とテラコッタは一人盆の上に乗せた食事を運びながら、ぼんやりと考える。
「きゃ?!」
「わわ、ごめんなしゃい!」
廊下の角を曲がったところで、テラコッタに体当たりしてきたのはジョエルの妹の一人であるプルダだった。
「危ないから廊下は走っちゃダメよ?」
いつか親友に言われた様な注意をそのまま、テラコッタはプルダへと声をかける。
「はーい」
返事はいつかの自分より素直だ。とテラコッタは思いながら、プルダの腕に抱かれている熊の縫いぐるみと視線を合わせた。
意識のない黒いボタンの目が瞬きしたように見えたのだ。盆をひっくり返そうになったが、なんとか体勢を維持する。
「い、今……!」
「すごいでしょ?!このこ、うごくんだよ!ほかにも、たくさんいたよ!おへやにもどっちゃったけど……このこ、つかまえたから、アンねぇにみせにいくの!」
「プルダー?!どこぉーっ?!かくれんぼはもう終わりにしよー?」
プルダの満面の笑みにテラコッタは言葉を詰まらせた。屋敷の広間から聞こえたアンの声に反応して、プルダはテラコッタの横を通り抜けて行く。
そして今度は確実に目撃した。
熊の縫いぐるみが器用にテラコッタへとお辞儀したのだ。ふわふわの綿が詰まった丸い頭を少し下げて。
「い、一体何が……っ!」
時を止められ、眠っているかのようなルドゥーテを見守ることと、後は部屋に閉じ籠っているジェイドに食事を与えること。その役目を心此処に在らずで行っていたテラコッタの目が大きく見開かれる。
その目線の先はジェイドが閉じ籠っている一室だ。
「……ジェイド……?」
恐る恐る盆を片手で持ち、扉を開けようとした。
だが扉は向こう側からそっと開く。中から出てきたのはジェイドだったが、その様子は何時もと明らかに違った。
表情だけじゃない、テラコッタはその時初めて気が付いたのだ。ジェイドの内側から溢れ出ている魔力に。
「……エクレールは治った。……俺が治せた」
――ずっと考えないようにしていた疑問。それが今回でやっと判ったんだ。
そう語っている若草色の瞳から一筋涙が頬を伝う。
――どうして死んだはずのエクレールが人形として動けたのか。
生前と同じ様に治癒魔法が使えたのか。
幾らアルベリックが天才だったとしても、死人を生き返らせるなんて出来るわけなかった。
ずっと抱えて、それでも蓋をして心の奥に仕舞い込んでいた疑問や疑念が渦巻いて外に飛び出した。
「はじめから、俺だったんだ。俺だったんだよっ!」
右目を覆い隠すように右手を持っていくと、ジェイドは眉間に皺を寄せて笑い出す。
クツクツと震える小さな肩が泣いているようにしか見えない。
「ジェイド……、貴方は魔法使いだったの?」
テラコッタの言葉にジェイドの口角が上がった。
「……あぁ、そうだったらしい。知らなかったよ。魔法の才能があったのはエクレールだけだと、ずっと思っていたから」
癒しの手を持つエクレールは物心ついたときから、人に献身的な少女だった。
元々上流貴族だったジェイドとエクレールの両親は、協会が魔法使いの子供たちを集めて育てていることを知っていた。だが大切な愛しい我が子を手放したりするような両親ではなかった。
そしてジェイドも誰よりも大切な妹を一番傍で見守る道を選んだ。
――そのせいだったんだろう。
ずっとエクレールの傍にいたから。
誰も俺の魔力に気付かなかったんだ……。
自分自身も気付かなかった魔力。
それが初めて力として発動されたのは、不幸にもエクレールが死んだ後だったのだ。
「人形が生きてるように動き回るなんて、普通じゃなかったんだ……」
「なっ?!」
テラコッタはジェイドの背後に広がる部屋の中を見て、息を飲んだ。薄暗い部屋の中には、エクレールが様々な動く縫いぐるみに囲まれて微笑んでいた。
「……ジェイド、貴方の力は……っ」
「死者蘇生?違うな。……魂の定着。うん……これだな。定着できるのは人形に近いモノだけだが」
その辺にウロウロ彷徨ってんだよ。と目を細めてから、ジェイドはテラコッタの持っていた盆を奪って料理を勢いよく食べ始めた。廊下で座り込んで食べる姿は、貴族であった時の彼には想像すらできない己の姿だろう。
「急ごう。この力なら俺も役に立てるかもしれない。もちろん、医術も最高だからな!」
不敵に笑ったジェイドの目の下には濃い隈がくっきりと出来ていたが、テラコッタはその力強いジェイドの言葉に頷くことしか出来なかった。
きっとプルダの熊には、彼女たちのお母さんが。だろうなと。