【スクラレア】
『スクラレア……、またこんなところで泣いてたのか?』
『ファリナセア……』
それはスクラレアの幼い頃の記憶だった。
砂の中に埋もれる大昔の城だった場所は、彼女にとって大声をあげて泣くのに最も適した場所だった。
一月に数回ある保存を兼ねた清掃と年二回の祈りの日にしか、砂漠の民である風の子らの大人たちが遺跡に近付かなかったからだ。
『馬鹿だな。あんなやつらに言われたことなんか気にするなよ!』
『で、でも、アタシのこと、あいつら男女って……っ!』
『だから、あいつらがなに言おうが関係ないって!』
ポンポンっと優しく頭を撫でるファリナセアにスクラレアは目を細める。最後に流れ出た大粒の涙を拭って白い歯を見せた。
『あと、ファリナセアのこと、気持ち悪いって言ってたけど……関係ないよね!』
『あいつら、全員腕をへし折って、見る目のない眼球を鷹のエサにしてやる!!』
鬼のような形相で、物凄い勢いのまま遺跡から飛び出していったファリナセアの後ろ姿を見送ったスクラレアは溜め息と共に笑い声が漏れる。
クスクスと肩を揺らして、自身の半身であるファリナセアに『いつも、ありがとう……』と呟いた。もちろん、それは彼に聞こえることはなかったが。
「美しい俺の技を見て死ねるなんて、本当にあんたらはラッキーだ」
いつしかファリナセアは子供の頃とは比べほどにもならないほど、自己愛が強い青年になっていた。
目の前で風を操り、小さな竜巻を編み出した彼の動きを見つめる。
突如上空に現れた二つの人影に、ダリア兵たちは機能していない。ファリナセアに習うようにスクラレアも両手を動かし、手首をくるりと捻った。刹那、竜巻が発生し数人を巻き上げたあと吹き飛ばす。
「このっ……化け物どもめっ!!」
――あぁ、それを言ったら……
お仕舞いだ。とスクラレアは目を閉じた。
ダリアという国が大陸中のどの国よりも魔法使いという存在を嫌っているのを知っている。協会の技術も最低限ほどしか利用していないことも。
だからこそ、異質であると教えられている魔法使いたちに対して『化け物』というのは仕方がないかもしれない。だが――
――それはファリナセアにだけは言ってはダメだ。
「誰が……」
プツリと何かが切れた音がする。
瞼を上げなくても、スクラレアにはその様子が見てとれた。
沸々とした怒りを込み上げ、丁寧に編み込んだ黒髪が逆立ち始めたに違いない。
斜め下で苦戦していたローレルとイヌマキたちも周囲の空気の変動に気付いたのか、顔を上げてファリナセアを見つめていた。
ピリピリと空気が震え、地面から小さな石が浮き始める。
「誰が、化け物だっ!!」
それは奇策が尽き、総力戦になって不利になっていた戦いにおいて、窮地を脱する一撃だった。
怒りに震えたファリナセアの両腕が天に向かって真っ直ぐ伸びる。同時に下から上へと突風が吹き、周辺のダリア兵が丸ごと空中に投げ出された。
「はっ、ははっ!間近で見ろ!俺は美しいだろうが!!」
空に浮いているファリナセアと視線が絡まった兵の一人の顔色は真っ青だった。彼にとってその滞空時間は一瞬でありながら、最期の祈りの時だったに違いない。
スクラレアが瞬きをした次の場面では、何百人ものダリア兵が地面に叩きつけられていた。
関節が真逆に向いた者、肉が潰れ、眼球が転がった者など様々だったが、殆どが息絶えていた。微かに生き残っている者はいたが、鎧の隙間から突き出た骨とおかしな方向に向いた自身の手首や足首にヒューヒューと浅い呼吸を繰り返す。
まさに生き地獄だ。
「こりゃあ……風の子らってのは恐ろしいやつらだな……!」
イヌマキが頭のてっぺんから鼻筋に流れるように汗をかいていた。漏らした台詞は声が掠れている。
「あぁ、だが……これならイケる!一人で何百も相手できるのが味方なら……っ!」
ローレルの声も僅かに震えていた。魔法使いという存在、そして今まで気にも留めてなかった砂漠の民とやらは斯くも恐ろしいものだったのかと。
「違う!!勘違いするなっ!!風の子らの中でも特別なのはファリナセアと私だけだ!!特にファリナセアは――」
スクラレアの声を遮るように、ウォォオっと声をあげながら砂漠の民やロサの兵を率いたノヴァーリスたちの援軍の砂煙が後方で上がる。
これにクライスラーは眉を顰めたかと思われた。
だがそれはノヴァーリス側の幻想だったのだ。
「……もういい。化け物には化け物だ。あの女からの贈り物……、使わせてもらうぞ!またあの男自ら売り付けてきた、あの武器も準備しろ!!」
クライスラーの冷淡な声が戦場に響き渡り、ダリア兵たちが陣を変える。
戦鬼クライスラーは、ジロードゥランの領地である砂漠地帯での戦から、特殊な能力を持つ者たちに対抗する術を探していた。
そんな時に話を持ちかけてきたものが二人。
一人はハイドランジア王妃ビブレイ。こちらは第一王子オウミがノヴァーリスを連れて逃げた後すぐに接触。
そしてもう一人は、今朝早く転移魔法を使う魔法使いを連れたアザレア共和国大統領ソルティータだった。
今日の戦いに勝てたら、自らが開発した対魔法使いの武器を売ってもいいと。特殊な銃を一丁試供品だと渡してきた。
「……放て!!」
何かがファリナセアに向けて放たれる。
「何が来ても美しい俺には――」
「ファリナセア!!」
髪を掻き上げたファリナセアの余裕の表情にスクラレアは叫んだ。
ダリア兵が避けるように放たれた黒い塊。
避けたように見えたのは幻だった。
肉片が其処ら中に落ちる。
赤い点が飛び散って、味方であるはずの近くの者をバラバラに引き裂きながら突進してくるそれは、大砲でも武器でもなかった。
「グォオオオアァッ!!」
獣の咆哮。
そして四足獣は強く地面を蹴り、空中に飛び上がった。
「――このっ!」
ファリナセアは間一髪のところで風に乗り、さらに空高く舞い上がる。流石にそこに獣は届かない。
「……ふんっ、何かと思ったら……未開の地の獣人……森の民じゃないか!」
小さな竜巻を起こし荒ぶる獣人へと攻撃をするが、その剛毛に風の威力が消し飛ばされる。
――なんて大きい……!
スクラレアは冷や汗をかいていた。
ファリナセアが傷一つないことに安堵しつつ、初めて見る獣人の巨躯に心音が煩くなる。
豪猪のような体毛も鋭く硬化で、幾人ものダリア兵たちの肉の一部が突き刺さっていた。
直にノヴァーリスたちの本隊とダリアが衝突するだろう。だがこの存在を早急に報せなければいけないのではないかと、思案していた瞬間――
「スクラレアっ?!」
「……えっ?」
油断していたのだ。
静かに持ち出された特殊な銃が空中にいたスクラレアに向けられていたことに気付かなかった。
バシュン……っ!!と放たれたモノは、特殊な網。
――な、なんだと?!風が使えない……っ?!むしろ、力が……っ!
入らないと、気付いたときには地面に落ちていた。
衝撃で血反吐を吐く。
絡まった網から抜けようと、力を使いたくても網の繊維に何かが仕込まれているのか、魔法を発動できない。
周囲にはダリア兵が憎しみを込めた表情でスクラレアを見下ろしていた。
手に構えているのは槍や剣。
「スクラレアーっ!!!!」
いつもファリナセアは言っていた。
スクラレアのことを『大切な半身』だと。
自己愛を拗らせたファリナセアは、自分と同じようにスクラレアのこともいつも愛してくれていた。
――だからって
「……ファ、リナセ……ア……っ」
声が掠れる。
視界が涙で滲む。
スクラレアを救おうと、空中から降りてきた獲物を獣は狙っていたのだ。
スクラレアを囲んで殺そうとしていたダリア兵たちも一緒に巻き添えになった。
獣の狂った目は、まともに眼球を維持できていない。
ポタポタ……と、スクラレアの頬に赤い滴が降り注ぐ。
それは獣の鋭利な牙と爪で見事に引き裂かれたファリナセアから流れ出た血液だった。