【レオニダス】
「はー……レオニダス様、殴らなくていいんです?アレの顔をぶん殴ると言っていませんでした?」
レオニダスはアキトの台詞に曖昧に頷きながら、ハーディの言葉の魔力によって茫然自失してしまっているグレフィンの横顔を見ていた。
掻き乱れた髪はお世辞にも美しいとは呼べない代物になっている。
――こんな……、こんな仕様もないやつが一時王座に座るために、兄貴は死ななくてはならなかったのか……?
ロサの王城に入ってからだろうか。
レオニダスの脳裏には次々と思い出が甦ってきていた。特に王の間に足を踏み入れた瞬間から、こちらの力が抜けるような笑みで自分を迎えてくれるアシュラムの姿が瞼の裏に膠着いて離れない。
愉しげに笑う穏やかな声が耳に張り付いている。
「兄貴……っ」
殴ってやりたかった。
本当なら今すぐにでも殺してやりたかった。
だが彼の娘であるノヴァーリスが耐えた今、彼の弟であるレオニダスがそれをするのは違う気がしたのだ。
「……民たちに任せる。殺せと言うなら、その時は俺が首を切る」
「ですね。まぁー……十中八九そうなると思いますけど」
王の間から兵たちに連行されていく、グレフィンとアストリットの後ろ姿を眺めながらレオニダスは小さく息を吐き出した。
不意にリドが首を傾げながら声を洩らす。
「何か言ったか?」
「あ、いえ!僕の聞き間違いかも、しれなくて」
苦笑したリドにそれ以上突き詰めることはせず、レオニダスはノヴァーリスの方へと視線を向けた。
「ノヴァーリス、アストリットはどうするつもりだ?」
「……民意に任せたとき、きっと彼女は私を恨むでしょうね。でも、テラコッタの記録を見たときに、アストリットは何も知らなかったのだと判ったわ。だから……」
「領地の大半を捨てさせ、屋敷で監禁生活……か」
振り向かずに小さく頭を動かしたノヴァーリスに、レオニダスはそっと瞼を閉じる。
幼い頃よりノヴァーリスに対抗心を燃やしていたアストリットは、勝ち気ではあったものの、特に悪い娘ではなかった。卑怯なことはしなかったし、面と向かって罵倒してくるのは正直腹が立つものの、それでも竹を割ったようなさっぱりとしたものだった。
この時のレオニダスやノヴァーリスは、彼女の幼い頃の思い出や面影に思考が停止していた。
人は経験を経て変わるものだ。
それはノヴァーリスや他の者にもいえることだった。
だからこそ、この時彼らは疑わなければいけなかったのだろう。
現在の彼女は過去の彼女と変わりはないのか、と。
それを考えるには、二人ともまだ甘さがあり、ダリアの脅威が大き過ぎたのだろう。
「レオニダス叔父様、やっぱり急ぎましょう。胸騒ぎがするの。これはシウンの時と同じだわ。大切な誰かを、仲間を失ってしまうんじゃないかって……!」
「ノヴァーリス……」
両肩を抱き締めるように、小刻みに震える自身を押さえ付けるノヴァーリスの背は不安に押し潰されそうだった。
だというのに、そのか細く小さな肩に触れてやろうとする手が上手く動かない。
レオニダスは歯を食い縛ると、呪縛を振り払うようにノヴァーリスへと一歩足を踏み出し、力強くその背中を抱き締めた。
「……だいっ、丈夫だっ!!」
――何が
「お前は俺が守るっ!」
――兄も守れず、義姉さんも危うい状態にさせて?
王の間はこんなにも冷たい空気を纏っていただろうか。
まるで澆薄な視線に晒され続けているかのような感覚に陥る。
いやその視線の主は紛れもなく、レオニダス自身ではないかと彼は思った。
サラサラと魔法の砂時計が時を刻んでいる。
「……違うのよ、叔父様。私は守って欲しいんじゃないの。……ただ、私の手を離さないで欲しいだけなの」
甘えたような声音なのに、どこか哀しげなその言葉は誰に向けられた言葉か理解できた。
失った者、失いかけている者、そして今傍にいる者たち。
「判った。俺は誓おう。絶対にお前の手を離さない。どこにも行かない」
「……私も絶対に離さない」
希望を全て掬い上げる。
振り向いたノヴァーリスの瞳は輝きを増して、そう言っていた。
「姫っ、城門の所に僕の乗ってきた馬があるから!行こう!」
「リド、でも貴方は……」
「……大丈夫。兄さんと対峙したとしても、今度は目を逸らさない。両目をしっかり開けたままにする、から!」
長い前髪から覗く瞳はノヴァーリスに触発されたのか、リドの成長の証なのか、紫色の炎を燃やしているように見えた。
そして大きく頷いたノヴァーリスたちは王の間を後にし、最低限の警備兵だけを残す。ジロードゥランやハーディ、ルビアナもノヴァーリスと共にローレルたちの戦場に向かうつもりのようだ。
城門前では指揮を執って兵を纏めていたレーシーと、負傷した者に水を配って回っていたジョエルと合流した。
彼らも動ける兵や町の者たちに後を任せる。
ムーンダストやオウミたちは嫌味の応酬を繰り広げているところだったが、ノヴァーリスの姿を見つけて駆け寄ってきた彼らも共に行動してくれるようだ。
気づかぬ内に、例の砂時計が止まっていた。いや、全てのものの息遣いが聞こえなくなっていた。
「……壊せるものなら、全て破壊したかったよ。真実を知る前の、この時に……」
金色の髪を揺らして、砂時計の透明な硝子に額を擦り付けた青年はムーンダストだった。
ただ何か彼に違和感があるとすれば、それは片目を失っていたことだろう。
再び零れ落ちた砂粒は、時間が正常に流れたことを物語っていた。
砂時計の硝子には、うっすらと白く汚れた箇所が出来ていたのだが、その事に気付くものは誰一人としていなかった。
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