【ローレル】
轟々と西から派手な爆音が響き渡ってきた。
遠くの空に舞い上がる土煙に、ローレルはニッと白い歯を見せる。
「始まったな。……そろそろこっちも仕掛けてくる頃合いだと思うけど。イヌマキのオッサン、カヤ、準備はいいか?」
「ぬははっ!小僧、誰に指図してるっ!」
「アタイも大丈夫だよ!」
イヌマキが吠えるように笑い、カヤは明るく頷いた。同時に馬上で彼女の豊満な胸が遠慮なく上下する。
ピィーっとカヤが口笛を吹くと、紅の針葉樹の男たちが低く唸るような声で大地を揺らした。
「真っ向勝負じゃ戦鬼には勝てねぇ……だけど、ここは必ず死守する!」
――姫さんに任されたんだからなっ!
東に広がるロサとダリアの国境線を眺めると、ローレルの額には数敵の汗が浮かびツゥーっと流れる。
まるでその存在が壁のように見えるのはダリアの兵士たちだ。そしてその壁はひたすら横に伸びていた。
圧倒的な数だ。
そりゃそうだろう、とローレルは頷く。
ダリアのクライスラーは、皇国アマリリスを本気で潰そうとしていたのだ。集めた情報だけでもそれは確実だった。
「あれをまともに相手するには奇襲しかないが……通用するか?戦鬼に?」
心の迷いがつい口に出てしまう。
だがそんなローレルを鼻で笑い飛ばしたのはイヌマキだった。
「ぐはははっ!!そんな真剣な顔しても、もう成るようにしかならん!だがそんな死と隣り合わせでありながら、作戦なしなんて、こちとら今まで散々やって来たぜ!そしてこうして生き残ってる!」
「オッサン……」
「俺らは必ず無様であろうが生き残る道を選ぶ!その方法も知ってる!だから、お前の作戦をまずはアイツにぶつけてみやがれ!!クッソアホな作戦だろうが、生き残っててめぇの尻を叩いてやるさっ!」
バシィッとローレルは背中に電撃が走る。きっと背中にはイヌマキのでかい手形がくっきりと紅く浮かび上がっているに違いない。それほどの衝撃だった。
痛みにポロリと思わず溢れ落ちそうになった涙の滴をサッと拭うと、ローレルは目が覚めたように顔を上げた。
「死ぬなよ、オッサン!」
「おうっ!!ノヴァーリス様と約束した儲け話を前に死ねるかよ!!」
戦争準備などほとんどする時間なんてなかった。
ましてや、たかが盗賊団の幹部の一人に過ぎなかったローレルにとって、軍団を率いて戦うなどという経験もなかった。
だがそれでも彼女は任せてくれたのだ。
――好きな女の子に頼まれた。それだけで十分戦う理由になる。俺はやれる……っ!
「……突撃っ!!」
バッと掲げた手は震えていない。指先まで血液が巡った、しっかりとした気迫。
張り上げた声もよく通り、紅の装束を身に纏った男たちが馬を走らせる。
数人の旗手が手にしている旗は、彼らが今まで掲げていた針葉樹旗ではない。ロサの紋章である薔薇ではあったが、それも正しくは違った。
風に揺れるそれは、青の薔薇。
「迎い撃て!!」
ダリアの兵たちは盾を構える兵たちがまず前に出ていた。
彼らは盾の隙間から、相手の突撃の勢いを殺すための太い槍を固定している。
その後ろの隊列には夥しい弓兵が弓を構えていた。彼らは獲物が自分達の攻撃範囲に入ってくるのを待っているのだ。
「……ふん、素人だな」
クライスラーは鼻で笑うと、冷静に命令を下していく。奇襲や変わった作戦などいらない。数と物量が違う。圧倒的優位に立つ彼が取る手は定石でいいのだ。
大量の矢の雨と、それを凌いだとしても固定した槍でほとんどを潰せる。勢いを失った騎兵など、恐れるに足らず。
「……へっ、そりゃあそうだよなっ!だが舐めんなよっ!!……イヌマキのオッサン!カヤ!!頼むぞ!!」
馬の腹を蹴り、先頭を突き進んでいたローレルは隣を平行していたイヌマキと左右に別れた。二つに別れた騎兵たちはダリアの矢が届かないギリギリを走行する。
「……何?」
そして開けたその後ろには止まった馬の背に直立しているカヤたち弓使いたちがいた。クライスラーの目にはその姿が滑稽なものに見えたに違いない。
「そんな離れた場所から構えたところで、こちらの弓が届かないのと同じだ。狙えるはずが……っ?!」
ビュンッとカヤが放った一矢がクライスラーの真横の兵の脳天を貫いた。馬から崩れ落ちた体が無惨に地面に転がる。
「その日生きるために、森や山で動物たちを狩ってるアタイの弓を舐めんなよ」
「ウオー!!姐さんに続けぇええっ!!」
カヤほどではなかったにしろ、他の者たちの矢も盾を構えるダリア兵の後ろにいる弓兵たちのところまで届いた。崩れていく人垣に目を疑っていたクライスラーは、僅かに吹く向かい風にフッと口角を緩める。彼にとっては相手を知る少数の犠牲に過ぎなかったのだ。
「風も計算していたか。……素人だと言ったこと、訂正しよう。だがそれまでだ!騎兵たちよ!!孤立したあの弓部隊を蹴散らせ!」
大きく旋回しているローレルとイヌマキたちを一瞥しながら、クライスラーは自身の軍団の隊列を組み換えるよう命令する。弓兵と騎兵の位置が入れ替り、カヤたちを食らうようにその波は激しい土煙を上げた。
「今だ!オッサンっ!!」
馬が嘶く。
彼らの脚の筋肉がビキピキと悲鳴をあげているのがわかった。だがローレルは止まらない。
これほど直角に、騎兵の隊が方向を真逆に向かうとは誰が想像しただろうか。
イヌマキとローレルの二つが、同時にそれをやってのけ、そして後ろに下がってまだ隊列を整えていた弓兵たちを左右から挟撃したのだ。
何が起こったのか、ダリアの弓兵たちにはわからなかっただろう。敵が突然現れたように見えたに違いない。
「来る!!餌役は終わりだ!!散れ!!」
「おぉうっ!!」
そしてまたカヤたち弓使いたちが、蜘蛛の子を散らすように逃げたことも突撃した騎兵たちには驚きだった筈だ。
普通、軍というものは殿がいて、一団が撤退する。だがカヤたちは戦場を四方八方にバラバラに散ったのだ。
「ふ、ふははは!我らが迫力に恐れ戦いたか!ええい!みんな殺してやる!」
ダリア兵たちは鼻息荒く散っていく者たちを全滅させようとした。その時点で基本的な隊列と言うものが崩れてしまったのだ。
一つの塊となってぶつかってこそ威力を発揮するそれが、役目を見失った。
「馬鹿が……っ!!もういい!中に入って来た者たちを右翼左翼を前進させて挟めっ!!」
「く、クライスラー様!!奴らの姿がどこにもありませんっ!!」
「何……?!」
弓兵たちを挟撃していたはずのイヌマキとローレルの隊がいないことにクライスラーは絶句する。
そして彼は確信したのだ。
この戦いは、長引くと。