【オウミ】
「疲れている者もいるでしょう。さぁ中に入って」
「うふふ、私がたくさん美味しいご飯を用意いたしますからねぇ~!」
ノヴァーリスの凛とした声音に驚いてオウミは顔を上げ瞬きを繰り返していた。
ルビアナがハーディと共に集まってきていた者たちを誘導して食べ物を分け与えている。
オウミが遺跡に厨房はなかったがとも考えたところで、ルビアナが素手で鉄鍋を温めているところを目撃し、彼女に厨房は必要ないのかと納得した。
美味しそうな匂いが鼻孔をくすぐり、無意識に腹の虫が小さく音を立てる。
――確かに腹も減ったけど、それよりも……彼女だ。
オウミの視線はもう一度ノヴァーリスへと移った。
背筋を伸ばし、自国の不遇な民たちに寄り添う姿は最早女王ではないだろうか。
王族という立場をよく理解している立ち振舞い、自分たちの前で見せていた少女らしさを封印している様は、とても見事だった。
「ムッタローザ、確認するけど……彼女、女王様が倒れたとき、泣いてたよね。その後もどこか折れそうだったし」
「そうですね。……ただ私には今も泣いておられるように思いますよ。それを隠して必死にこうあるべき姿を演じておられるのではないでしょうか」
真面目な顔で返答してきたムッタローザにオウミは苦笑いとも取れる笑みを浮かべると、短く「だよね」とだけ答えた。
――王族はこうあるべきだ、か。
正直それは昔から馬鹿らしいと、オウミは思ってた。
自由に生きたいと勿論思っていたことも事実だが、そもそもその台詞を吐く大人たちは、こうあるべき立派な王族ではなかった。
父親のウィローサにしろ、民にまで日和見主義だと馬鹿にされるほどの優柔不断だったし、王妃ビブレイは裏で人を蹴落とそう、殺そうとする性悪だ。
こうあるべきという手本の王族など見たことがなかったのだ。
だが、ルドゥーテ女王はどうだろうか。
毒に侵されつつも、宣言していた映像ではその様子を全く見せなかった。倒れるまで彼女は強い女王で母親だった。
そしてノヴァーリスは、母親を襲う死の影を知りつつも、その様子を現れた民や協力者たちに悟られぬよう、しっかりと王女を演じている。
――あぁ。僕もそろそろ向き合わないといけないんだろうね。
ロサをノヴァーリスが取り戻して、決心がついたらハイドランジアで父さんと話してみるか……。
オウミは瞼を閉じ、ウィローサと対面するときの事をあれこれと考えた。
「……オウミ?」
遺跡の周辺や広間に溢れる人々に手を振ってから、ノヴァーリスが何もせず突っ立っているだけのオウミに首を傾げている。
既にレオニダスやアキトもローレルやジロードゥランたちと共に多くの人間の輪の中に入っていた。
「……あはは、なんでもないんだけどね。ただ……」
――ハイドランジアで僕を助けようとした時も、確かに君は強かった。
「……うん、だからこそ。君に甘えさせていたシウンはすごいなって。……僕もいつか君が甘えてくれるような、そんな男になるよ」
「……ありがとう。ふふ、まるで口説かれてるみたい」
「え、いや、思いっきり口説いてるんですけど?!」
オウミは自身の中でも人生初だと言わんばかりの大真面目な顔で口にしていたため、ノヴァーリスの返事にショックを受けたようだった。
必死に言葉を続けたが、ノヴァーリスはオウミを通り過ぎて王座の影に隠れていたリドの元へとゆっくり歩いて行く。
「リド。どうしてそんなところで隠れているの?」
「え?!あ、いや、その……ここに到着したときのレーシーさんのこともあるし、その、ほら……僕はダリアの第二王子、だった、から……」
震えるか細い声でそう言い、骸骨のように手首の先から人よりも大きくなっている手でリドは顔を覆っていた。
協会のローブに似た、濁った灰色の布地がリドの体を隠し、その存在感を消そうとしているように見える。
「関係ないわ。リドはリドでしょう。ほら立って」
「う、うん……」
ひょろりとした体躯のリドの手を掴んだまま、ノヴァーリスは優しい笑顔を浮かべながら広間へと歩を進めた。
「……あれ?」
シウンの時にも感じた胸の痛みに、オウミは顔を歪める。
「ふふ、彼がいなくなっても彼女は君のものにはなりそうにないよねぇ~」
「?!」
「オウミ様?!ど、どうされました?!」
不意に耳のすぐそばで囁くように聞こえた台詞に、ものすごい勢いでオウミが振り向いたが、其処に声の主はいなかった。変わりにずっと側に控えていたムッタローザが、勢いに驚いた顔を浮かべていた。
オウミは首を横に振ると、必死にムーンダストの姿を探す。ユキとローレルに殴られて気絶していた筈の彼は、多くの人が中に入ってくる頃に目覚めていた。
オウミがムーンダストを発見できたのは、ちょうどノヴァーリスがリドと共に広間へと続く階段を下り終わった時だった。
階段付近にユキとムーンダストの姿がある。
ユキは影からたくさんの食料品を運び込んでいてオウミの方向に振り向くことはない。だが、隣のムーンダストは違った。
彼の細められた目と視線がかち合う。
「……ふざけんな」
小さく吐き捨てた台詞は、ムーンダストに対してか。
それとも、ノヴァーリスが甘えられるような男ではない自分自身に対してか判らなかった。
ただ、彼の中になかった何かが生まれたのは、間違いなくこの日だったに違いない。