【テラコッタ2】
――悔しい、悔しくて堪らない……っ!
テラコッタはジョエルの細い腰に腕を回して必死にしがみつきながら、背後から吠えるように聞こえるギネの破れ鐘のような声に歯軋りした。
それは聞いているだけで胸が張り裂けそうなノヴァーリスの声が、シウンの死を何度も思い知らせるからだ。
――何も出来なかった!私はギネさんを殺さなきゃいけないのに……っ!
いつも自分の周囲から人を奪っていくのはギネだと、テラコッタは雨に濡れた目元を片手で擦る。
エマとシウンの二人とロサの王城で初めて挨拶を交わした日のことを昨日のように覚えていた。
あの日あの時雇われた護衛の内、一番戦闘力の低いテラコッタが生き残ったことも、彼女にとっては酷く可笑しくて悲しかった。
エマもシウンもはっきり言って強かったのだ。
味方の裏切りという油断さえなければ、剣が折れさえしなければ、幾度となくもしもを考えてはテラコッタは首を横に振りながらジョエルの小さな体に縋り付くように身を寄せた。
「皆さん、本当にご無事で良かったですわ」
砂漠にまで降り続いていた雨の中、黒く変色している砂の上に女性が立っていた。栗色の髪は亡くなった親友を思い出させ、藍色の瞳は穏やかに全てを悟っていた。
「ルビアナ殿!」
レーシーの嬉しそうな声が響き、彼女を知らなかったメンバーの放っていた警戒心が解かれる。
「レーシーさん、テラコッタさん、ジョエルさん、お帰りなさい。ノヴァーリス様もようこそ我が主ジロードゥラン様の領地へ。私は従者のルビアナと申します」
そう頭を下げ恭しくルビアナが挨拶をし終わった頃には、全員の馬が彼女を通り過ぎていた。
「ルビアナさん?!」
テラコッタが叫ぶが、彼女は落ち着き払った様子でニコニコと微笑む。そして返事を返す代わりに、両手を大きく広げ、円を描くように雨の雫に触れていった。
「な、凍ったんだけど?!」
振り向いてそれを見ていたオウミが目を見開く。
触れたものの温度を変化させる魔法。
液体に触れれば、ルビアナは凍らせることも可能だった。
「ふふ、皆さんたら馬を止めて私に注目するなんて……恥ずかしいじゃありませんか」
コロコロと笑って、膨よかな体を揺らすとルビアナはその場で回転しながらどんどん雨粒を氷の小さな固まりに変えていく。
全員が不思議だったのは、その氷の粒がずっと宙に浮いていることだった。
「さぁ、お願いしますわよ。ファリナセア!スクラレア!」
「お任せあれ!」
「風よ!奴らにお見舞いしてやれ!」
ルビアナが珍しく声を張り上げた直後、空から同じ顔をした背の高い男女が降ってきた。いや彼らは空を飛んでいたのだろう。彼らが両手を大きく振り上げるようにギネの軍に向かって動かせば、浮いていた氷の粒が弾丸のように飛んでいったのだ。
「ひぎゃ!!」
「ぎゃあぁっ!」
「痛いっ、体に穴がっ!!」
「あぁあっ、死ぬ、死ぬっ!これは一体っ!」
ギネの軍の足が止まる。
氷の粒はスピードを上げ、その身が溶け消えるまで全てを貫き続けたのだ。それを休む間もなく立て続けに食らっては、兵士たちの被害は尋常ではなかった。
「クソッ!!化け物共めっ、どこまでも邪魔しやがって……っ!こう何度も砂漠で殺られては士気が下がる一方だ……っ!」
ギネの悔しそうな大声が響き、彼は半数以上がやられた所で、撤退を余儀なくされた。
やがてギネの軍が逃げていく土煙が消え入ろうとした時、同じ顔をした男女がレオニダスの前に乗馬しているノヴァーリスを観察するように近付いてきた。
「俺はファリナセアと申します」
「アタシはスクラレアです」
半一卵性の双子なのだと続けると、同じタイミングで二人は白い歯を見せる。
双子の髪型は左右対称にそれぞれが編み込んだチリチリとした黒い髪を片方に流していた。
青と紫を基調にした衣装は金や赤の刺繍が入り、派手な格好ではあったが、日焼けしただけのムッタローザよりも濃い生まれついての褐色の肌のためか然程気にならない。
「私はノヴァーリスです。助けてくださってありがとう……」
翡翠色の瞳にじっと見つめられ、居心地が悪そうにノヴァーリスはお礼を口にしてから頭を下げた。
顔を上げた頃には、また頬を涙が濡らしている。
だが今もなお降り続ける雨のせいにできるはずだと考えたところで、ノヴァーリスはやっと雨が止んでいることに気付いた。
「ノヴァーリス様ぁ」
「姫さん……」
テラコッタとローレルがそんなノヴァーリスに心配そうに声をかけるが、ノヴァーリスの瞳から溢れる涙は決して止まってくれなかった。
徐にジェイドの馬から飛び降りたエクレールが、そっと白いハンカチをノヴァーリスに手渡す。
エクレールの優しさにノヴァーリスは余計に肩を震わせた。
ファリナセアとスクラレアは顔を見合わせると、一度頷く。
「多くの人が貴女を心配してる」
「風たちも貴女を慰めてる」
二人の言葉にノヴァーリスは涙を止めた。
テラコッタも双子の不思議と心にじわりと染み入る声音に驚く。
「……フム。風ノ子ラモ、気ニ入ッテクレタカナ?ヨウコソ、姫君タチ」
「男爵!」
そこに現れたジロードゥランの姿にテラコッタは嬉しそうに笑顔を浮かべた。
冷え始めた砂漠の夜に、全身包帯を巻いている黒ずくめで長身の男には恐怖さえ感じるほどであったが、テラコッタにとって彼は心から安心できる人だった。