【ローレル】
時は少し遡り、ノヴァーリスとオウミがリベラバイスを救出しようとしていた頃――
その様子をじっと、草原の真横に位置する森の中から双眼鏡を使って覗いていたのはローレルだった。
表情はどことなく暗く、生気がないようにすら見える。
そのようなボーッとしているローレルに後ろから抱きついたのは、紅の針葉樹のカヤだった。
彼女の豊満な胸がローレルの背に押し付けられ、その感触がしっかりと伝わってくるが、ローレルはそれよりも斜め後ろから感じる、異様なほど刺さる視線に冷や汗を流す。
少し顔の角度を変えれば、沸々とした赤黒いオーラを放つ熊二頭分ぐらいの巨躯を持つ男が見えた。薄くなった毛髪を潔く全部剃ったスキンヘッドの頭は、その男の厳つさに磨きをかけている。もみあげから顎まで続く髭は形よくこだわって整えられていた。
紅の装束は他の者より露出が多く、太い筋肉の塊のような腕には獣のような体毛がごわごわと生えている。
「おい、ローレル!てめぇ、俺の娘に手を出したらわかってんだろうなぁっ?!」
「出すわけねぇーだろっ!!熊と海坊主が合体したみたいな化け物に殺されたくねぇし!!」
野太い声に怒鳴られてローレルは即座に返答した。
熊と海坊主が合体したような男――紅の針葉樹の頭領、イヌマキはその返答に満足そうに口角を上げる。
「もう!!アタイのダーリンをいじめなんなよ!クソ親父っ」
「カヤちゃぁあんっ?!」
頬を膨らませながらカヤが抗議すると、イヌマキの上がっていた口角は眉尻とともに情けなく下がった。
「カヤちゃんっ、本当にパパはカヤちゃんを心配してだなっ」
「キモい!!」
「あぁぁあぁあっ!…………ローレルぅっ」
イヌマキはその場から少し距離を置こうとし始めたローレルの肩をがっしりと掴む。それだけでローレルの心臓は口からうっかり飛び出そうだ。
「てめぇには俺ら紅の針葉樹を助けてもらった恩があるからな、だから協力してやるが……娘にだけは、カヤちゃんにだけは手を出すんじゃねぇぞぉ……」
「痛っ、痛いっ!イヌマキのオッサン!肩っ!俺の肩潰れるからっ!!命に賭けても手なんか出さねぇよ!!」
「何?!命に賭けてもって、てめぇ、俺の娘がそんなに魅力ないと言いたいのかぁっ?!」
「だぁぁっ?!面倒くせぇなっ?!お前が出すなっつったんだろうよ!!痛……痛い痛いっ!だから俺には今気になる子がっ!」
ローレルの目尻から涙の滴がぽろっと落ちたぐらいで、イヌマキは納得したように手を離した。
「気になる子っつぅーのがロサの青薔薇姫ねぇ」
「絶対悪女だよ!アタイのローレルを騙そうとするなんてっ!」
イマヌキとカヤの台詞に無意識にムッとしてしまうほどに、ローレルはノヴァーリスに心を奪われていた。
始まりは物珍しさもあったのだろう。天涯孤独だったローレルは、生きるために必死で盗賊の幹部にまで登り詰めた。
そんな彼が初めて目の当たりにした本物の王族が彼女だった。どことなく人を惹き付ける魅力のある愛らしさは、あと数年したら絶世の美女になると断言できる。
「いや……」
――一目惚れに近かったのかもしれないけど。
でもそれは始まりだった。
数日ではあったが、一緒に過ごす内にどんどんノヴァーリスの内面にも惹き付けられた。
ローレルは彼女から離れてやっと自身の望みがわかったのだ。
ノヴァーリスを護りたいという強い気持ちに。
「っ?!ヤバイっ!!」
ウィンドミルが率いる軍が現れ、ノヴァーリスたちは無事に切り抜けられるだろうと見ていた戦いは、アナベルがアキトを槍で突いたところで形勢が逆転する。
ローレルは声を上げると、双眼鏡から手を離し馬の背に飛び移った。
「おい?!てめぇローレル!どこ行く気だ?!」
「助けに行くに決まってる!」
「落ち着けぇい!このボケナスがぁあっ!!」
焦っているローレルの額に向かってバチコーンッとイヌマキの平手が入った。物凄い速度と勢いで繰り出されたそれは馬上からローレルを吹っ飛ばす程だった。
地面に尻餅をついて、ローレルはイヌマキを涙目で見上げる。
「今正面から飛び出してなんになるんだ!アホが!!よく見ろ!てめぇの好いた女は山の方に逃げた。旧道を知ってるが、あそこは細い一本道だ。……ほらよ、見てみろ。ウィンドミルの野郎、部隊を細かく分けて包囲しようとしてるだろ」
もう一度双眼鏡を覗いたローレルは「確かに……」と小さく呟いた。
「分散された手薄のとこを狙おうぜ。多少潰せば、それが青薔薇姫たちの逃げ道になるかもしれねぇだろ」
「……恩に着るぜ、イヌマキのオッサン!」
「アタイも手伝うからねっ!!」
大きく頷いてローレルたちは行動を起こした。
これがムーンダストが配置しなかった位置で起こった戦闘の理由だ。
その後、彼らは一度ノヴァーリスたちを見失うのだが、テラコッタが口に出していた死神男爵の話を思い出したローレルは、急いで彼の領地に向かっていた。イヌマキは念のため、二つに山賊たちを分けていたが、後で死神男爵の領地に向かうことを約束する。
其処で窮地に陥っていたノヴァーリスたちをローレルとカヤが見付けたのは偶然だったのだ。
だが、それは彼にとって必然だったのかもしれない。
――どうすれば助けられた……?
泣き叫ぶノヴァーリスの声を聞きながら、ローレルは自問自答を繰り返していた。
振り返れば、ギネの軍が体勢を整えて追躡してきている。
先程視界の端で崩れ落ちたシウンの姿を見た。
首は飛んでいなかったが、助かったとは考えにくい。
生きていればこれ程ギネの行動が迅速であるはずがないだろう。
猛追ではあったが、シウンが命を賭けて作ってくれた時間のお陰でなんとか犠牲を出していない。
――クソ、最後までカッコつけやがってっ!
悲痛なノヴァーリスの泣き声に胸が酷く痛む。
共に逃げている者たちの顔色は全員悪かった。
いつの間にか馬の足は、砂の大地を駆けていた。雨はまだ上がっていない。