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【ノヴァーリス2】

「くそっ、足場が悪い……っ」

「アキトくん、もういい!無理せずに戻るんだ!!」


 腹部を押さえ、転げそうになったアキトにレオニダスが叫ぶ。

 突然の雨とそれまで流した血のせいで泥濘(ぬかるみ)が出来始め、足を取られそうになっていた。


「ノヴァーリス様っ、寒くはないですか?!」

「大丈夫よ、テラコッタ」


 心配そうに手を握るテラコッタにノヴァーリスは微笑む。

 二人ともきゅっと唇を結ぶと、周囲を見渡した。徐々に追い詰められている気がする。

 狭まる範囲に焦りを感じながら、ノヴァーリスはシウンを見た。

 半分に折れた剣でなお、ギネの斬撃を受け流し続けている。


「大丈夫ですよ!あのシウンですからっ」

「うん、わかってるわ」


 ――でも、どうしてだろう。この胸騒ぎは……


 ノヴァーリスは一人胸の中に広がる漠然とした不安感に襲われていた。

 あの幻想的な風景の下で交わした唇の温もりと感触を思い出しながら、そっと指で自身の唇に触れる。


「はぁはぁ……ムッタローザ、まだいけるよね?」

「はい、私の事はご心配なく。オウミ様こそ、息が上がっておられますが、大丈夫ですか?」

「当然っ!!」


 オウミとムッタローザも死力を尽くすように、なんとか脱出路を作ろうと必死だった。

 レーシーはジョエルやジェイド、そして怪我を負っているアキトを庇いながらの戦いになり、うまく立ち回れていない。


「……くくくっ、くあはっはっはっ!!」


 突然大笑いし始めたギネに全員の視線が向いた。


「もういい!!お前らじゃ役に立たねぇ!!そもそもコイツらが戦ってるのはそこの姫様がいるからだ。一点集中……、ありったけの矢を浴びせろ!!」

「なっ」


 シウンが動揺しているのがわかる。

 ノヴァーリスはテラコッタとエクレールが自分を庇うように覆い被さったことに驚いて目を見開けた。


「ま、待って!止めて!!」


 何故人形のエクレールまでもそのような行動を取るのか、テラコッタもどうして自らを犠牲にするのか。ノヴァーリスは必死に声を張り上げた。

 降り続く激しい雨音が声をかき消す。


 レオニダスがさらにそこに覆い被さっているのがわかる。

 アキトとジェイド、レーシーとジョエル、オウミとムッタローザもそれぞれ走った。


 ――待って、お願いっ!皆を失ったら私はどうすればいいの?


 僅かに見える視界の端で、キリキリと弓兵たちが中仕掛けを引っ張り弦が湾曲している姿が見える。もう直ぐに矢はそこから解き放たれるだろう。

 まるで世界の全てがスローモーションのように見えた。



「させるかぁーっ!!ボケぇえっ!!」


 その時だ。

 紅い装束を着た屈強な男たちが馬に(また)がりながら、ギネの弓兵たちに突っ込んだ。ノヴァーリスは聞き覚えのある声に(まばた)きを繰り返す。


「ローレルっ?!」


 シウンが叫んだ。

 突撃してきた先頭集団を率いていたのは、間違いなくローレルだったのだ。


「ローレルさんっ!貴方今まで何処へ?!」

「っていうかさ、この紅い装束の奴等って……あの山猿……」

「アキトくん!紅の針葉樹(レッド・コニファー)だよ!」

「……面倒臭いので山猿じゃダメですか」


 テラコッタがローレルに叫ぶと、ローレルは馬から飛び降りてノヴァーリスたちの傍までやって来た。

 アキトとレオニダスのやり取りに苦笑しながら、ローレルは雨に濡れた顔を拭い、ノヴァーリスの前で片膝を付く。


「……ごめんな、姫さん。俺は黒の月桂樹(ブラック・ローリエ)の幹部だった。俺はロサの城にあんたを殺しに行ったんだ」


 紅の針葉樹の男たちがギネの兵と乱戦状態になる中、突然の告白にノヴァーリスは上手く返答が出来ない。


「その者が黒の月桂樹だったのを私は城で目撃しました。それを追求した後、彼は姿を消していたのです」


 敵を斬り殺しながら、レーシーがそう続ける。

 返り血がついた鎧もすぐに雨に流された。


「嫌われたくなくて逃げた。あの夜俺は確かに何人かの命を奪ったからだ。だけどっ」


 ローレルの唇が震える。


「あんたを護りたい気持ちにもう嘘はねぇ!!俺は絶対に姫さんを裏切らねぇ!だからお願いだ!一緒に戦わせてくれ!」

「……ローレル……」


 真剣な瞳から涙が溢れ落ちているように見えたのは、雨粒だったのかもしれない。

 だけどノヴァーリスにはそれで十分だった。

 ローレルはいつも自分を護ってくれたではないか。と。


「ローレル、お願い。助けて。貴方の力を貸してっ」

「……あ、あぁっ!!任せろ!!……カヤっ!!」


 ノヴァーリスの伸ばした手をぐっと包むと、ローレルは嬉しそうに笑ってから大声を張り上げた。


「アタイはここにいるよ!馬がいるなら、コイツらの馬をやる!」

「恩に着る!」

「じゃあアタイと結婚……っ」

「それはないっ!!」


 カヤと呼ばれた露出の多い紅い衣装を身に纏った女は、燃えるような紅い髪を揺らしながら、ローレルの返答にぷくぅっと頬を膨らませる。

 それから紅い瞳で睨み付けるようにノヴァーリスを見た。


「アタイはあんたを助けてやるんじゃないんだからなっ!!アタイのダーリンであるローレルの頼みだからだぞ!!人形みたいな可愛い顔しやがって!!ブスなら罵れたのにっ!!」

「あ、ありがとう……?」


 ノヴァーリスはすごい剣幕でそう言われて、戸惑いながらカヤを見上げる。馬に乗り慣れているのか、きゅっと締まった腰の上にメロンのような胸が二つぶら下がっていて、思わず無意識に自身の胸に手を持っていってしまっていた。


「そこのオッサンとガキ共!!ほら、早くしなよ!」

「オッサンって俺か?!」


 胸に視線を奪われていたレオニダスはハッとして、人の乗っていない馬に跨がった。アキトやジェイド、ジョエルも馬に乗り、ジェイドはエクレールを。ジョエルはテラコッタを馬に乗せる。


 ノヴァーリスはレオニダスの馬に一緒に乗せて貰い、オウミとムッタローザ、レーシーもそれぞれ馬に跨がっていた。


「シウンっ!!」


 ノヴァーリスはシウンの名を叫ぶ。

 紅い色が散らばる視界の中、シウンはギネの一撃を(かわ)して、空中で体を捻っていた。

 そこから回転力を利用して、ギネの顔面目掛けて半分に折れてる剣を振るう。

 僅かに赤い線がギネの鼻上に引かれた。

 もしこれが半分に折れてなければ、きっとシウンはギネを殺せていただろう。


「シウンっ、シウンーっ!!」


 降り続ける雨の中、ノヴァーリスは声を張り上げる。


「俺が連れ戻してくるっ!」


 そう言ったローレルが馬に跨がってギネに突撃しようとしたとき、雷鳴が辺りに轟いた。


 それは一瞬の出来事だった。


 ギネの背後にある木の上から、クロスボウの矢が放たれたのだ。

 予測できなかったその攻撃に、シウンは地面に転がる。

 腹部に刺さった矢は深く内臓まで到達したらしい。

 じわりとシウンの脇腹に赤が広がる。


「シウンっ!!いやぁっ!!」


 そしてギネが容赦なくシウンの脇腹を蹴り上げた。


「かはっ!」


 シウンの口から血が飛び出た。

 ギネの特殊な斧が天を指す。


「シウン、今行く!!」

「来るなっ!!」


 ローレルの声にシウンが両膝を付きながら上体を起こして叫んだ。広げた片手はローレルに向かっており、それは間違いなく制止だった。


「今すぐノヴァーリス様を連れて逃げろ!!そうじゃないと間に合わないっ!」

「い、嫌よ、ダメ、シウン!私はそれを許さないっ!!」


 雨の冷たさなど、最早どうでもよかった。

 全身ずぶ濡れの体を揺らして、ノヴァーリスはレオニダスの馬から飛び降りてシウンの元へと駆け出そうとする。


「やめろ、ノヴァーリスっ!!」


 レオニダスの腕に力が入り、必死にノヴァーリスの体を支えた。


「……すみません、ノヴァーリス様。その命令は聞けません。……貴女の幸せを、祈っています」


 立ち上がったシウンがギネの脇目掛けて折れた剣を投げ付ける。

 それは鎧の繋ぎ目を狙っており、見事に入った痛みにギネの手から得物が地面に落ちた。


 ローレルとオウミは躊躇ったが、歯を食い縛りその場を脱出することにする。

 紅の針葉樹も所詮は山賊だった。しかも彼らは常に安全策を取ってきた山賊である。そこが鍛練され戦慣れした兵士たちには敵わず、押され始めたのだ。


「撤退するぞっ!!」

「はいっ、姐さんっ!!」


 カヤの命令に生き残った山賊たちは散り散りに逃げ始めた。

 その撤退に統率された団結力など皆無(かいむ)だったが、彼らは集合場所を知っていて、そこに行くまでは個々の命を大切にした逃げ方を選んでいたのだ。


「嫌っ、シウン、シウンーっ!!」


 雨音がより一層激しく鳴る。

 最後にその目でシウンの姿を捉えたとき、シウンは木から降りてきた女兵士のクロスボウの矢をまた脚に受けていた。

 ギネの手には得物が握り締められている。

 やがて片膝をついたシウンにギネの刃が振り下ろされた。


「シウンーっ!!!!」


 声が届かない。

 枯れそうなほど叫んだ台詞は、全て雨と雷鳴にかき消される。


 崩れ落ちたシウンの体をノヴァーリスが目撃しなかったのは、彼女の幸せを願った彼にとって唯一の希望だったのかもしれない。


止まない雨は、間違いなくノヴァーリスの涙。

最期の瞬間にシウンが思った事を語れる人は存在しない。

ただ、止まない雨音がずっと耳の傍で鳴り続けている。

父親の死に埋まった筈の喪失の穴は、それを埋めた彼ごと、さらに深い傷として彼女の心に落ちた。

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