【シウン】
シウンは隣のベッドで眠っているレオニダスたちの姿を確認しながら、そっと寝室を抜け出した。
男女別に眠れるよう、幾つものベッドが並ぶ部屋が二つ用意されていた。
――ずっと月の位置が変わらない。やはり夜空も作り物なのか。
小さく溜め息を吐きながら、シウンは廊下の窓から風景の変わらない花畑を見る。
そして慌てて小屋から飛び出した。
満月の下で存在しない花たちに囲まれて立っていたのは、ノヴァーリスだったからだ。
小屋に置いてあった簡易な夕食を口にしてから、湯浴みをし、皆寝ることにした。だがその前にテラコッタが全員に映像を見せたのだ。
それはあの事件の夜の事だった。
アシュラムの嘘と詭弁を記録した、あの夜の。
そして時が進み、次に映し出したのは処刑場だった。
――誰が見たいと思うだろう。
父親が謂れのない罪で罵倒されている姿を。
父親が偽りの罪で首を斬り落とされるところを。
「ノヴァーリス様っ!!」
純真で無垢な華だった彼女に、どうしてそれが耐えられるものだろうか。シウンは全てを再生したテラコッタを憎んだ。
だが彼女とて、それを記録しなければいけなかった苦痛があり、ノヴァーリスに見せなければいけない苦しみもあっただろう。
だから何も言わなかった。
深く傷付いたであろうノヴァーリスが何も言わなかったのと同じように。
「……っ!」
驚いたように体を跳び跳ねさせたノヴァーリスが振り返る。
その瞳からは大粒の涙がポロポロと溢れ落ちていた。
月明かりに照らされたそれが、やけに神秘的に映る。
「ち、違うのよ!」
必死で目を擦るノヴァーリスの手首を掴むと、シウンはそのまま強く自身に引き寄せ抱き締めた。
「一体、何が違うんですかっ!」
――こんなにも身体を冷たくして!
どれくらいの時間を此処で一人涙を流して震えていたのだろうか。
シウンは逃げるように身を捩らせているノヴァーリスを離さぬよう、先程よりも腕に力を込める。
「シウン、苦し……っ」
「泣きたいなら泣けばいいでしょう?!俺はそれほど頼りないですか?貴女の力になれませんか?」
執事の振りをした護衛としてノヴァーリスの傍に仕えてからずっと、彼女は青の薔薇だということに怯えていて、そしてそれを隠すように気丈に振る舞っていた。
――青の薔薇だから何なんだろうか、青のダリアだから何だと言うのだろうか!
ロサの王城に勤め始めたときは、意思など関係なく無惨に命を奪われた弟を重ねて見ていたこともあった。
弟が生きていたら、こうやって笑ってくれるのだろうかと。
年の離れた妹のような存在として、生きられなかった弟の代わりに笑って生きて欲しかった。
ただ普通の幸せを、その年の女の子が手に入れるような喜びを知って過ごすだけで良かったのに。
「ノヴァーリス様、俺に甘えてください。好きなだけ俺の胸の中で泣けばいい」
――そして出来るならば……
「……シウン、どうしたの?私は大丈夫。平気よ。泣いてなんかいないわ」
腕の中で顔を上に向けて微笑んだノヴァーリスにシウンは顔を歪めた。
「……平気、だって?」
「……っ?!」
シウンの唇がノヴァーリスの唇に重なる。
目を見開いていたノヴァーリスは、やがてぎゅっと目を瞑った。
シウンの舌がぬるりと隙間から侵入し、唾液が口内へと入ってくる。
「んん……っ!」
絡められた舌はノヴァーリスを味わうように暴れた後、ゆっくりと唇の後に銀糸を引いて離れた。
とろんとした目がうっすらと開いてシウンを見つめる。
「……平気だなんて嘘を言わないで下さい。俺だけでいいから、素直に甘えてください。俺はいつだって貴女の傍にいるんです」
「シウン……、私……」
ノヴァーリスの声が震えていた。
シウンは彼女を怖がらせないように、できるだけ柔らかく微笑む。
「……ノヴァーリス様、俺は……貴女が好きです。愛しています。ですから、貴女が甘えてくださるのは……俺の喜びになるんですよ」
伝えるつもりはなかった。
ただ普通の幸せを彼女が手に入れるまで見守りたかっただけだ。
皮肉にもそれが壊されてしまったからこそ、シウンはノヴァーリスに自身の気持ちを吐露した。
――そして出来るならば、貴女に愛されたいと願ってしまう。
口から紡げなかった続きを飲み込んで、シウンは再びノヴァーリスの唇を奪った。
不自然なほどくっきりと浮かぶ満月。
存在しない月の下で咲き乱れる花々。
幻想的なその景色の中で、何度も重ね合わせた唇の感触は、まるで夢であるかのようにふわりと溶け消えるように甘く切なく優しいものだった。