【ムーンダスト】
「うんうん、全員生きて戻れたようだね~」
ズズズっと夜の森の一番濃い闇からユキがオウミとムッタローザ、レーシーの三人を連れて顔を出す。
ユキの身体にさえ触れていれば、ユキはその者を連れて影の中を移動できるのだ。
ムーンダストの綺麗な笑みを見ながらユキは舌打ちする。
いつものその様子にムーンダストは特段気にすることはなく、ノヴァーリスの方へ向き直った。それから警戒するシウンを他所に片膝を付き、頭を垂れる。
「改めまして、青の薔薇よ。私は青のカーネーション……。ムーンダストと申します。何より貴女の無事を心よりお喜び致します」
いつもの間延びした口調とは少し違う畏まった台詞がムーンダストの口から漏れ、一番驚いていたのはユキだった。
言われたノヴァーリスの方も、目をパチパチと瞬きを繰り返しながらムーンダストを見つめる。
少しの間の後、不意にムーンダストの手がノヴァーリスの手を拐い、白い手の甲に口付けを落とした。
「……ふふふ、なぁーんて。少しはかっこよく見えたかな~?」
ニコニコと邪気のない笑みを浮かべながら立ち上がったムーンダストはユキの方へ顔を向けたが「変態に見えました」と返答が返ってきたので聞こえないふりをする。
「……協会の方なのはテラコッタとそちらのユキさんのやり取りから把握させていただきましたが、どうして貴方はノヴァーリス様に手を貸されるのですか?」
ユキから再び視線をノヴァーリスに戻した頃には間にシウンが割り込んでいた。ムーンダストは愉快そうに目を細めて「そうだねぇ」と口にする。
それは先刻に突然洞穴に現れたときと同じ意味深な笑みだった。
「ふふ、一先ずテラコッタは縫合し終えるまでの時間稼ぎしてくれるかな~?そうしたら後は私がなんとかするよ~」
「「っ?!」」
先刻、洞穴の中に突如現れたムーンダストを一行は歓迎してはくれなかった。
「あ、貴方……誰なのですか?!な、何故私の名前をっ!」
テラコッタが自分の名前を呼ばれて激しく動揺した返事を返したと同時に、ムーンダストにシウンとレーシーが斬りかかった。
だが斬れなかったのだ。
「シウン殿、これは……!」
「まさか……っ」
シウンがテラコッタの姿を一瞥してから、ムーンダストを睨み付ける。彼はまるでテラコッタが見せる映像のように実体が其処になかった。
「ふふ、ごめんねぇ。其処へ私自身が行きたかった気持ちはあるんだけど、そんな危険な真似はできなかったんだ~。だけど代わりに其処に私の手足となって働いてくれている子を送るから~」
「……つまり、この状況をなんとかするのは全部俺なんだよな……マジでムーンなんとか野郎は死んだらいいのに」
手をヒラヒラさせるムーンダストの後ろの影から現れたのはユキだった。
「ユキっち?!」
「おい止めろ」
驚きの声をあげたテラコッタを睨み付けながら、ユキはそのままシウンとレオニダスの腕を掴む。
「何をっ?!」
「まず旧道の右手にお前たちを届けるぞ。暴れたら殺す」
ズモモ……と静かに人が影の中に入っていく様はなかなか飽きない、とムーンダストは口角を上げる。
次にユキは山を下ったところにある森の奥にノヴァーリスとジェイド、エクレール、アキト。そしてジョエルとリベラバイスの遺体を順に運んでいく。
洞穴が存在していないように見せかけるためにテラコッタが最後まで残っていたのだが、オウミは自ら天井の隙間から上に登ることを決意していた。
レーシーとムッタローザは山の南地点に運ばれる。そこはウィンドミルの兵の真後ろだった。
半信半疑でユキに運ばれた皆は、それが判った瞬間に何をすべきか理解したようだった。
そして現在、ノヴァーリスたちに微笑んだムーンダストは、煙の上がった位置を確認しながら、一ヵ所――誰も配置しなかった場所で煙が上がっていることに気付いた。
シウンとレオニダスが奇襲をかけた右手でもなく、ユキが一人で攻撃を仕掛けた山と森の間にある川沿いでもない。
「おかしいねぇ、その辺りは誰もいなかった筈なんだけど……」
――まぁ私には全て見えていたけど。
それを口にしては今疑いの目で見られているものが、余計に厳しくなりそうだ、とムーンダストはまた笑顔で誤魔化す。
どうせ後でわかることだ。
「……私は協会に属しているけど、協会の考え方には付いていけなくてね」
其処まで口にしてから、ムーンダストがきちんと話をしたいと思っているということをノヴァーリスたちは信じてくれたようだ。
それから重要なことを伝えなければ、とムーンダストが口を開いたが、それは幻に終わってしまう。
「ムーンダスト」
ムーンダストは自分に声を掛けられたと認識すると、意識を覚醒し、機械音声のような声で名前を呼んできた相手を見る。
本物のムーンダストはまるで何事もなかったかのように一度瞬きをした。
「どうしたんですか~?ノワール様」
協会の自身の部屋。
その場所でムーンダストは椅子に座っていた。
「今……大きな魔力の流れを感じてな」
――やはり、私が魔法を使っていることに気付いたのか。
心の中で少し冷や汗をかきながら、ムーンダストは何事もなかったのように首を横に振った。
今頃幻影も消えてしまっているだろうと、お詫びの気持ちでムーンダストは頭を下げる。
「……大事ないか?」
「えぇ、全く」
ムーンダストは協会の最高幹部であるノワールに嘘を返す。
まるで監獄のように毎日見張られている気がしていた。
――ユキはうまくやっているだろうか。
自分が伝えられなかったことを伝えてくれればいいんだがと思いつつ、ムーンダストは小さく溜め息を吐いたのだった。